報発令!」
アナウンサーは、司令官の命令を復誦した。
「よろしい。落ちついて放送せよ」
アナウンサーは大きくうなずいて、マイクロホンに向かって唾《つば》をのんだ。さすがに顔の色がちがっている。
伝令があわただしく駈けてゆく。参謀が地図の上に赤鉛筆で数字を書き込む。副官が奥の戸棚から大きな掛図を小脇にかかえてきて、下士官に渡す。下士官は要領よくそれを壁に掛けてゆく。
ジ、ジ、ジーとしきりにベルが鳴る。着剣《つけけん》をした警戒兵がドヤドヤと入ってきて、扉の脇に立つ。――防衛司令部の中はまるで鉄工場のように活発になった。
暁の夢を破られた市民は、ドッと外にとびだした。サイレンがブーッ、ブーッと息をつくように鳴っている。夜霧でびっしょり濡れた朝の街路の上を拡声器から出るラジオの音がガンガンと響いてゆく。
「……空襲警報……空襲警報が発せられました。敵機は約二時間以内に帝都上空に現れるものと見られます。あッ……、ただ今、防衛司令官から諭告が発せられる模様であります。……香取閣下を御紹介いたします」
それにつづいて、香取将軍の重々しい声が響いてきた。
「私は香取中将であります。先程の発表にありましたるごとく、有力なるS国爆撃機隊は太平洋上より刻一刻、帝国本土に接近しつつあります。本官は既に防衛諸部隊に命じ、虐非道の敵隊の撃滅を期しております。さりながら悪運のつよき敵機の一部が、本土内に潜入するやも計りがたく、ここに於て忠勇なる国民諸君の、一大奮起をお願いする次第であります。沈勇と忍耐と協力とにより、完全なる防護を尽くされんことを希望してやみません。おわり」
このラジオを聞いた東京市民は、ただちに立って、大日本帝国万歳を絶叫した。暁の町から町を、熱血みなぎる声は、つよくつよくこだましていった。
恐ろしき空中作戦
正確にいうと、午前七時二十分――怪翼を左右にひろげた敵の爆撃機は、ついに帝都の上空にその姿をあらわした。
「おお、来た来た。あれが敵機だッ」
「うーン、やってきたな。さあ落せるものならどこからなりと、爆弾を落してみやがれ!」
市民は南の空をにらんで、覚悟を固めた。
しかし、敵機は、どこを潜《くぐ》って帝都上空に侵入して来たのだろう。
さきに、太平洋の鮪船から発した「敵機見ユ……」の警報にあったとおり、S国の日本空襲部隊は、超重爆撃機九機よりなる編隊を、次々に連ねて、東京へ東京へと、爆音もの凄く進撃をつづけたのであった。
わが防空監視船の警報は、あとからあとから防衛司令部へとどいた。
「爆撃機ハ九機ノ編隊七箇ヨリナル」
「爆撃編隊ハ高度約二千メートル、針路ハ真西ナリ」
「針路ヲ西南西ニ変ジタリ」
「只今上空ヲ通過中ナリ」
こうしてS国の空襲隊の様子は、手にとるようにわかって来た。
防衛司令部からの命令で、志津村と谷沢《たにざわ》村との防空飛行隊に属する戦闘機○○機は、すでに翼を揃《そろ》えて飛びだした。
ところが敵空襲部隊は、本土にあともう百五十キロというところで、急に陣形を変えた。
モロレフ司令官は、光線電話をもって、第一編隊長ワルトキンに、いそいで命令した。
「ワルトキンよ。貴隊は犬吠崎《いぬぼうさき》附近から陸上を東京に向かい、工業地帯たる向島《むこうじま》区、城東《じょうとう》区、本所《ほんじょ》区、深川《ふかがわ》区を空襲せよ。これがため一|瓩《キログラム》の焼夷弾約四十トンを撒布《さっぷ》すべし!」
「承知! 我等が司令! 直ちに行動を始めん」
焼夷弾を積んだこの第一編隊は、本隊から離れると、犬吠崎をめがけて驀進《ばくしん》していった。
「第二編隊長、ミルレニエフ」
「おう、われ等が司令。破甲弾の投下準備は既に完了しあり」
「貴官は東京湾上より北上して、まず品川駅を爆撃したる後、丸《まる》の内《うち》附近より上野駅附近にわたる間に存在する主要|官公衙《かんこうが》その他重要建造物を爆撃し、東京市東側地区の上空に進出すべし。但し、東京市上空に進入の時期は第一隊より五分後とす」
「承知」
第二編隊は爆撃隊だった。
すぐに機首を西南の方に廻して、本隊を離れていった。
「第三編隊長、ボロハン!」
「おう……」
この編隊は、地雷弾と毒瓦斯弾とを半分ずつ持っている。
「貴隊は松戸《まつど》附近より、東京の北東部にでて、まず環状線道路及び新宿駅を爆撃破壊したる後、東京市北部及び西部の繁華なる市街地に対し瓦斯弾攻撃を行い、住民をして恐怖せしめ擾乱《じょうらん》を惹起《じゃっき》せしむべし!」
「承知!」
第三編隊も、隊列を離れていった。第四編隊と第五編隊とは毒瓦斯と焼夷弾、第六編隊は地雷弾をもって、川崎《かわさき》横浜《よこはま》方面の爆撃を命ぜられた。毒瓦斯弾と細菌弾とを持った第七編隊にも特別な命令がくだった。
恐るべき作戦だった。このまま彼等の思い通りに爆撃が行われるとしたら、東京、横浜、川崎の三市は、数時間のうちに死の都となってしまうだろう。
司令官は、第七編隊を率いて進撃しつつ、ニヤリと笑って、
「さあ、これからいよいよ日本帝国を亡ぼし、東洋全土をわがS国植民地とするその最初の斧《おの》をふりおろすのだ。ああ、愉快!」
と、航空地図上の日本本土の横腹に、赤鉛筆で大きな矢印を描き、更に日附と自分のサインを誇らしげに書きいれた。
空中の地獄
空襲して来た敵機隊との最初の空中戦は、銚子《ちょうし》海岸を東へ去ること五十キロの海原の上空で始まった。――志津飛行隊に属する戦闘機隊が、敵の第一編隊を強襲したのだった。……
つづいて、その南方の海面の上空で、谷沢飛行隊と、敵の第二編隊とが出合い、ここでもまた物凄い地獄絵巻がくりひろげられていった。
グワーン、グワーンとうなる敵の機関砲。
ヒューンといなないては宙返りをうち、ダダダダダーンと、敵機にいどみかかるわが防空戦闘機。
あッ、戦闘機が翼をうちもがれて、グルグルまわりながら落ちてゆく。と見る間に、敵の一機も真黒な煙をひいて撃ち落された。
こうした激しい空中戦が、敵の各編隊を迎え、相模湾《さがみわん》上でも、東京湾の上空でも行われた。
口径四十ミリの敵の機関砲は、思いの外すごい力をもっていた。わが戦闘機は、敵に迫る前に、この機関砲の餌食《えじき》となって、何台も何台も撃ちおとされた。
しかし、その間に、敵機の数もまた一台二台とへっていった。勇猛果敢なわが戦闘機は、鯱《しゃち》のように食下って少しも攻撃をゆるめないのだ。上から真逆落《まっさかおと》しに敵機へぶつかって組みあったまま燃落ちるもの――壮烈な空の肉弾戦だ。
敵の陣形はすっかり乱れた。
舵《かじ》をかえして、太平洋の方へ逃出すものがある。のがすものかと追いかける戦闘機、中には逃足を軽くするため、折角《せっかく》積んで来た五トンの爆弾を、へど[#「へど」に傍点]のように海上へ吐き出して行くのもあった。
ただ、各編隊を通じて十機あまりは、雲にまぎれて戦闘の攻撃機をのがれ、東京へ東京へと、呪《のろい》の爆音を近づけつつあったのだ。
しかし、東京の外側を幾重にもとりまく各高射砲陣地が、どうしてこれを見のがそう。ねらいすました弾丸は、容赦もなく敵機に噛《か》みついていった。
翼をくだかれて舞いおちるもの。
火災を起して、大爆音とともに裂けちるもの。
傷ついてふらふらと不時着するもの。
数十分前に、意気高く「東京撃滅!」を叫んだあの六十三機の大空軍は、今その姿を失おうとしている。
だが、安心するのはまだ早い。東京湾上の雲にひそんだ一機、二機、三機――が死物ぐるいに帝都の空へ迫っているではないか。
爆撃下の帝都
魔鳥のような敵機の姿はついに品川沖に現れた。海岸の高射砲は一せいに火蓋《ひぶた》をきった。その煙の間を縫うようにして、見る見る敵機は市街の上……。
けたたましい高射機関銃の響が八方に起こった。
敵機の翼の下から、蟻《あり》の卵のようなものがパッととびだした。その下は、ああ、旗男たちの住む五反田の町!
「あッ、爆弾投下だッ。うわーッ、この真上だぞう……」
この爆弾の雨をみた旗男は、高台を駈けおりながら、大声で叫んだ。――彼は空襲の知らせを聞くと、病める両親をはじめ家族たちをすぐ防毒室の中に入れ、あとのことをお手伝いさんと竹男に頼むと、自分は少年団の一人として、町にとびだしてゆくところだった。そのとき旗男は大事な持物を忘れなかった。右肩には防毒面の入ったズックの鞄《かばん》を、また左肩には乾電池で働く携帯用のラジオ受信機を、しっかり身体につけて出た。
「うわーッ、あれあれ。爆弾だ、爆弾だ」
「あわてるなあわてるな。落ちるところを注意していろ!」
鍛冶屋の大将は大童《おおわらわ》で防護団を指揮していた。
町々からは恐怖の悲鳴がまいあがる。
ガラガラガラガラ!
ドドーン、ドドーン!
破甲弾よりは、ややひくめながら叩きつけるような大音響とともに、パーッとたちのぼる火炎《かえん》の幕!
うわーッという凄惨《せいさん》な人間の叫び!
町まで出てきた旗男は実をいうと、気が違いそうであった。しかしここで気が違っては日本男子ではないと思って、一生懸命、自分の手で自分の頭をなぐりつけた。ゴツーン、という音とともに感ずるズズーンという痛み、そこでハッと気がついた。
「あッ、焼夷弾が……」
向こうの屋根に小型の爆弾が落ちたと思うと、パッと眼もくらむような光が見えた。
「こっちだ、こっちだ」
「おお」
鍛冶屋の大将が声を聞きつけとんできた。
「オイ皆、早く消しにゆけ。防火班、全速力だッ!」
手近にいた者が駈けだそうとすると、その前に、またつづけさまに三発、ドドドーンと白煙が天に沖《ちゅう》する。
「うわーッ、やられたッ……」
と鍛冶屋の大将が叫んだと思うと、どうと倒れた。
「おお、担架《たんか》、担架」
「イヤ何、大したことはない」
大将はムクムクと起き上ってきて手を高くあげた。
「砂だ、砂だ。オイお前は、ホースを引っぱれ。早く早く。落ちついて急げ!」
防護団はあまりの強襲にあって、頭がカーッとして、何がなんだかわからない。
手あたり次第、眼にとまった方に駈けだしてゆく。これではいけない。もっと落ちつかねば……と気がついた旗男は、ふと天幕《テント》の中に、赤い房のついたラッパを見つけた。
「そうだ、これだッ」
旗男は天幕の中にとびこんで、ラッパをつかむより早く、口に当てて、タタタァ……と吹鳴らし始めた。それは勇ましい戦闘ラッパだった。
タッタ タッタ タッタ タッタ タッタ タッタ
「おお、戦闘ラッパが鳴っている!」
「おお、あれは誰が吹いているのだろう」
嚠喨《りゅうりょう》たるラッパの音を聞いた人々は、にわかに元気をとりもどし始めた。
「おお、旗男君。さすがに、やるなァ!」
と鍛冶屋の大将は頭をふった。そして腹の底から声をふりしぼって叫んだ。
「そォらッ! 今あわてちゃいかん。がんばれがんばれ。あと十分間の我慢だ!」
火災は幸《さいわ》いにして、日頃の訓練が物をいって大事に至らずにすんだ。
「……瓦斯《ガス》だッ、瓦斯、瓦斯!」
坂上から、伝令の少年が自転車に乗って駈けくだってきた。
「ホスゲンだ、ホスゲンだ。……防毒面を忘れるな」
「毒瓦斯が流れだしたぞう……」
恐怖の的の毒瓦斯弾が、落ちたらしい。それっというので、防護団の諸員はお揃《そろい》の防毒面をかぶった。警報班員は一人一人、石油缶を肩からつって、ガンガン叩いて駈けだす。
「瓦斯は坂の上の方から下りてくるぞ。防毒面のない人はグルッとまわって風上へ避けろ。なるべく高い所がいいぞ。そこを、右へ曲って池田山《いけだやま》へ避難するんだ!」
旗男は後に踏みとどまって、坂上から徐々に押しよせてくる淡緑色の瓦斯を睨みながら、さかんに手をふった。彼は、勇敢にも時々防毒面と頭との間に指ですき間をつくり、瓦斯の臭《におい》をかぎわ
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