が出動したそうだ」
「ああ、そうですか」
「あの広い貯水池の水面に、すっかり、藁《わら》を敷《し》くのは、想像しただけでも、容易ならん仕事だと思うね」
「でも、藁を敷いて、水面の反射を消すとは、誰が考えたのかしりませんが、実に名案ですな」
「隅田川へ敷くのについて、非常に幸運だったというのは、今夜十二時頃から、次第に、上げ潮になって来るそうで、水面《すいめん》へ抛《ほう》りこんだ藁が、流出せずに、済むそうだ」
「なるほど、そうですか。これも天佑《てんゆう》の一つでしょうな」自動車隊は、暗闇の中を、なおもグングンと、驀進《ばくしん》して行った。
「大尉どの、いよいよ、穴の奥まで、近づいたらしいですよ」
「そういえば、だんだんと天井が、低くなってきたね」
「入口で、三人、やっつけたばかりで、ここまで来ても、更に敵影《てきえい》を認《みと》めず、ですな」
「ちと、おかしいね。どこか、逃げ道が、慥《こしら》えてあるのだろうか」
「いままでのところには、探さない別坑《べつこう》は、一つもなかったのですが」
「おや、地盤が、急に変ったじゃないか。これは、燧石《ひうちいし》みたいに硬い岩だ」
草津大尉の声のする方に、道後《どうご》少尉が、懐中電灯を照しつけてみると、なるほど、今までの赭茶《あかちゃ》けた泥土層《でいどそう》は無くなって、濃い水色をした、硬そうな岩層《がんそう》が、冷え冷えと、前途《ぜんと》を遮《さえぎ》っていた。
「こんなところに、鑿岩機《さくがんき》が、抛《ほう》り出してあります」
「こっちの方にも、一台、転《ころ》がっているぞ」
「地盤が、固くなったので、諦《あきら》めて、引上げたのでしょうか」
「それにしては、おかしい。その辺の壁を、叩いてみよう」
泥が、バラバラと、崩れ落ちた。
「おお、これは※[#感嘆符疑問符、1−8−78]」壁体《へきたい》に、ポカリと、孔が開いた。
懐中電灯を、さし入れて見ると、その孔は上り気味になっている。
草津大尉は、道後少尉を促《うなが》して、尚《なお》も恐れず、前進して行った。
「行《ゆ》き停《どま》りだ」
「押して見ましょう」
ガラガラと音がして、冷《つめた》い風が、スーと入ってきた。
「いよいよ地上へ出たらしい」
「敵の奴、ここから逃げたらしいですね」
「うむ。――あれを見ろ、灯りが、さしているぞ」
「これは、建物の内部です」
「よオし、部下を集結するんだ。一度に、飛び出そう」
「承知しました」少尉は、合図の懐中電灯を波形《なみがた》に、うちふった。ゾロゾロと部下が、集って来た。
頃合《ころあい》はよかった。
「突撃《とつげき》だッ。一《ひ》イ、二《ふ》ウ、三《み》ッ!」
ワッと喊声《かんせい》をあげて、一同は手に手に、拳銃を持って、飛び出した。扉らしいものを、いきなり蹴破《けやぶ》ると、地下室の広い廊下が、現れた。
薄暗い廊下灯の蔭に、猿轡《さるぐつわ》を噛まされ手足を縛《ばく》されて転っている一人の男があった。その外《ほか》に、人影は、見えなかった。道後少尉は、倒れている男を起して、猿轡をとってやった。それは、戸波研究所に、博士の身辺を守っている筈の山名山太郎だった。
「早く階上へあがって、窓を検《しら》べて下さい」
山太郎は、泣かんばかりに喚《わめ》いた。
ドヤドヤと、一同が、階段を駈け上ってみると、三階の西窓が、そこだけは歯が抜けたように、硝子《ガラス》窓が開いて居り、頑丈な一条の綱《ロープ》が、真向うの××産婦人科院の、物乾台のところへ架け渡されているのが発見された。
――用事があって、地下室へ降りて来た戸波博士は、待ち構えていた怪しい一団の手によって、何の苦もなく、誘拐《ゆうかい》されたことは、山太郎の説明によって、間もなく、明かになった。
軍部は、この凶報《きょうほう》を受取ると、愕然《がくぜん》と色を失ってしまった。
アクロン号の襲来《しゅうらい》
「モンストン君、まだ何にも、見えないのかい」
アクロン号の船長、リンドボーン大佐は、航空羅針儀《こうくうらしんぎ》の面《おもて》から眼を離すと、背後を振りかえって、爆撃隊長モンストン少佐に声をかけた。
「大佐殿、いよいよ、大東京です」少佐は、地上観測鏡の対眼レンズから、眼を離そうともせずに、叫んだ。「猫眼石《ねこめいし》のように美しい輪廓が、空中に、ぼッと、浮かびあがっています」
「羅針儀《らしんぎ》も正確だ」大佐は、硝子蓋《ガラスぶた》の上を、指先で、コツコツと叩いた。「時間も、予期したとおり午前一時、淋代《さびしろ》から、正《まさ》に六時間半、経《た》った」
「左の方には、正しくカスミガウラの湖面が光っています」少佐は、やっと面をあげて、ゴンドラの外を、指さした。
「爆撃の用意は、いいのだろうな」
「勿論です。二十|噸《トン》の爆弾は、お好《この》みによって、一瞬間の裡《うち》に本船から離してもよろしい」
「ふ、ふ、ふ」大佐は、軽く笑った。
「ですが、船長。大東京の輪廓が、すこし、明るすぎるように思いますが……」
「なアに、わし[#「わし」に傍点]の経験によると、湿気の多い五月の天候では、地上の光が、莫迦《ばか》に輝いてみえるのだよ」
大佐は、長身を折って、机上の東洋大地図の上に、静かに、眼を走らせた。その紙面には、先の世界一周のときに観測したデータが、赤インキで、詳細に、書き入れられてあった。
「航空長、大東京への、距離は?」
「西十一キロ丁度です」
舵器《だき》を執《と》っている航空長は、答えた。
「呀ッ。船長――」観測鏡を握っている爆撃隊長が、叫び声をあげた。
「どうした。モンストン君」
「大東京が、灯火《あかり》を、消したんです」
「やっと気がついたものと見える」大佐は、通信兵と銘《めい》をうった伝声管の前に立って、叫んだ。「戦闘機隊へ通報せい。襲撃陣形をとり、戦闘準備にうつれ」
アクロン号は、大胆にも、三千メートルの高度まで、下降した。アクロン号をとりまく偵察機や戦闘機は、行進隊形を解いて、それぞれ、襲撃隊形にうつった。偵察機は、ぐっと、後へ引返して、アクロン号の、両翼と、後方とを守った。戦闘機は更に一千メートルの高度をとり、見る見る、速度を早めて、アクロン号の前方に、進出して行った。
予期した霞ヶ浦の海軍航空隊に属する空軍は、どうしたものか、どの方面からも、襲撃して来なかった。
「船長、ごらんなさい」モンストン少佐が云った。「下に、電車らしいものが、走っていますよ」
「なるほど、スパークも見えるし、ヘッド・ライトも、ぼんやり見えるようだね」
「向うの方には、ボッと、ギンザらしい灯が見えますよ」
「そんなことは無いだろう」
「でも、左手に見えるのがシナガワ湾です。ずっと、海と陸との境界線が見えるでしょう」
「すこし、早く来すぎたような気がする」大佐は、一寸《ちょっと》、首をかしげた。
「いよいよ、大東京の位置が、はっきり判りました。こっちに、ムラヤマ貯水池が、明るく光っています」
「うん。地形は、ちゃんと合っている。爆撃して呉れと、いわぬ許《ばか》りだ。では、モンストン君、兼《か》ねての作戦どおり、思うが儘《まま》に、爆撃出来るね」
「そうです、大佐どの。第一に、マルノウチ一帯へ、一|噸《トン》爆弾を三個、半噸爆弾を十二個、叩きつけます。それから、シナガワ附近シンジュク附近とを中爆弾で爆撃し、頃合いを計って、ホンジョ、フカガワ附近の工業地帯を爆破し、尚《なお》、余裕があれば、ウエノ停車場を、やっつけて仕舞います」
「よろしい」リンドボーン大佐は、このとき長身を、すっくり伸して、直立し、厳然《げんぜん》と、命令を発した。「爆撃用意!」
「爆撃用意!」モンストン少佐は、伝声管の中に、割れるような声を、吹きこんだ。「マルノウチ爆撃用意!」
アクロン号の、中央部に配置せられた、爆弾は、電気仕掛けで、安全装置が、バタバタと外されて行った。爆撃手は、照準《しょうじゅん》鏡のクロス・ヘアーに、丸の内の中心部が、静かに動いてくるのを待った。
「適宜《てきぎ》、爆撃始め!」
リンドボーン船長は、いよいよ、敵国の都に、二十噸の爆弾を、叩きこむことを、命じたのだった。
照準手のところへは、鸚鵡《おうむ》がえしに、高声器が、モンストン少佐の号令を、送ってきた。
「爆撃始めッ!」
丁度《ちょうど》、その途端に、照準は、ピタリと、丸の内の中心に落ちた。
「ううん――」
照準手は、把手《ハンドル》を、カチャリと、下に引いた。微かに、船体が、グッと持ちあげられたように感じた。三個の重爆弾が、発射孔《はっしゃこう》を通って、サーッと、落下して行った。
一秒、二秒、三秒――
地上に、パッと、ダリアの花が、開いたように感じた。真黄《まっきい》ろな、燦然《さんぜん》たる、毒々しい華《はな》だった。そこへ、
「だ、だ、だーン、だーン」
と、眼の醒《さ》めるような大きな音がして、船体が、ギシギシと鳴り響いた。
続いて、第二弾、第三弾――
爆弾室は、見る見る裡《うち》に、空っぽになって行った。
「ううん、美事な命中率だ。素晴らしいぞ、照準手!」船長は紅蓮《ぐれん》渦《うず》を巻いて湧きあがる地上を見て、雀躍《こおど》りせんばかりに、喜んだのだった。
「いよいよ、敵の戦闘機が、現れましたぞッ」モンストン少佐は、ゴンドラの窓から、空中に、パッ、パッと、赤い息を吐きだすような機関銃の乱射ぶりを、注目した。
地上からは、噴水のように、青白い光芒《こうぼう》を持った照空灯が、飛び上ってきた。ゴンドラの、防弾|硝子《ガラス》で張った窓が、チカチカと、その光芒に、射すくめられた。
高射砲から、撃ちだした砲弾が、美しく、空中で、炸裂《さくれつ》した。そして、その照準は、見る見る正確になり、アクロン号の附近に、集まって来た。
飛行船の胴中《どうなか》からも、重機関銃や、機関砲が、オレンジ色の焔を吐いて、敵機に、いどみかかった。
「ご、ご、ごーン」
と音がして、アクロン号の船体が、グラグラと、揺れた。その途端に、ゴンドラと、すれすれに、日の丸のマークのついた日本軍の飛行機が、激しい火焔に包まれて、どっと下に落ちて行った。
「ジャップの飛行機を、寄せつけるやつがあるものか。危くて仕様がないじゃないか」大佐は、チョッと舌打をした。
その言葉の終らないうちに、又、前よりも一層、激しい動揺が起って、大佐は、スルリと滑りそうになったのを、やっとのことで、窓枠《まどわく》にすがりついて、事なきを得た。
日の丸のマークのついた日本の飛行機が、火焔に包まれて、又、墜落して行った。そのあとから、別な飛行機が、又一台、吠えるような、異様な響をあげて……。
「おい、モンストン」大佐は、たまりかねて爆撃隊長の肩をつかんだ。「われ等の、戦闘機隊は、何をしているのだ」
「阻塞気球《そさいききゅう》の中へ、引っぱり込まれたらしいです。半数は、気球から垂れている綱に、機体を絡《から》めつけられ、進退の自由を失っているらしいです」
「なに、阻塞気球※[#感嘆符疑問符、1−8−78]」
「ほら、御覧なさい。あすこに、ヒラヒラしているのがあります」
「おお、――」と大佐は、窓のところに、駈けよった。「あれは、大グランド大尉の、赤鬼号じゃないか」
「や、やッ」モンストン少佐も、探照灯に照し出された、見覚えのある、真紅《まっか》な胴体をもった飛行機を見付けて、のけぞる位に駭《おどろ》いた。「グランド君が、敵の阻塞気球に……」
「航空長、本船を、浦塩《ウラジオ》へ、向けろ」大佐は、皺枯《しわが》れ声で、叫んだ。
「日本の飛行機は、爆弾と同じことだ」
「ああ、日本の軍人は、気が変だッ」
自分の墜落することを一向気にとめず、猛然と、機体を、爆弾代りに、うちつけて来る日本軍の勇猛さに、大佐は、呆《あき》れてしまった。
そのとき、空の一角から、立川飛行聯隊の重爆撃隊《じゅうばくげきたい》が、三機|雁行《がんこう》の隊形をと
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