れは、帆村君が研究している読心術ですな。丁度《ちょうど》、塩原参謀が、その少女と、瀕死《ひんし》の重傷を負っていた弟の素六《そろく》というのを、放送局舎の中から助け出したんです。帆村君は、その少女を見て、駭《おどろ》いたそうです。何でも前から知合いだったそうで……。紅子という少女は、非常に感動しやすい、どっちかというと、我儘《わがまま》も強い方の女性でした。そんな人は、読心術の霊媒《れいばい》に使うと、非常に、うまく働くんだそうです。早く云うと、帆村君は、紅子を昏睡《こんすい》状態に陥し入れ、その側へ、猿轡《さるぐつわ》をした鬼川を連れて来、紅子を通じて、鬼川の秘密を探らせたのです」
「そんなことが、出来るものかな」司令官は不思議そうに云った。
「帆村君に云わせると、いい霊媒《れいばい》を得さえすれば、わけのない事だそうです。いわば、鬼川の身体は、不逞団《ふていだん》の秘密という臭気《しゅうき》を持っているのです。紅子の方は、それを嗅《か》ぎわける、鋭い鼻のようなものです。常人には、嗅いでもわからないのに、特異性をもった紅子のような霊媒を使うと、わかるんです」
「帆村君は、それで、何を発見したのじゃ」
「彼は、第一に、閣下の偽物《ぎぶつ》が、司令部に頑張っていることを知りました。これは、わたくしも、既に気がついていたことだったので、成程《なるほど》と、信用が出来たのです」
「ほほう、君も、偽司令官を知っていたのかい」司令官は、意外な話に、驚いたのだった。
「それは閣下」湯河原中佐は、唾《つば》をグッと嚥《の》んだ。「帝都が空襲されるに当って、閣下が第一に、なさらなければならない或る重大な任務がおありだったのに、非常時が切迫しても、閣下は、お忘れのように見受けました。わたくしはそれを怪しく思いました」
「では若《も》しや……」司令官は、何に駭《おどろ》いたのか、その場に、直立不動の姿勢をとり、湯河原中佐の憐愍《れんびん》を求めるかのように見えた。
「閣下、御安心下さい」中佐は、語尾《ごび》を強めて云った。
「それは、閣下に代って、わたくしが遂行《すいこう》いたしました。閣下から信頼を受けてあの重大任務をおうちあけ願っていなかったら、わが国史上に、一大汚点を印するところでありました」
「それは、よかった――」
 司令官は、沈痛な面持をして、遥かな地点に、陳謝と祈りを、捧げるもののようであった。そういえば、湯河原中佐が、秘かに、司令官の室内に忍びこみ、鍵らしいものを盗んで、地下街の一隅に設けられた秘密の鉄扉《てっぴ》を開き、その中に姿を一時隠したことがあった。彼は、誰にも話の出来ない或る重大任務を、遂行して、国家の危機を、間一髪に、救ったのだった。その内容については、司令官と中佐と、外に数名の当事者以外には、誰も知らないことで、筆者《わたくし》も、それ以上、書くことを許されないのである。
 兎《と》に角《かく》、それは、三千年の昔より、神国《しんこく》日本に、しばしば現れたる天佑《てんゆう》の一つであった。
「帆村君は、もう一つ、大きな秘密を、探《さ》ぐり出したのです」中佐は、夢から醒《さ》めたように、語をついだ。
 司令官は、静かに、喘《あえ》いだ。
「それは、G《ゲー》・P《ペー》・U《ウー》が、次に計画しつつあるところの陰謀であったのです。だが、鬼川自身も、こっちの方については、あまり詳しいことを知っていなかったのです。唯《ただ》、戸波博士の研究所が覗《ねら》われていること、研究所襲撃の手段として、坑道を掘り、地下から、爆破しようという計画のあるのを、知ることが出来たのです。帆村君は、思う仔細《しさい》があって、今朝、紅子と手を取って、勇敢にも、大混乱の市内へ、飛び出して行ったのです。正午近くになって、わたくし達の、偵察機が、神田上空を通るとき、運よく、帆村君の、反射鏡信号を、発見したというわけです」
 中佐は、語り終って、額《ひたい》の汗を、拭った。
「帆村君」司令官は、厳粛《げんしゅく》な態度のうちに、感激を見せて、名探偵の名を呼んだ。「いろいろと、御苦労じゃった。なお、これからも、お骨折りを、願いまするぞ」
「はいッ。愛する日本のためであれば、ウーンと、頑張《がんば》りますよ」
 日頃冷静な帆村探偵も、このときばかりは、両頬を、少女のように、紅潮させていた。
「それでは、戸波博士のことは、よくお願いいたしますよ」
「わかりました」司令官は、大きく肯《うなず》いた。「草津参謀。君は、麻布《あざぶ》第三聯隊の一個小隊を指導して、直ちに、お茶の水へ出発せい」
「はいッ。草津大尉は、直《ただ》ちに、お茶の水の濠端《ほりばた》より、不逞団の坑道を襲撃いたします。終り」
「うむ、冷静に、やれよ」
 草津大尉は、側《かたわ》らの架台《かだい》から、拳銃の入ったサックを下ろして、胸に、斜に懸けた。それから、鉄冑《てつかぶと》を被り直すと、同室の僚友に、軽く会釈をし、静かに扉《ドア》を開けて出て行った。


   闇《やみ》に蠢《うごめ》くもの


「おい、蘭子《らんこ》氏、えらいことになったぞ」
 暗闇の小屋の一隅から、若い男の声がした。
「吃驚《びっくり》させちゃ、いやーよ」
 手を伸ばすと、届くようなところで、やや鼻にかかった、甘ったるい少女の声がした。
「いよいよ、これァ、大変だ」
「オーさんたら。自分ばかりで、感心してないで、早く教えてよ」
「うん。もうすこしだ――」
 軈《やが》て、カチャカチャと、軽い音がした。若いオーさんという男が、頭から、受話器を外したのだった。
「いま放送局から、アナウンスがあったがね、アラスカ飛行聯隊と、飛行船隊とが、共同戦線を張って、とうとう、青森県の大湊要港《おおみなとようこう》を占領しちまったそうだぜ」
「あら、まア、あたし、どうしましょう」
「どうするテ、仕様がないじゃないか。相手は、強すぎるんだ」
「だって、青森県て、東京の地続きでしょう。アメリカの兵隊の足音が、響いてくるようだわ」
「もっと、えらいことが、あるんだぜ」
「早く言ってしまいなさいよ。オーさん」
「飛行船隊の中から、一隻、アクロン号というのが、陸奥湾《むつわん》を横断して、唯今、野辺地《のへじ》の上空を通っているのだ」
「どこへ、逃げてゆくのかしら」
「莫迦《ばか》だなア、君は。アクロン号は、東京の方へ、頭を向けているのだよ」
「じゃ、また東京は、空襲を受けるの」
「どうやら、そうらしいというのだ。警戒しろということだ」
「いやァね。あたし爆弾の光が、嫌いだわ」
「誰だって嫌いだよ」
「でも、今夜は、大丈夫なんでしょうね」
「ところが、今夜が危いのだ。一時間百キロの速度で飛んでいるから、真夜中の十二時から一時頃までには、帝都の上空へ現れるそうだよ」
「どうして、途中で、やっつけちまわないんでしょうね」
「あっちは、飛行機では、載《の》せられないような、大きな機関砲を、沢山持っているんだ。こっちの飛行機が、近づこうとすると、遠くからポンポンと射ち落しちまうんだ」
「高射砲で、下から射ったら、どう」
「駄目だ。ウンと高く飛んでいるから、中々届かない」
「じゃ、上から逆落《さかおと》しかなんかで、バラバラと撃っちまえば、いいじゃないの」
「そこにぬかりが、あるものか。あっちには、有力な戦闘機が飛行船の上に飛んでいて、近づく飛行機を射落してしまう」
「まア、くやしい。それじゃ、敵の飛行船をみすみす通してしまうことになるじゃありませんか」
「だから、東京市民は注意をしろ、とサ」
「オーさんは、いやに、米国空軍の肩を持つのネ。怪しいわ」
「おいおい、人聞きの悪いことを云うなよ。これでも、愛国者だよ」
「どうだか判りゃしない。あたし、明日になったら、お別れするわ」
「じょ冗談《じょうだん》、云うな。折角《せっかく》、この機会に、世帯《しょたい》を持ったのじゃないか」
「世帯って、なにが世帯さア。こんな、焼《やけ》トタンの急造《きゅうぞう》バラックにさ。欠《か》けた茶碗が二つに、半分割れた土釜《どがま》が一つ、たったそれっきり、あんたも、あたしも、着たきりじゃないの」
「まだ有るぞ。ほらラジオ受信機」
「……」
「半焼けの米櫃《こめびつ》、焼け米、そこらを掘ると、焼《や》け卵子《たまご》が出てくる筈だ。みんなこの際、立派な食料品だ」
「そりゃ、お別れしたくはないのよ、本当は。あんたは、失業者で、あたしはウェイトレス。こんな騒ぎになったればこそ、あんたも大威張《おおいば》りで、物を拾って喰べられるしサ……」
「オイオイ」
「あたしも、お店が焼けちゃったから、出勤しないであんたの傍にいられるしサ、嬉しいには、違いないけれど……」
「嬉しいところで、いいじゃないか」
「でも、あんたには、愛国心が、見られないのが、残念よ」
「弱ったな。僕だって、愛国心に、燃えているんだぞ」
「アクロン号が、来るというから、あたし、考えたのよ」
「何を、考えたのだい」
「日本が興《おこ》るか亡《ほろ》ぶかという非常時に、お飯事《ままごと》みたいな同棲生活《どうせいせいかつ》に、酔っている場合じゃないと、ね」
「同棲生活※[#感嘆符疑問符、1−8−78] 同棲まで、まだ行ってないよ。六時間前にバラックを建てて、入ったばかりじゃないか」
「あたし達、若いものは、こんな場合には、お国のためにウンと働かなきゃ、日本人としてすまないんだわ」
「そりゃ、僕だって、働いても、いいよ」
「じゃ、こうしない」
「ウン」
「あたしは、サービスに心得《こころえ》があるから、これから、毒瓦斯避難所《どくガスひなんじょ》へ行って、老人や子供の世話をするわ」
「僕は、どうなるんだ」
「あんたは、外に立っていて、ヨボヨボのお婆さんなんかが、逃げ遅れていたら、背中の上にのせて、避難所へ連れて来る役を、しなさいネ」
「君が働いている避難所へなら、何十人でも何百人でも、爺さん婆さんを拾ってゆくよ」
「そして、日本が戦争に勝って、そのとき幸運にも、あたし達が生きていたら……」
「生きていたら……」
「そのときは、大威張りで、あんたの所へ行くわ」
「ふうーん」
「あんた、約束して呉れる?」
「条件がいいから、約束すらァ」
「まア、いやな人ね」
 暗闇《くらやみ》の中の男女の声は、パタリとしなくなった。

 暗闇の千葉街道を、驀地《まっしぐら》に、疾走しているのは、世田《せた》ヶ|谷《や》の自動車大隊だった。囂々《ごうごう》たる轍《わだち》の響は並木をゆすり、ヘッド・ライトの前に、濛々《もうもう》たる土煙をあげていた。
「もう七時を廻ったぞ、山中中尉」
 そういったのは、先導車《せんどうしゃ》の中に、夜光時計の文字盤を探っている将校の一人だった。
「那須大尉どのは、この車で、先行されますか」隣りにいた将校が、尋《たず》ねた。
「先行したいのは、山々だが、本隊との連絡が、つかなくなるのを恐《おそ》れる」
「なにしろ、電灯器具材料を積んでいますから、四十|哩《マイル》以上の速度《スピード》を出すと、壊れてしまう虞《おそ》れが、あるのです」
「兎《と》に角《かく》、弱ったね。すこし準備が、遅すぎたようだ」
「ですが、目的地の市川《いちかわ》へは、八時までには充分着きますから、アクロン号の襲来するのが、十二時として、四時間たっぷりはございますですが」
「四時間では、指揮をするだけでも、大変だぜ」
「松戸《まつど》の工兵学校は、もう仕事を終えている頃ですから、直ぐ応援して貰ってはどうです」
「工兵学校も、いいが、俺は、千葉鉄道聯隊の連中を、あてにしているのだ」
 何事だか、まだ判らないけれど、とにかく帝都から、程遠《ほどとお》からぬ市川町附近へ、多数の特科《とっか》隊が、夥《おびただ》しい材料をもって、集合を開始しているものらしい。
「大尉どの」闇の中から、山中中尉の声がした。
「うん」
「思い出しましたが、村山貯水池の方は、誰か行くことになっていましたでしょうか」
「村山貯水池は、臨時に、中野電信隊
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