って、しずしずと、アクロン号の真上に、あらわれた。そこには、既に、アクロン号を守る敵機の姿も、見えなかった。重爆撃機は、アクロン号の上を、グルリと一とまわりした後、鮮かに、十二個の、爆弾を切って放した。
それは、アクロン号にとって、最後の止《とど》めであった。
百雷の落ちるような響がしたかと思うと、空中の巨船は、一団の、真黄色な煙と化し、やがて、物凄い音響をあげ、全身を、真紅な火焔に包んで、墜落を始めた。空中の怪魚の、断末魔《だんまつま》は、流石《さすが》に豪胆《ごうたん》な帝国の飛行将校も、正視《せいし》するに、たえなかった。或いは、船首を下にし、或いは胴中を二つに歪《ゆが》め、或いは、転々と苦悩し、焔を吹き、怪音をあげ、焼け爛《ただ》れたるアクロン号は、武蔵野平野《むさしのへいや》の、真唯中に、墜落していった。
まことに、哀れなアクロン号の最後だった。
船長リンドボーン大佐以下四十五名の乗組員は、敵国の首都を、完膚《かんぷ》なきまでに爆撃した彼等の武勲を、唯一《ゆいいつ》の慰《なぐさ》めとしてアクロン号と運命を共にした。
だが、本当のことを云うなら、気の毒なことに、リンドボーン大佐以下は、大きな錯覚《さっかく》をしていたのだった。それは、大東京だと思って、爆弾の雨を降らせた一廓は、帝都とは似てもつかぬ草原と田畑だったのだ。それは帝都を、二十キロほど、東へ行ったところにある市川《いちかわ》町の附近を択んで、軍部が急造した偽都市《にせとし》だったのであった。その市川の草原には、松戸《まつど》工兵学校や、千葉鉄道聯隊や、世田《せた》ヶ|谷《や》自動車隊が、一夜のうちに急造した電灯装置ばかりの偽東京が、影も形もないほど、爆撃しつくされてあった。
偽都市が成功したその反面には、其の夜、帝都の、灯火管制が、如何に巧みに行われて敵機の眼から脱れることに成功したかを、雄弁に物語っているので、その夜の勲功の半分は軍部が担《にな》い、他の半分は、帝都市民が貰うのが至当であると面白いことを云ったのは、外ならぬ東京警備司令官、別府九州造《べっぷくすぞう》氏であった。
戦雲《せんうん》暗《くら》し太平洋
わが海軍の主力、聯合艦隊は、小笠原《おがさわら》諸島の東方、約一千キロの海上を、真北に向って進撃中であった。
珍らしや、聯合艦隊!
日米国交|断絶《だんぜつ》の直ぐ後、南シナ海から、台湾海峡の方へ出動し、米国アジア艦隊と一戦|交《まじ》えたまでは判っていたが、其後《そのご》はどこに何をしているのやら、国民には杳《よう》として消息の判らない聯合艦隊だった。
それも道理、アジア艦隊との一戦に、残念にも妙高《みょうこう》と金剛《こんごう》とを喪い、外に駆逐艦と飛行機を少々、尊《たっと》い犠牲とすることによって、どうやら、アジア艦隊の始末をつけることが出来たのであった。尚《なお》生残った敵艦隊を掃尽《そうじん》し、更に進んでは、陸軍のフィリッピン攻略を援助すべきではあったが、太平洋方面の戦略が重大であるために、あとは第三艦隊と特務潜水艦隊とに委《まか》せここに吾が聯合艦隊は、針路を東に向け直したのだった。先ず手近《てぢ》かの、グアム島を占領して、これで西太平洋の制海権を収めると、いよいよ艦隊は、最後の一戦を交《まじ》える準備として、南洋群島へ引上げ、待機の姿勢を執《と》ることとなった。
その間に、米国側では、どうにかして、わが聯合艦隊を、不利な状況下に引張り出そうとして、殊更《ことさら》マニラ飛行隊を帝都へ送って空襲をさせ、或いはアクロン号の夜襲、北海道、青森県の占拠《せんきょ》まで、可也《かなり》の犠牲をかけて、日本艦隊の釣出しを試みたのであったが、わが聯合艦隊司令長官|大鳴門正彦《おおなるとまさひこ》大将は無念の唇を噛み、悪口《あっこう》を耳より聞き流し、唯《ただ》、決戦の最も有利な機会の来るのを待った。
そして、いよいよ其の日は近づいたのだ。布哇《ハワイ》のパール軍港に集結していた敵艦隊の主力は、とうとう日本艦隊を待っている辛抱ができなくなり、ついウカウカと、有力な根拠地|布哇《ハワイ》を離れる気になった。斯《こ》うして太平洋上の二大艦隊は、相手を求めて刻一刻と、相互の距離を縮《ちぢ》めて行った。
「いよいよ、永年憧れていた恋人が、やって来たぞ」そういったのは、旗艦《きかん》陸奥《むつ》の士官室《ガン・ルーム》に、其の人ありと聞えた剽軽《ひょうきん》な千手《せんじゅ》大尉であった。
「ほほう、どの位、近づいたのか」バットの煙を輪に吹きながら、戦略家の藤戸大尉が訊《たず》ねた。
「主力の位置は、本日の唯今、北緯四十二度、東経百六十五度。北海道の真東《まひがし》、千八百キロというところだ」
「すると、敵艦隊は、今日になって、進路を急に西の方へ、向け直したことになるぞ」
「藤戸《ふじと》の云うとおりだ」横から相槌《あいづち》を打ったのは、先刻から黙々として、探偵小説に読みふけっていた紙洗《かみあらい》大尉だった。「布哇《ハワイ》から、ミッドウェーの東方|沖合《おきあい》を、北西に進んでいた筈だから今日になって、進路を真西に向けたとなると……」
「そりゃ、こうサ」藤戸大尉が即座に引取って答えた。「いよいよ敵艦隊は、吾が艦隊と決戦を覚悟したのだ。これから敵艦隊は、南西へ下りて来るぞ。決戦の日の位置は北緯四十度東経百五十度附近と決った」
「青森県の東方一千キロ足らずの海上ということになるね」紙洗大尉は、探偵小説を伏せて、いつの間にか、その代りに、海図を拡げ、その上にキャラメルの艦隊を動かしていた。
「俺は大したことは望まんが」千手大尉は、ワザと神妙な顔をして云った。「大航空母艦レキシントン、アルカンター、シルバニアの飛行甲板《ひこうかんぱん》を、蜂の巣のように、孔《あな》をあけてやりたい」
「ウフ、それが大したことでなくて、何が大したことなんだ、あッはッはッ」
「うわッはッはッ」
聞いていた二人の士官が、腹を抱えて笑い出した。
「何しろ相手は、輪形陣《リング・フォーメーション》だ、その中心の、そのまた中心にいる航空母艦だ。鳥渡《ちょっと》、手軽にはゆくまいな」
「輪形陣《りんけいじん》が、破れまいと、確信しているところが、こっちの附け目さ。ナニ構うことはないから、平気でドンドン、飛行機を進めて行くさ、輪形陣の中に、こっちが入って行けば自信を裏切られて吃驚《びっくり》する。そこへ、着弾百パーセントという特選爆弾を一発、軽巡奴《けいじゅんめ》に御馳走して、マスト飛び、大砲折れサ、ヤンキーが血を見て、いよいよ腰をぬかしている隙《すき》に、長駆《ちょうく》、大航空母艦の上に、五百キロ爆弾のウンコを落とす」
「うわーッ、千手《せんじゅ》の奥の手が始まった。もう判った。やめィ」
「おい千手。それが本当なら、念のために、貴公《きこう》に先刻《さっき》報告のあった米国聯合艦隊の陣容を、教えといてやろう」紙洗大尉は笑いながら、ポケットから、ガリ版刷《ばんずり》の「哨戒隊《しょうかいたい》報告」を拡げて読み出した。
「第六哨戒艦報告」
「判っとる。俺も覚えているよ」千手大尉が悲鳴をあげた。
「まァいい、聞け。――本艦搭載の偵察機を飛翔《ひしょう》せしめ、赤外線写真を以て撮影せしめたる米国聯合艦隊の陣容を報告すべし。先ずメリーランド、コロラド、ウェスト・バージニア、セントルイス、ソルトレーキ以下二十|隻《せき》の主力艦を中心に、その前方に、大航空母艦レキシントン、アルカンター、シルバニア、レンジァーの四隻、大巡洋艦のポートランド、ニューオリアンス、イリノイ、フェニックス以下の八隻を配列し、又後方には多数の特務艦を従え、その周囲三十キロの円周海上は、四十キロの快速を持つ小航空母艦の感ある七千|噸《トン》巡洋艦二十五隻を以て固め、更にその五キロの外輪《がいりん》を、二百隻の駆逐艦隊を配置し、別に八十隻の潜水艦を奇襲隊として引率し、又《また》此《こ》の輪形陣の上空六千メートルの高度に於て、メーコン、ラオコンの両飛行船隊を浮べ、飛行機全台数二千機中六百台の偵察機は各母艦より飛翔《ひしょう》して輪形陣の進航前方を、交互《こうご》警戒し、時速三十キロにて北西に向い航行中なり……」
「それが本当なら、こっちも全く、戦《たたか》い甲斐《がい》があるというものサ」千手大尉は、まだ減《へ》らず口《ぐち》を止《や》めなかった。
「敵機三台に対し、こっちは一台の割だな。敢《あ》えて恐れるわけではないけれど、数理に合っているとは、考えられない」藤戸大尉は頭の中に数字を浮べているらしく、独りで呻《うな》った。
「そりゃ訳があるのサ」又、千手大尉が勢《いきおい》を盛りかえして、籐椅子からスックリ立上った。
「いいかね、敵機二千機、そりゃいいサ。それが一時に飛上ろうとしたって飛び上れるものじゃない。いくら空が広いからって、ページェントじゃないから、蝗《いなご》が飛ぶようなわけには行かない。まァ精々《せいぜい》三分の一の六百機だ。六百機が、飛び上ったとしても、彼等の着艦は、頗《すこぶ》る困難になる。そういうことは、彼等がよく知っているから、自然|尻込《しりご》みをしてサ、実際現れる飛行機はそのまた三分の一で、二百機サ。ところが、我が飛行将校は、飛行甲板なり、カタパルトから飛び出すことは知っているが、着艦しようなどというケチ臭《くさ》い根性は持ち合わしていない。二百機が飛び出せば、二百機がフルに働く。ボーイング機が如何に速くともカーチス機が如何に優《すぐ》れた性能を持っているにしても、最後の勝利はこっちのものだ」
「そりゃ、呑気《のんき》すぎる説明じゃ」藤戸大尉が、本気になって反対した。
「俺に一説がある」紙洗大尉が、その後について云った。「三対一の比率は、あまりに甚《はなは》だしい。しかし軍令部が、見す見す負けるような計画を作る筈もない。そうかと云って、いくら吾が飛行機の優秀を見積り、兵員の技能を過信してもこの比率は、あまりに桁外《けたはず》れすぎる。そこで問題の解答は、こうだ。何かこう新兵器があって、敵機の三分の二を充分に圧迫することの出来る見込みが立っているのだ、トナ」
「いよいよもって、甘過《うます》ぎる話じゃ」藤戸大尉は慨歎《がいたん》した。「俺の考えを最後に附加えるとこうじゃ。空軍として一時に参加出来るのは六百機、乃《すなわ》ち我れと同数に過ぎぬ。しかし米国艦隊が日本沿岸何百キロの距離に近寄ったところで戦争をするとなると、日本の海岸警備隊や、陸軍機が、戦争に参加することとなる。それに対しても充分の圧倒が出来る台数をというので、あの台数が出て来たのだ。又そうなると、日本の陸地の一部を占領することが出来れば、別に元の軍艦へ戻らなくてもいいわけサ。この辺に、三対一の比率が出ていると思う」
「成程《なるほど》ねエ――」
三人三様の議論が丁度《ちょうど》一巡《いちじゅん》したところへ、後の扉《ドア》がコツコツと鳴って、三等水兵の、真紅な顔が現れた。
「紙洗大尉どの、井筒《いづつ》副長どのが、至急お呼びであります」
「おお、そうか。直ぐに参りますと、そう御返事申上げて呉れい」
紙洗大尉は、傍《かたわら》の帽子掛けから、帽子と帯剣《たいけん》とを取ると、身|繕《づくろ》いをした。
「直ぐ帰って来るからな、一服しとれよ」
そう云って彼は敏捷《びんしょう》に、部屋から出て行った。
だが其《そ》の紙洗大尉は、二十分経っても、三十分経っても、帰って来なかった。一時間の時間が流れても、彼の靴音は、聞えなかったので、二人の同期の友人は、云い合わせたように立上った。
「どれ、部屋へ帰って、今のうちに、辞世《じせい》でも考えて置こうかい」
「俺は、いまのうちに、たっぷり睡って置こうと思うよ」
そこへ、紙洗大尉が、飛ぶようにして、帰って来た。
「おいどうした」
「大いに深刻な顔をしているじゃないか」
紙洗大尉は、二人の友人の問を、其儘《そのまま》聞き流して、ジッと立って
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