す」弦三は嬉しそうに呟《つぶや》いた。「僕は、東京市民の防毒設備に、サッパリ安心が出来ないのです。行かせて下さい。いつも僕のこと想っていてくれる兄さんに、一刻《いっこく》も早く、この手製のマスクを、あげたいんです」
 感激の嗚咽《むせび》が、静かに時間の軸の上を走っていった。
「よォし。行って来い」長造がキッパリ云った。「いや、兄さん達のために、行ってやれ。だが、気をつけてナ……」
 あとには言葉が無かったのだった。
「じゃ、行ってまいります」
 これが、弦三と一家との永遠の別れとなったことは、後になって、思い合わされることだった。
「弦――」
 母親のお妻が、我児を呼んだときには、弦三の姿は、戸外《そと》の闇の中に消えていた。
 非常管制の警報は、いつしか熄《や》んでいた。
 外は咫尺《しせき》を弁《べん》じないほど闇黒《まっくら》だった。
 弦三は、背中に、兄に贈るべきマスクを入れた包みを、斜に背負い、自分のマスクは、腰に吊し、歩きづらい道を、どうかして早くすすみたいと気を焦《あせ》った。
 市内電車は、路面に停車し、車内の電灯は真暗に消されていた。これは、架空線《かくうせん》とポ
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