》、右翼は横を見て前進、放送局の守備隊と連絡をとれイ。撃ち方、始めッ」
 猛烈な機関銃隊の射撃ぶりだった。
 敵は、最初のうちは、明かに、狼狽《ろうばい》の色を見せたが、暫くすると、勢《いきおい》を盛返《もりかえ》し、手榴弾を、ポンポンと擲《な》げつけては、機関銃を、一門又一門と、破壊していった。
 東山少尉は、振笛《しんてき》を吹いて、残りすくない部下を、非常召集した。だが、敵は多勢《たぜい》で、服装に似ず、戦闘力は強かった。局舎守備隊も苦戦と見えて、連絡は、どう頑張っても、とれなかった。最後の任務を果たすために、飯坂《いいさか》上等兵と姥子《うばこ》一等兵を選抜して、東京警備司令部へ、火急《かきゅう》の報告に出発させた。少尉が、腹部を射ちぬかれたのは、それから五分と経《た》たない後だった。愛宕山高射砲隊は、ここに一兵も余さず、全滅を遂げてしまった。
 放送局の守備隊も、それよりずっと前に、同じような悲惨な運命を辿《たど》っていた。局舎内には、警備司令部の塩原大尉を首脳として、司令部付の警報班員が数名いて、最後まで頑強《がんきょう》に抵抗したが、数十倍に達する暴徒を向うに廻しては、勝てよう筈がなかった。軍人たちは、赤色灯《せきしょくとう》点《とも》る局舎のあちらこちらに、射斃《いたお》され、非戦闘員である機械係りや、アナウンサーは、不抵抗《ふていこう》を表明した。こうして、JOAKは、不可解な一隊に、占領されてしまったのだった。
 しかし、どうしたものか、局舎のうちには、塩原参謀と、杉内アナウンサーの姿が見当らなかった。死骸の中にも、無論のこと、二人を探しあてることは、出来なかった。
「さあ、皆さん」陸軍の将校の服装をした男が、案外やさしい声で、第一演奏室の真中に立って叫んだ。「放送局の衆は、こっちへ並んで下さい。同志は、あっちの方へ固まって下さい」
 彼は、軍帽を、床の上に抛《な》げ捨てた。房々《ふさふさ》した頭髪が、軍人らしくもなく、ダラリと額にぶら下った。それから彼は、胸の金釦《きんボタン》を一つ一つ外していって、上衣をスッポリ脱ぎすてた。軍服の下に現われたものは、焦茶色《こげちゃいろ》のルパシカだった。
「放送局の方々《かたがた》よ」彼は団長らしい落付を見せて、だが[#「だが」に傍点]鋭く、呼びかけた。「われわれは、戦争否定主義の者です。戦争は、即時やめさせなければならない。そうでないと、世界の平和は来ない。それには、第一に、日本が武装を捨てることだ。私が今、軍服を脱いだように。――で皆さん、僕達同志は、そういう意味に於て、この機会に世に出たのである。雷門《かみなりもん》を中心とし、下谷《したや》、浅草《あさくさ》、本所《ほんじょ》、深川《ふかがわ》の方面では、同志が三万人から出来た。貴方たちも、加盟して戴《いただ》きたい。どうです!」
 局員は、申合わせたように、黙っていた。
「返事がなければ」と、例の男が、たちまち恐ろしい面《おもて》を輝《かがやか》していった。「主義反対と見なしますぞ。われわれが、道々|執《と》って来たと同じ方法により、主義反対の者の解消を要求する」
 キラリと、ルパシカ男の手に、短銃《ピストル》が光った。
「……」
 誰も彼もが、一せいに、両手をあげた。
「それなら、よろしい。はッはッはッ」
 ルパシカ男は、短銃をポケットに収めた。
「では、戦争否定同盟の同志として、新《あら》たに命令する。大至急で、全国放送の用意をして呉れ給え」
 局員は、たじたじとなった。
「帝都の空中襲撃が終るまで、放送するのは危険です。まるで電波で、帝都の在所《ありか》を報らせるようなものですから」
「いいから、用意をし給え」
「それに軍部の命令……」
「もう一度、云って見給え。同盟の一員として判らなければ、物を云わせるぞ、君」
 ルパシカ男は、頑強に反対する一局員の胸元《むなもと》に、短銃の口を、圧しつけた。
 局員は、歯を喰いしばって、大きく肯《うなず》いた。
「承知しました。では皆、命令に従って、放送機のスイッチを入れよう」
 局員は、団員に守られて、機械室の方へ出ていった。
「おや、まだマスクを掛けている人があるじゃないか」団長はギョロリと、眼を光らせた。「もう瓦斯はないから、脱ぎ給え」
 団員は、てんでに、マスクを脱いだ。
 すると、そこには、驚くべき新事実が曝露《ばくろ》したのだった。団員の中には、多数の婦人と、中学生女学生も交っていた。全体として見ても、団員は三十歳どまりの若い者ばかりだった。その中には、互《たがい》に識《し》り合《あ》った者もいた。だが、彼等は、語ることを、団長達の前に、さしひかえなければならなかった。
 更に、驚くべきことは、この一団のうちに、花川戸《はなかわど》の鼻緒問屋《はなおどんや》下田長造《しもだちょうぞう》の妹娘の紅子と、末子《すえっこ》の中学生、素六とが、一隅《いちぐう》に慄えていることだった。
 そもそも、あの善良なる素六《そろく》少年と、モダン娘の紅子《べにこ》とは、一体どうした訳で、こんな一団に加わっているのであろうか。
 それについては、空襲下の下町方面《したまちほうめん》の情況について、少しばかり述べて置かねばならない。


   G《ゲー》・P《ペー》・U《ウー》の侵入《しんにゅう》


 下町方面は、古くから、空襲教練が、たいへん行届いている模範的の区域だった。たびたびの防空演習に、町の人々は、いつも総出で参加した。すこし芝居好きのところは、あったにしても、あれほど熱心に、灯火管制の用意に黒色《こくしょく》電灯カバーを作ったり、押入《おしいれ》を改造して、防毒室を設けたり、配電所に特別のスイッチを設《もう》けたりして、骨身を惜《おし》まないのは、感心にたえなかった。
 それが、あの本物の空襲下に曝《さら》されて、どこの区域よりも二三倍がた、混乱ぶりのひどかったことは、まことに意外の出来ごとだった。そのような大混乱の元は、なんであるかというと第一に、いつもの演習は、少壮気鋭《しょうそうきえい》の在郷軍人会の手で演じていたのが、本物の空襲のときには、その在郷軍人たちの殆んど全部が、召集されて、某国へ出征していたために、残っている連中だけでは、どうもうまく行かなかったこと。第二には、しっかりした信念がなくて、流言蜚語《りゅうげんひご》に、うまうまと捲きこまれ秩序が立たなかったこと。この二つの原因が混乱の渦巻を作ってしまった。
 鼻緒問屋、下田長造の三男で、防毒マスクの研究家だった弦三が、自作のマスクを背負って、新宿附近に住む長兄黄一郎親子に届けるために、花川戸を出たのは、敵の飛行隊が帝都上空に達するほんの直前のことだった。
 弦三は、なんのことはない、死の一歩を踏みだしたようなものだった。まず駈けつけた地下鉄の中で、彼は、避難群衆に、不穏《ふおん》の気が、みなぎっていることを、逸早《いちはや》く見てとったのだった。弦三の乗りこんだ地下電車が、構内を離れて間もなく、不穏分子の振舞《ふるまい》は、露骨《ろこつ》になって行った。
 兼《か》ねて、手筈ができていたものと見え、地下鉄の駅長は、避難してくる群衆を、無制限に地下構内へ入れすぎるという、極くつまらない理窟《りくつ》をもって、群衆の袋叩《ふくろだた》きに合ったのだった。暴徒の一味は、群衆が、興奮した様子につけこんで、今度は、切符売場を襲撃したのだった。金庫は、みるみる破壊され、銀貨や紙幣が、バラバラと撒き散された。群衆は恐さも忘れて、慾心《よくしん》まるだしに、金庫を目懸けて突進した。五十銭銀貨を一枚でも、掌《てのひら》の中につかんだものは、強奪の快感の捕虜となって、ますます興奮を、つのらせて行った。五円紙幣を手に入れたものは、顔までが、悪魔の弟子のようになった。獣心《じゅうしん》が、檻を破り、ムラムラと、飛びだした。一味の者は、細心の注意をもって、機会を見ては、巧みに、煽動した。居合わせた婦女子は、駭《おどろ》きのあまりに、失心《しっしん》する者が多かった。正義人道を口にするものが、四五人もいて頑張れば、群衆の冷静さを、幾分とりもどせたろうと思われたが、誰もが呆然自失《ぼうぜんじしつ》していて、適当な処置を誤《あやま》ったのだった。一味の計画は、すっかり、図に当った。
「××人が、本当に暴れだしたぞォ」
「東京市民は、愚図愚図《ぐずぐず》していると、毒瓦斯で、全滅するぞ。兵営に、防毒マスクが、沢山貯蔵されているから、押駆けろッ」
「デパートを襲撃して、吾等の払った利益をとりかえせ」
「国防力がないのなら、戦争を中止しろッ」
「放送局を占領しろッ」
 などと、さまざまな、不穏指令《ふおんしれい》が、街頭に流布《るふ》された。
 警官隊も、青年団も、敵機の帝都爆撃にばかり、注意力が向いていて、暴徒が芽をだしはじめたときに、早速《さっそく》苅りとることに気がつかなかった。
 暴徒一味の煽動は、さまざまの好餌《こうじ》を、市民の中にひけらかし、善良な人達までが、羊の皮を被った狼に騙《だま》されて、襲撃団の中に参加したのは、物事が間違う頃合いにも程があると、後になって慨《なげ》かれたところだった。
 若い青年男女は、鮎《あゆ》のとも釣[#「とも釣」に傍点]のようなわけで、深い意味もわからず、その団体に暴力を以て加盟させられた。一味幹事の統制ぶりは、実に美事であった。いろいろな別働隊が組織され、各隊は迅速《じんそく》に、行動に移った。
 長造の妹娘の紅子《べにこ》と、末ッ子の素六《そろく》とは同じような手で、参加を強《し》いられた。
 長造とお妻が、涙をもって止めたが、それは何の役にも立たなかった。馴染《なじみ》の誰々さんも入っている――たったそれだけのことで、若い人達の参加を決心させるに充分だった。「放送局を襲撃しろッ」
 ハッキリと、加盟団の指令が出たときには若い人達は、やっと気がついた。だが、それは、もう遅かった。幹部の手には、物々しい武器が握られていた。反抗したが最後、その兇器が物を云うことは、いくら若い連中にもよく解った。
 紅子と素六とは、恐怖と反省とに責められながら、放送室の一隅に、突立っていた。
 放送局襲撃隊の指導者は、鬼川壮太《おにかわそうた》といった。
「放送準備は、まだ出来ないのかネ」鬼川は団員の一人に訊いた。
「もう直ぐです」団員は答えた。「いま、水冷管《すいれいかん》に冷却水を送り始めました」
「電気は、来ているのですか」
「猪苗代水電《いなわしろすいでん》の送電系統は、すっかり同志の手に保持されています。万事オーケーです」
 指導者鬼川は、満足そうに肯《うなず》いた。
「放送準備が出来ましたよ」
 奥の方から、これも電気係りの団員が、大声で報せて来た。
「よおし。では、始めよう」
 鬼川は、チラリと時計を出して、云った。
「午後九時四十分か。保狸口《ほりぐち》君、手筈どおり全国アナウンスをして呉《く》れ給《たま》え」
 保狸口と呼ばれた団員は、ニヤニヤと笑うと、ポケットから細く折った半紙をとり出して、マイクロフォンの前に立った。
「J、O、A、K」
 素六や紅子たちは、その声を、何処かで、聞き覚えのある声だと思った。
「大変お待たせをいたしました」保狸口は云うのだった。「唯今やっと、放送許可が出ましたような次第でございます」
 素六は、やっと、気がついた。保狸口という男は、地声《じごえ》か、声帯模写《せいたいもしゃ》かはしらないが、声だけ聞いていると、なんのことはない、放送局の杉内アナウンサーと、区別のつかない程似た声音をもって居り、その音の抑揚《よくよう》に至っては、よくも真似たものだと、感心させられた。この放送を聞いたものは、JOAKが例の調子で、放送をやっているものと、簡単に信じるだろうと思われた。
 それにしても、保狸口は、これから一体何事を喋ろうというのだ。
「第一に、申上げますことは、皆さん、御安心下さい。マニラ飛行聯隊の帝都空襲は、一と先ず一段落をつげました。敵機は
前へ 次へ
全23ページ中11ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
海野 十三 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング