胸にかけていたプリズム双眼鏡を外《はず》して、曹長の方へ、さし出した。
「はッ」曹長は、一礼してそれを受けとると、機上から上半身を乗りだして、遥かの下界を向いて双眼鏡のピントを合《あわ》せた。
「見えないか」
「判りましたッ」
「どうだ」
「焼土《やけつち》ばかりです。附近に、家らしいものは、一軒も見えません」
「戦争じゃからナ」中佐は、気の毒に耐えぬといった調子で、今から一と月程前までは、社会局の名事務員だった浅川岸一を慰《なぐさ》めたのだった。
「浅川は、司令部の御命令で、昨夜は、立川飛行聯隊の宿舎に閉じこめられ、切歯扼腕《せっしやくわん》していました。この上は、早く敵機に、めぐり逢いたいであります」
小さいけれど、彼の懐しい裏長屋は、影すら見えなかった。そこには、用務員をしている父|亀之助《かめのすけ》と、年老いた祖母と、優しい母と、ダンサーをしている直ぐ下の妹|舟子《ふなこ》と、次の妹の笛子《ふえこ》と、中学生の弟|波二《なみじ》とが、居た筈だった。彼等は、憎むべき敵機の爆弾に、蹴散らされてしまったのだった。今頃は、どこにどうしていることやら。生か、それとも死か。彼は、折角《
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