スルスルと、蟹《かに》の横匍《よこば》いのように壁際《かべぎわ》を滑《すべ》っていった。そして軈て中佐がピタリと止ったのは、「司令官室」と黒い札の上に白エナメルで書かれた室だった。
 奇怪な湯河原中佐は、扉《ドア》の鍵穴に、なにものかを挿し入れてガチャガチャやっていたが、やっと扉が開いた。
 ものの五分と時間は懸らなかった。司令官室で何をやったのであるかは判らぬけれど、再び中佐が姿をあらわしたときには、非常な決心をしているらしく、顔面神経《がんめんしんけい》がピクピク動いているのが、廊下灯《ろうかとう》によって写し出されたほどであった。このとき、中佐の両手は、ポケットのうちにあった。
 彼は再び、元来た路を、とってかえすと、司令部広間の扉《ドア》の前を素早く通り、それから後はドンドン駈け出して行った。
 中佐の身長が、その先の階段に跳ねあがった。十段ばかり上ると、そこに巌丈《がんじょう》な鉄扉《てっぴ》があって、その上に赤ペンキで、重大らしい符牒《ふちょう》が無雑作《むぞうさ》に書かれてあった。中佐はそれには眼も呉れず、扉のあちらこちらを、押えたり、グルグル指を廻したりしているうちに、
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