はいらないぞ、分団長!」
神崎分団長は、鉄造の言葉にすっかり感動してしまって、強い握手をもとめた。
「ああ、よく教えてくれた。やはり日露戦役に金鵄勲章《きんしくんしょう》をもらってきただけあって、鍛冶屋上等兵はえらいッ!」
「オイオイ、上等兵なんかじゃないぞ、軍曹だぜ!」
「ああ、そうかい。軍曹かい。これは失敬。もっとも、のらくろ二等兵なんかもこのごろ、少尉に任官したそうだからね。ましてや君なんか人間で……」
「こらッ!」
大分ヨボついているが、この後備軍人たちも相当なものだった。これから世界一を誇るS国空軍の強襲をうけようという場合にもかかわらず、平然と、いつものような冗談をいいあうほど、くそおちつきに落着いていた。
神崎分団長は、そこで肚《はら》をきめて、命令を発した。少年達を召集して、警護、警報、交通整理、避難所管理の各班に分属させること、救護班、防火班、防毒班、工作班は大人がやること……、これでやっと分団長の気は楽になった。
「オウ、分団長はいますかァ……」
と、自転車で駈けつけてきたのは、警報班長の髪床屋《かみどこや》の清《せい》さんだった。
「分団長は、ここだここだ。清さん清さん」
声を聞きつけて、清さんは、青い顔を天幕《テント》のなかに入れた。
「あのゥ、これは大きな声でいえないことだけれど、実は、いま新宿駅のそばを通ってきたんですがね、駅のところは黒山の人なんで……」
「黒山の人? 喧嘩《けんか》か、流言か」
「まァ流言の部類でしょうね。その群衆はてんでに荷物をもって、甲州方面へ避難しようというのです。なんでもいよいよ今夜あたり、帝都は空襲をうけて、震災以上の大火災と人死《ひとじに》があるというのです。だから、帝都附近は危険だから、甲州の山の中に逃げこもうという……」
「ナ、ナ、ナ、ナーンだ。帝都から逃げ出す卑怯者が、そんなに沢山いるのか。それは日本人か」
と、鍛冶屋の大将は、真赤になって怒りだした。
「それがね。めいめい大きな荷物をしょいこんで、押合いへし合いなんです。女子供が泣き叫ぶ、わめく、怒鳴る、その物凄いことといったら……」
「憲兵や、警官はいないのか」
「いるんでしょうけれど、とてもあの群衆は抑えきれませんよ。……それで思うんですが、避難するなら早くやらないといけない。ぐずぐずしていると避難民はますますふえてきて、列車に乗れなくなりますよ。……全く帝都にいるのは危険だ」
「ほう……」
と分団長は驚きの色をあらわし、
「そんなことが始まるかもしれないと思っていたが……」
敵機いよいよ迫る
「貴様は……」
鍛冶屋の大将は憤然として、清さんの胸ぐらをとった。
「キ、貴様は逃げる気か。逃げたいのか。空襲をうけようとする帝都を捨てて逃げるのか!」
「あッ、苦しいッ、ハハ放せッ。……俺は逃げないが、弱い家族は逃がしたい……」
「ば、ばかッ!」
鍛冶屋の大将は、清さんを突きとばした。彼はヨロヨロとなり椅子《いす》につきあたると、ドーンとひっくりかえった。
「こーれ、よく聞け」
鉄造は一歩前に出て悲痛な声をはりあげ、
「貴様はそれでも、天皇陛下の赤子《せきし》かッ! 大和民族かッ、五反田防護団員なのかッ! 恥を知れッ」
まァまァと分団長が中に入ったが、鉄造はそれをふり払いまた一歩前進した。
「忠勇なる帝都市民は、たとえ世界一の空軍の空襲をうけて、爆弾の雨をうけようが、焼夷弾の火の海に責められようが、帝都を捨てて逃げだそうなどとは思っていないぞ。こんどの国難においては、われわれ市民も立派な戦闘員なんだということがわからんか。考えてもみろ、貴様の家では、家族がみな逃げちまって空家《あきや》になっているとする。そこへ敵の投下した焼夷弾が、屋根をうちぬいて家の中に落ちてきた。さあ、この焼夷弾の始末は誰がするのだ。おい、返事をしろ」
「……」
清さんは、赤くなって下を向いたきりだ。
「焼夷弾は、落ちて三十秒以内に始末しなかったら、火事になることはわかっている。空襲下で火事を出すのが、どんなに恐《おそ》ろしいことか思っても見ろ。貴様の家の火事がわれわれの努力を水の泡にして、この五反田の町を焼き、帝都を灰にしてしまう。それでも貴様は日本人か。貴、貴様というやつは……」
「ワ、わかった、鉄さん。お、おれが悪かった」
清さんは、膝で歩きながら、鍛冶屋の大将にすがりついた。
「鉄さん、おれたちは日本人たることを忘れていた。……どんな爆弾が降って来ようと、自分の家を守る。この町を守る……どうか勘弁してくれ」
「そうれみろ。貴様だってわかるんじゃないか。わかれば何もいわない。……警報班長なんて委《まか》せておけないと思ったが、もう大丈夫だろうな」
「ウン、大丈夫! ウンと活動するぞ、おれは外で働き、家の方は女房を防護主任にしてやらせる」
「鉄さんのおかげで、わが防護団は俄然《がぜん》強くなった。さあ、二人で握手しろ」
分団長は、二人の手をとってにぎらせた。
「あッはッはッ」
「大いにやるッ。ハッハッハッハッ」
日没とともに、警報班の灯火管制係の活動は、目に見えて活発になってきた。なかでも鍛冶屋の大将の息子で、いつも少年ながら父親の向鎚《むこうづち》をうっている兼吉《かねきち》は、親ゆずりの忠君愛国の精神にもえ、少年団の先頭にたって、西へ東へと、教えられた通り、定められた街灯を消してまわっていた。少年たちは五人一組となっていたが、持ちものは、長い梯子《はしご》が一つと、高いところに届く竿が二本――それは、先のところが三つまたに割れ、その先を繃帯《ほうたい》でグルグル巻いてあった。その三つまたを街灯の電球へおしつけ、竿を左まわりにねじると、電球がソケットからすこし抜けてもどるため、あかりが消える仕掛だった。
少年たちが、この作業のときに一番気がついたことは、共同の力の大きいということだった。
昔、毛利元就《もうりもとなり》は三本の矢を一度に折ることのむつかしいことから、協力の大事なことを説いたが、いま少年たちは、五人で力を合わしさえすれば、大人がやっとかつげるような重い梯子もらくらくと運べ、大人がやるよりも、遥《はる》かに多くの街灯をはるかにはやく消してあるくことのできるのを知ったのだ。
帝都にはまったく夜のとばりが下りた。
そば屋の掛看板にも灯が消えた。町のネオン・サインもついていない。自動車のヘッドライトには、紫と黒との二重の布がかぶせられた。飛行将校の話によると、夜間飛行でもかなり低空にくだってくると、地上で吸っているタバコの火がハッキリと見えることさえあるそうだ。懐中電灯にも、被《おおい》がいる。上から直接見える火は、ことに用心しないといけない。
午後八時十五分! 突如として、ラジオが鳴りだした。
「東部防衛司令部です。只今警報が発せられる模様であります……」
昨日から、中内アナウンサーは、おおわらわの奮闘だった。五百万の市民は、このなじみ深いアナウンサーが、いま何を告げようとするのかと、胸おどらせながら、拡声器の前に集ってきた。
「これァ、いよいよS国の超重爆が攻めてきたんですよ」
「さあ、これは大変だ。うちじゃ防毒室の眼張の糊《のり》がまだかわいていないので」
「なぜ、もっと早くこしらえなかったんだい」
「それが、あわてているものだから、糊を作ろうと思って、鍋《なべ》を火にかけてはこがし、かけてはこがし、とうとう三べんやり直した」
「それで、今度は出来たかい」
「ところが、やっぱり駄目、仕方がないから冷飯を手でベタベタ塗ったんだが、つばき[#「つばき」に傍点]がついているせいか、なかなかかわかない。あッはッはッ」
「こらッ、警報が出るんじゃないか。シーッ」
不気味な沈黙が、ヒシヒシと市民の胸をしめつけていった。
「……警報! 警報! 只今関東地方一帯に空襲警報が発せられました。直ちに非常管制に入って下さい。……復誦《ふくしょう》いたします。只今……」
そのとき、サイレンが、ブーッ、ブーッと間隔をおいて鳴りだした。これに習うように、工場の汽笛がけたたましく鳴りだした。
五反田防護団では、警報班長の清さんが、天幕《テント》の中で、大声に叫んでいる。
「警報班のみんな。空襲警報だッ。直ちに受持区域に『空襲!』と知らせて廻れ、出動、始め!」
と、妙な号令のかけかたをした。
天幕の前にメガホンをもって並んでいる少年が二十人。半数は自転車で、他の半数は二本の足で、今にも飛出すばかりに身構えていたのだ。班員はサッと挙手の敬礼をすると、
「さあ、行こう!」
と叫んで、それぞれの受持区域にむかって、砲弾のように駈けだした。
防空飛行隊の活躍
志津《しづ》村の飛行隊は、緊張のてっぺんにあった。
帝都から、数十キロほどはなれた、この飛行場には、防空飛行隊に属する諸機が、闇のなかに、キチンと鼻をそろえて並んでいた。
今しも三機の偵察機が、白線の滑走路にそい、戦闘機の前をすりぬけるようにして、爆音勇ましく暗《やみ》の夜空に飛びだした。
場外に出ると、三機はそれぞれ機首を別々の方向に向けて、互に離れていった。前に出発した三機と合わせて、六機の偵察機の使命は、某方面から入った警報にもとづき、敵機を探しに決死の覚悟でとびだしたのだった。
「まだ、その後の報告はないか」
と、屋上の司令所にがんばっている隊長は、通信班長の軍曹にたずねた。
「はッ、まだであります」
「遅いなあ。何もわからぬか」
「はッ、さきほど報告いたしましたとおり、敵機らしきものから打ったあやしい無電をちょっと感じましたが、その方向をつきとめないうちに、怪電波は消えてしまいました。北西の方向らしいとわかったきりで、明瞭《めいりょう》でありませぬ」
「敵機は、よほど用心しているな。相当に高く飛んで来ているように考えられる」
そのとき、通信兵がツカツカと室に入ってきて、一枚の紙片を軍曹に渡した。
「あッ。……ただ今、先発隊の第二号機から通信がありました。――『本機ニ二三〇三地点ニ達セルモ敵機ヲ発見スルニ至ラズ』……とあります」
「あッ。……ただ今、先発隊の第二号機から通信がありました。――『本機ニ三〇三地点ニ達セルモ敵機ヲ発見スルニ至ラズ』……とあります」
防空飛行隊が暗夜に必死の活動をつづけている間、帝都では、非常管制をはじめ、あらゆる防護の手段が着々として用意されていった。
五反田の裏通《うらどおり》では、闇の中に、防護団の少年と住民との間に、小ぜりあいが始まっていた。
「おじさん。どうしても灯を消さないというのなら、僕は電灯をたたきこわしちゃうがいいかい」
「そんな乱暴なことをいうやつがあるか。電灯の笠には、チャンと被《おおい》がしてあるし、窓には戸もしめてあるよ。外から見えないからいいじゃないか」
「だって、皆が消しているのに、おじさんところだけつけておくのはいけないよ。敵の飛行機にしらせるようなものじゃないか。おじさんは非国民だよ」
「なに非国民! これは聞きずてにならぬ。子供だからと思って我慢していたが、非国民とはなんだ。おれはこんなに貧乏して、ゴム靴の修繕をやり、女房は女房で軍手の賃仕事をしているが、これでも立派に日本国民だッ。まじめに働いているのがなぜ悪いんだ。仕事をするためには、下にあかりを出さなきゃできやしないぞ」
「だって、空襲警報の出ている少しの間だけ消せばいいのじゃないか。それをやらないから、非国民に違いないや。オイ皆、いくらいっても駄目だから、電球をとってしまおうよ」
ワーイという少年の声、家の中からキャーッとあがる悲鳴、靴屋のおじさんは棒をもって少年の方に打ちかかってきた。
「コラ、待て、この非常時に、喧嘩するのは誰だッ」
バラバラと近づく足音――格闘の中に飛びこんできたのは鍛冶屋の大将だった。
「なんだ、これァ……防護団の少年と、靴屋さんじゃないか」
「そうだよ、靴屋だよ……」
「まてまて、これァどうしたのだ」
そこで、靴屋のおじさんと少年たちとの言
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