だんだんと、帝都を後にして、引揚げてゆく模様であります。以上」
 強制団員の中には、この真面《まとも》な放送に、大満足の意を表したものさえあった。だが、敵機は、本当に、帝都の上空から、引揚げていったのだろうか?
「次に、某筋からの命令が参りましたから、お伝えします。東京地方は、警戒解除を命ず。東京警備司令官、別府九州造《べっぷくすぞう》。繰り返して読みます、エエと――」
 素六は、窓際に立っていたので、不用意に開け放たれた窓から、帝都の空を眺めることが出来た。その真暗な空には、今も尚《なお》、照空灯が、青白い光芒を、縦横無尽に、うちふっていた。高射砲の砲声さえ、別に衰《おとろ》えたとは思われなかった。なんだか、怪しい放送である。
「次に、灯火を、早くお点け下さいという命令。目下帝都内は暗黒のために、大混乱にありまして、非常に危険でございますので、敵機空襲も片づきましたることでありますからして、市民諸君は、大至急に電――」
「騙《だま》されてはいけない、市民諸君、これは偽放送《にせほうそう》だッ」
 大きな声で、保狸口のアナウンスを圧倒した者があった。
 ズドーン。
 銃声一発。
 ドタリと、マイクロフォンの前に仆《たお》れたのは、素六だった。
 指導者|鬼川《おにかわ》の手にしたピストルの銃口からは、紫煙《しえん》が静かに舞いあがっていた。
「呀《あ》ッ、素六《そろく》、素六。しっかり、おしよ。素六ちゃーん」
 鬼川は、断髪女が、仆れた少年を抱いて、大声で呼び戻しているのを見ると、又もや、ズドンと、第二発目を、紅子に向けた。しかし、それは手許《てもと》が狂って当らなかった。
 死んだのかと思った素六が、ムクムクと起き上った。
「電灯をつけては、いけない。まだ敵の飛行機は――」
 そこまで云うと、素六の頭部は、ガーンとして、何にも聞こえなくなった。保狸口が飛出して、素六を殴りつけたのだった。
 そのとき、突然、局内の電灯が、一時に消えた。
「同志、配電盤を、配電盤を……」鬼川の叫ぶ声がした。
 携帯電灯の薄明りで、室内が、更《あらた》めて眺めまわされたとき、素六の身体も、紅子の姿も見当らなかった。それに代って、大きな図体の男が、長々と伸びていた。その額からは、絹糸をひっぱり出したような血のあとが認められた。
「誰だッ」
「やッ。保狸口がやられたッ」
「保狸口が、やられたかッ。折角《せっかく》、アナウンサーの換玉《かえだま》に、ひっぱって来たのに……」
 同志は、口々に、喚《わめ》いた。
「射った奴を探せ!」
「同志の顔を、一々調べて見ろ!」
 そこへ、ドタドタと駈けこんで来たものがあった。
「市内に、電灯が点きはじめたぞ。僕たちの放送は、うまく行ったらしい。同志、出て来て見ろ!」
 ワッというと、誰も彼もが、表へとびだした。
 なるほど、今まで暗澹《あんたん》としていた空間に、あちこちと、馴染《なじみ》のある電灯が、輝きだした。電灯が点いてみると、全市を焦土《しょうど》と化してしまったかと思われた火災も案外、局部に限られていることが、判った。
「ラジオが、聞えたぞ」
「電灯も点いたぞ」
 市民は、聞きなれたアナウンサー(だと思った)の声を聞き、母の懐《ふところ》のようになつかしい電灯の光を浴びて俄かに元気をとりかえしたのだった。
 愛宕山《あたごやま》の上では、暴徒の指導者、鬼川が、一人で恐悦《きょうえつ》がっていた。
「見ろ、市民は、うまうま一杯、かつがれてしまったじゃないか。これで、大東京の輪廓《りんかく》が、はっきり浮び上るのだ。米国空軍の目標は、これで充分だ。あとは、約束の賞金にありつく許《ばか》り。では、今のうちに、こっそり、失敬するとしよう。それにしても、米軍の攻撃は、莫迦《ばか》に、ゆっくりしているじゃないか」
 彼は、裏口へ遁《に》げようとしては、不審の面持《おももち》で耳を澄した。だが、彼の予期するような爆弾投下の爆音は、一向に、響いてこなかった。
「おかしいぞ。どうしたのだろう」
 そのとき、囂然《ごうぜん》たる爆声が起った。一発又一発。それに交って、カタカタという機関銃の響きだった。
「やったナ。だが、爆弾と、すこし音が違うようだ」
 彼は、逃げ腰になった。
「鬼川君は、いないですか、鬼川君」
 誰かが、向うの放送室で呼んでいる。返事をしようか、どうしようか。
「……」
「鬼川君、軍隊だッ。救援隊らしいのが、山を登って来ますぞ。早く指揮をして下さい。鬼川くーン」
 鬼川は、物も言わずに、裏口へ急いだ。
「やッ」
 カーテンの蔭から、太い逞《たくま》しい腕がニューッと出た。鬼川は横腹をおさえて、もろくも、転倒した。
 カーテンの蔭から、ルパシカ姿の巨漢が現れた。
「中佐どの、片附けました」
 彼は、カーテンの蔭に言葉をかけた。
 カーテンが、揺れて、思いがけなく、司令部の、湯河原中佐が、顔を出した。
「塩原参謀」と中佐は、呼んだ。ルパシカ男は、いつの間にか局舎から姿を消していた塩原参謀の仮装だった。
「この男を、吾輩に預けてくれんか」
「おまかせいたします」参謀は、直立して言った。「ですが、中佐殿は、これから、どうされます」
「吾輩は、司令部の穴倉《あなぐら》へ、こいつを隠して置こうと思う。司令官に報告しないつもりじゃから、監禁《かんきん》の点は、君だけの胸に畳んで置いてくれ給え」
「しかし、斯《か》くの如き重大犯人を、司令官に報告しないことはどうでありましょうか」
「吾輩を信じて呉れ。二十四時間後には、この事件について、必ず君に報告するから」
「判りました。では、急速に、御引取下さい」中佐は、大きく肯《うなず》くと、鬼川の身体を肩に担いで、カーテンの蔭に、かくれてしまった。
 そのころ、放送局の表口では、暴徒の一団と、警備軍の救援隊とが、物凄い白兵戦《はくへいせん》を展開していた。
 全市に、点灯を命令して、米軍に帝都爆撃の目標を与えるという放送局襲撃の第一目標が、どういう手違いか、すっかり外れ、生き残りの団員は、戦闘の間々に、爆弾の炸裂音《さくれつおん》を聞きたいものだと焦《あせ》ったが、その期待は、空しく消えてしまった。
 彼等の地位は、だんだんと悪くなって、元気は氷のように融《と》けていった。
 折角うまくやったつもりの放送局占領が、筋書どおりの効目がなく、いや反《かえ》って逆の結果となり、東京市民を恐怖のドン底へ追いやる代りに、ラジオと光とは、市民たちの元気を恢復させるに役立ったのだった。同志は、それにやっと気がつくと急に、パタパタと斃《たお》れる者が殖《ふ》えてきた。
 放送局|奪還《だっかん》は、もう間もないことであった。

 某地域の地下街を占めた警備司令部では、別府司令官をはじめ、兵員一同が、血走った眼を、ギラギラさせて、刻々に報告されてくる戦況に、憂色を増していった。
「立川飛行聯隊では、大分|脾肉《ひにく》の嘆《たん》に、たえかねているようでは、ありませんか」
 一人の参謀が、有馬参謀長に、私語《しご》した。
「九六式の戦闘隊のことだろう」参謀長は、さもあろうという顔付をした。「だが、司令官閣下は、出動には大反対じゃ」
「海軍の追浜《おっぱま》飛行隊でも、同じような不満があるらしいですな」
 とうとう「不満」という言葉を使って、参謀は有馬参謀長に、暗《あん》に警告を発した。
「うん、判ってる」参謀長は、言葉をのんだ。「だが、気をつけて、口をきけよ」
「はッ」参謀は、粛然《しゅくぜん》として、挙手《きょしゅ》の礼をした。(参謀長も、飛行隊の出動命令に、不満を持っていられるんじゃ)と思った。
「司令官の御心配は、近くに起る太平洋方面からの襲撃を顧慮《こりょ》されてのことじゃ」
「そうでもありましょう。しかし、快速をもった敵機に対して、性能ともに劣った九二式や九三式で、太刀打《たちう》ちが出来る道理がありません。帝都の撃滅は、予想以外に深刻であります」
「……」参謀長は、答えなかった。
 伝令が、パタパタと駈けてきた。
「川口町《かわぐちまち》防空隊からの報告でありますッ」
「閣下」有馬参謀長は、司令官の前に直立した。「川口町からの報告が入りました。読みあげさせましょうか」
「いや、よろしい」司令官は、不機嫌に、頭を左右に振った。
「その報告書を、こっちへ、寄越し給え」将軍は、ひったくるようにして、報告の紙片を、手にとった。
「敵国航空軍と覚《おぼ》しき約十数機よりなる飛行隊は、本町《ほんちょう》上空を一万メートルの高度をとって、午後九時五十分、北北西に向け飛行中なり。以上。川口町防空隊長、網島《あみじま》少尉」
 司令官は、紙片を、掌《てのひら》のうちに握り潰《つぶ》すとポイと屑籠《くずかご》の中に、投げ入れた。
「閣下」参謀長が、やや気色《けしき》ばんで、問いかけた。「唯今の報告は、なんでありましたか」
「出鱈目《でたらめ》じゃ」司令官は、吐き出すように云った。「それより君は、部下を、ちと静かにさせては、どうか」
「はッ」参謀長は、静かに挙手の礼をすると、元の卓子《テーブル》へ帰ってきた。
(閣下は、どうかして居られる)
 参謀長は、湯河原高級副官の姿を探しもとめたが、室内には見えなかった。
(副官までが、どうかしているナ)
 ムラムラと湧きあがってくる焦燥感《しょうそうかん》を、グッと抑《おさ》えつけ、傍《かたわら》を見ると、年若い参謀は、満面を朱《しゅ》にして、拳を握っていた。参謀長は、はッと気を取直した。
「草津参謀」彼は一人の参謀に呼びかけた。
「帝都の火災は、どういう状況にあるか」
「はいッ」参謀は、大東京区域図をバリバリ音させて、その上に、太い指を動かした。「淀橋《よどばし》区、四谷《よつや》区は、大半焼け尽しました。品川《しながわ》区、荏原《えばら》区は、目下《もっか》延焼中《えんしょうちゅう》であります。下町《したまち》方面は、むしろ、小康状態に入りました」
「放送局との連絡は、ついたろうか」
「無線連絡が、もう間もなく恢復するでありましょう」
「空中襲撃の解除警報を出す用意は、出来ているな」
「はいッ。すこし、困難はありますが、やれる見込みです」
「では、閣下に、お願いして見よう」
 参謀長は、又立って、司令官の前に出た。
「閣下、解除警報を出したいと考えます」
「解除警報!」司令官は、大きく眼を開いた。「まだ早すぎる。確乎《かっこ》たる報告が集らぬではないか」
「閣下。例の怪放送者は、すでに先手を打って、敵機の退散をアナウンスして居ります。況《いわ》んや、唯今、川口町の報告によれば、敵軍は、明かに、機首を他へ向けています」
「君は、今の報告を盗み見たかッ」
「閣下、盗み見たとは、残念な仰《おお》せです。参謀長は、あらゆる報告に、一応目をとおす職責がございます」
「ウム」
「此《こ》の上は、速かに解除警報の御許可を、お与え下さい。市民は、軍部の、正しいアナウンスを、渇望《かつぼう》して居ります。一刻おくれると、市民の混乱は拡大いたします」
「敵国空軍が、川口の上空から、引返して来たとしたら、どうするかッ」
「そのときは、又、警報を出します。しかし以前の監視哨の報告三種を合わせて、敵軍は日本海方面に引揚を開始していることは、明瞭であります」
「確証がつかないのに、司令官として、解除警報を出すわけにはゆかぬ」
「どうあっても?」
「くどい、参謀長!」
 俄然、司令部の広間は、殺気立《さっきだ》った。
 将校連は、二派に別れて、司令官と、参謀長の背後に、睨《にら》みあった。
 何という不祥《ふしょう》な出来ごとだろう。帝都の運命が累卵《るいらん》の危きにあるのに、その生命線を握る警備司令部に、この醜い争闘が起るとは。
 流石《さすが》に、教養のある将校たちのこととて、無暗に、拳銃を擬《ぎ》したり、軍刀をひらめかしたりはしなかったが、司令官か、参謀長かの一言さえあれば、刹那《せつな》に、司令部の広間には、流血の大惨事が、捲きおこるという、非常に緊迫した重大な危機
前へ 次へ
全23ページ中12ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
海野 十三 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング