分《いいぶん》をじっと聞いていた鍛冶屋軍曹は、やがて、強い感動をあらわしていった。
「よくわかったぞ。……少年たちは任務に忠実で、実に感心したぞ。それから靴屋のおじさんもこの非常時におちついて仕事をはげんでいるのには感心した」
「でも、あかりを消さないから、非国民だい」
「これこれ、もうすこし黙っていなさい。……そこで少年たちよ。今後、帝都が空襲されることは、たびたびあろうと思う。空襲警報もたびたびでて、何時間も非常管制がつづくことだろう。ところがいまは平時とちがって、戦争中だ。戦争は軍人だけでは出来ない。沢山の品物が入用だ。国民は、平時よりも仕事が忙しくなる。すこしでも仕事を休むことは国家の損なのだ。非常管制のたびに、全国の工場が仕事を休むとしたら、戦争に使う品物の製造は間に合うだろうか」
「……」
 少年は皆、黙っている。
「品物が間に合わんと困る。いま、お前たちのゴム靴に穴があいていたとしよう。直しにやったが、非常管制で穴を直すことができなかったらどうだろう。お前たちは穴のあいた靴を履《は》いて、往来を歩いている。そこへ敵の飛行機が糜爛性《びらんせい》の毒瓦斯イペリットを落した。さあ漂白粉《さらしこ》をバケツに入れてその上に撒かないと、沢山の市民が中毒する。さあ行け、といわれたとき、穴のあいたゴム靴を履いていて、それでイペリットの上を歩けるかね――」
 鍛冶屋軍曹の言葉は、火のようにあつかった。
「それは歩けないだろう。靴の穴が直っていなけりゃ、消毒に行けないし、無理に行こうものなら、穴からイペリットが染みこんで、足の裏が火ぶくれになる。ひどければ、そこから身体が腐り出して死んじまう。そうなるのも、元は何から起ったことだといえば、非常管制のとき靴屋の仕事を休んだためだ。どうだわかったろう。――灯火管制で、外から灯を見えなくすることは防衛上もちろん必要なことだ。だがサァ空襲だ、ソレ電灯のスイッチをひねって真暗にしてしまえ……では感心できない。外からちっとも見えなくすると同時に、家の中で仕事が出来るようにして置くのが、もっともゆきとどいた灯火管制のやり方だ。そういう人は非国民どころか、甲の上の模範国民だ、そうだろうが……」
 非国民と悪口をいった靴屋のおじさんが、模範国民だと聞かされて、少年たちは眼をパチクリ。どうして、靴屋のおじさんにあやまろうかと、小さい頭を寄せてコソコソ囁《ささや》いていたが、やがて、一人の少年が一番前に出て、直立不動の姿勢をとると、両手をあげて大声で叫んだ。
「甲の上の、靴屋のおじさんとおばさん、バンザーイ」
「うわーッ、バンザーイ。バンザーイ」
 思いがけない万歳の声に、靴屋のおじさんは、びっくり仰天したが、ハラハラと涙をこぼし、溝板《どぶいた》に立ちあがるなり、
「忠勇なる少年諸君、バンザーイ。……おじさんも仕事をはげむから、どうか御国のために、帝都の防衛のことはみなさんによく頼んだよ。おじさんは嬉しい……」
 そういう声の下に、そこにニコニコと立っていた鍛冶屋の鉄造の胸にワッといってすがりついた。


   孝行の防毒室


 防空飛行隊の強行偵察のかいもなく、帝国領土内に侵入したと思われた敵機の行方はついにわからなくなってしまった。防衛司令部へは「敵機ヲ発見セズ」という報告ばかりが集ってきた。各地の監視哨からも、なんの新しい報告も入ってこない。――帝都の附近は、午後十一時になって、ひとまず非常管制が解かれた。
「空襲警報解除! 只今より警戒管制!」
 こんな夜更《よふけ》に、睡《ねむ》りもやらぬ少年団は、命令一下、まっくらな町を、寺の塀外を、そしてまた溝板のなる横町を、メガホンを口にあて大声で知らせて歩いた。
 警戒管制に入ったので、町は少し明るくなって、住民たちは蘇生《そせい》の思《おもい》だった。防護の人々は、交替に休むことになった。
 どこからともなく、ホカホカと湯気の立つ握飯が運ばれてきた。大きな西瓜《すいか》をかつぎこんでくる紳士もあった。少年たちを、それぞれ家に帰らせようとしたが、なかにはどうしても帰らないで、この天幕《テント》の隅で寝るというがんばり屋もあった。とにかく帝都の町々は、ちょっと、ひといきついたという形だった。
 旗男少年は、どうしたのであろうか。彼は今朝東京へ帰って来たが、いろいろ旅のつかれで弱りこんでいるのだろうか。そういえば、彼の姿は、防護団のなかにも見えなかったが。
 いや、その心配はしないでよろしい。この朝、旗男は家へかえると、すぐ弟と妹とに手伝わせて防毒室を作りにかかったのだ。
 旗男は両親と相談して、洋間の書斎を第一防毒室にすることにきめた。そしてまず、窓のガラスは、外から大きな蒲団《ふとん》でかくし、その上に、長い板をもってきて、蒲団をおさえつけるようにして両端をとめた。これなら爆弾のひびきでガラス窓がこわれ、そこから毒瓦斯が入ってくるという心配はない。
 その次は、畳をあげて、床板の隙間に眼張をはじめた。兄弟三人ともお習字の会に入っていたので、手習《てならい》につかった半紙の反古《ほご》がたくさんあったから、これに糊をつけて、二重三重に眼張をした。それができると、その上に新聞紙を五枚ずつおいて畳を敷いた。これで床下からくる瓦斯は防げる。
「こんどは窓框《まどわく》と窓の戸との隙間と、それから壁の襖《ふすま》の隙間に、紙をはるんだよ」
 洋間風にこしらえた部屋だったから、隙間はわりあいに少かった。
 扉が二つあったが、一つは諦めて眼張をした。一つの扉から出入りすることにして、その内側には毛布でカーテンをおろした。
 これは昨夜、汽車の中で鍛冶屋の大将のやったのを見習ったのだった。――これで、第一防毒室はできあがった。しかし、仕事はそれですんだのではなかった。
 こんどは、防毒室の前の部屋に、同じような眼張をした。これが前室だった。
「いいかね。外から入ってくるときは、この前室をとおって、それからもう一つ奥の防毒室に入るんだよ。つまり家の外の毒瓦斯は途中に前室があるので、奥の防毒室には瓦斯がほとんど入ってこないというわけさ」
「あら、うまいことを考えたのね。どこで教わってきたの」
「なァに、『空襲警報』という本があったのを知っているだろう。あれを本箱の中にしまっておいた。それを、今日は引ぱりだして、見ながら作っているんだよ。ハッハッハッ」
「まあ、その本をしまっておいてよかったわね、兄さん」
「さあ仕事はまだある。急いで急いで」
 旗男は、さらに竹男と晴子とをうながして、前室にあてた八畳の部屋にある押入の中のものをドンドン外に出して、この押入に眼張をほどこした。
「兄さん、ここは、お手伝いさん用の防毒室なのかい」
「そうじゃないよ。お手伝いさんも皆と一緒だ。これは、万一、第一防毒室が壊れても逃げこめるように作ったんだ。つまり第二防毒室さ」
 旗男は、これでもう大丈夫だと思った。それに防毒面が一つあるから誰か時々これをかぶって外に出て、ちょっと防毒面と頭の間に指で隙間をつくり、嗅《か》いでみればよい。
 窒息性のホスゲンは堆肥くさく、催涙性のクロル・ピクリンはツーンと胡椒《こしょう》くさく、糜爛性のイペリットは芥子《からし》くさいから、瓦斯のあるなしはすぐわかるのだ。
「お父さんも、お母さんも、もう安心ですよ。すっかり防毒室が出来ました」
 両親は旗男たちの働きを、病床から涙をだして喜んだ。旗男の旅行で、遅れていた家庭の防護設備も、兄弟の協力でどこの家にも負けないくらい堅固に出来あがった。
 三人の兄弟は、にわかに腹がドカンとへったのを覚えた。そこへ、お手伝いのお花《はな》さんが山のように握飯をもって入ってきた。三人はウワーといって、まわりから手を出した。
「ああ、おいしい」
「町の防護団でも、いま、おにぎりを食べていますのよ。ホホホホ」
 お手伝いさんは笑ってつげた。
 夜は、不安をみなぎらせたまま、だんだんと更けていった。ひどく蒸暑い夜だった。
 防護団は時間をきって、警戒員を交替させた。衛生材料がいっぱいつまった赤い十字のついた大きな箱が配給されてきた。どこからどこへ行くのか、重機関銃をもった一隊の兵士が、粛々と声もなく通りすぎていった。
「鍛冶屋の大将。今夜は来ないらしいね」
「おお分団長。警報は出ないが、しかし油断はならないぜ」


   暁の空襲警報


 茨城県|湊《みなと》町の鮪船《まぐろぶね》が四|艘《そう》、故郷の港を出て海上五百キロの沖に、夜明を待っていた。
 その鮪船は、いずれも無線の送受信機とアンテナとを備えていて、魚がとれると、遠く内地海岸の無線局を呼び、市場と取引の打合せをすることができるのであった。
 磯吉《いそきち》という漁夫の一人が、用便のために眼をさました。東の空は、もうかなり白みがかっていた。舳《へさき》に立つと、互に離れないように、艫《とも》と艫とを太い縄で結びあわせた僚船の姿が、まだ寝足りなそうに浮かんでいるのが見えた。この天気では、今日もどうやら不漁《しけ》のような気がする……と思いながら、彼は明けゆく海原を前にして、ジャアジャアと用をたしはじめた。
 そのときであった。
「はてな、変な音がする……」
 彼はふと遠い空から、異様な響《ひびき》の聞えてくるのをきいたのだ。
「ああ、そうか。……こいつはまた海軍の演習にぶつかったかな」
 海にくらしている彼等にとって、何よりも嬉しいことは、思いがけぬ海上で、わが艦隊の雄姿を見ることだった。これも、演習で、海軍機が飛んでいるんだろう。……
「だが、海軍機にしちゃ、すこし音が変だな。非常に音が高いし、その上、おそろしく響く音だ! なんだろう」
 磯吉はまだ気がつかず、ボンヤリと眺めていた。怪音は、すばらしい速さで、ゴウゴウと大きくなってきた。音の来る方角が始めてわかったので、磯吉は好奇心にかられながら、なおも空を見上げていると、やがて晴れゆく朝霧の向こうに認めた機影!
 一機、二機、三機、……
 いやそれどころではない。たいへんな数だ。しかも驚いたのは、その飛行機の形だ。まるで蝙蝠《こうもり》を引きのばしたような、見るからに悪魔の化身のような姿! 長いこと飛行機は見てくらしたが、こんな飛行機を見たのは、後にも先にもたったいまが始めて……。
「あッ、これァ大変だ!……起きろ起きろ、みんな! 妙な飛行機が通っているぞう!」
 磯吉はドンドン足を踏みならしながら、大声で呼ばわった。その音に、漁夫たちは、下から裸のままゾロゾロと駈けだしてきた。
「あッ、これはいけねえ」
 と叫んだのは、昨年航空隊から除隊して来た太郎八《たろはち》という若者だった。
「……変なところを飛んでいるが、これは確かにS国の超重爆撃機だ。……さあ早く、これを○○無線局に知らせなきゃァ」
 敵機の大集団きたる! この鮪船からの警報は、それから数分ののちに、○○無線局を経て東部防衛司令部に達した。――
「○○無線局発。午前五時十五分、北緯三十六度東経百四十三度ノ海上ニアル茨城県湊町在籍ノ鮪船第一|大徳丸《ダイトクマル》ハ有力ナルS国軍用機ノ大編隊ヲ発見ス、高度約二千メートル、進路ハ西南西。超重爆撃機九機ヨリナル爆撃編隊七隊ナリ。以上」
 超重爆六十三機の一大爆撃編隊の強襲だ!
 防衛司令部は、俄《にわ》かに活気づいた。
 警報の用意が命ぜられた。
 五百キロの海上だとすれば、あと二時間位で帝都の上空に達するはずだった。海上の防空監視はむつかしい。
 この発見がもうすこし遅かったら、どうなったろう。思っても冷汗が流れる。
 用意は出来た。
 香取司令官は、厳然として「空襲警報」を下命した。
 警報の発令と同時に、防空飛行隊にも出動命令がくだった。つづいて高射砲隊などの地上防空隊へも、それぞれ戦闘命令が発せられた。
 マイクロホンの前で、中内アナウンサーは、命令遅しと待つほどもなく、香取司令官は手をあげた。
「ラジオ放送で一般に通報せよ。――司令部発表、南及び北関東地区、午前五時二十分、空襲警
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