、兄達に手製のマスクを届けようと、負傷の身を堪《こら》えてどうやら此の場所まで来たところを、自制のない群衆のため、無残にも踏み殺されたものであって、弦三は死んだが、その願いは、極《きわ》どいところで達せられたことを髯男が知ったなら、彼はどんな顔をして駭《おどろ》いたことであろうか。いや、あとで、黄一郎親子が、マスクの裏に記された「弦三作《げんぞうさく》」の銘《めい》に気がついたなら、どのように叱驚《びっくり》することだろうか。
 しかし、そのときは、一切が夢中だった。黄一郎親子は、仮りの避難所である塵箱《ごみばこ》の中に居たたまらず、一と思いに死ぬつもりで蓋を払ったところを、思いがけなく防毒マスクを被されたので「助かるらしい」と感じた外は他を顧《かえりみ》る余裕《よゆう》もなかったのだった。しかも、背後には、恐ろしい火の手が迫っていた。黄一郎親子は、感謝すべき肉身の死骸の直ぐ傍に立っておりながらも、遂にそれと気付かず、蒸し焼きにされそうな苦痛から脱れるため、後をも見ずに逃げだした。
 それに続いて、髯男が、やっと気がついたらしい印袢纏《しるしばんてん》の男を、引立てながら、これも逃げだ
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