な行動を起したものらしい。自転車のベルが、しきりと鳴りひびくのが、旗男の耳にのこった。


   高射砲陣地


 高田の歩兵第三十連隊の本隊は、日本海を越えて其方面に出征していた。あとには留守部隊がのこっていたが、これには臨時に、三|箇《こ》中隊の高射砲隊が配属されていた。
 川村国彦中尉は、その第三中隊長だった。敵機をうち落す高射砲、プロペラの音によって、敵機の位置をさがす聴音機、空を昼間のようにあかるくパッと照らす照空灯などが、この中隊に附属していた。それらは川村中尉の自慢のたねだった。兵員と機械とがまるで一人の人間の手足のように、うまく動くのであったから。
 営門をくぐるのも遅しとばかり、中尉はサイド・カーから下りた。そして、いそぎ足で、連隊長の室に入った。
「おお、川村中尉か」
 留守連隊長の牧山《まきやま》大佐は椅子《いす》から立ちあがった。
「せっかくの休暇が台なしになったのう。……さあ、そこで連隊命令を伝える」
 川村中尉は不動の姿勢で、連隊長の命令書を読むのをまった。
「第○野戦高射砲隊ハ、既定計画ニ基キ陣地ヲ占領シ主トシテ高田市附近ノ防空ニ任ゼントス。各中隊は速《すみや》カニ出発シ、第一中隊ハ鴨島《かもじま》ニ、第二中隊ハ柳島《やなぎしま》ニ、第三中隊ハ板倉橋《いたくらばし》附近ニ、陣地ヲ占領スベシ。終」
 いよいよ出動命令が発せられたのである。川村中尉は、固い決心を太い眉《まゆ》にあらわして、おごそかに挙手の敬礼をした。そして廻れ右をすると、活発な足どりで連隊長の室を出ていった。
「高射砲第三中隊あつまれ!」
 中尉の号令を待ちかねていたかのように、部隊はサッと小暗《おぐら》い営庭に整列した。点呼もすんだ。すべてよろしい。そこで直ちに部隊は隊伍《たいご》をととのえて、しゅくしゅくと行進をはじめた。
 市街を南へぬけて左へ曲ると、そこは板倉橋だった。――中隊は橋を中心として左右に散って陣地をつくった。――聴音機の大ラッパは暗黒の空に向けられ、ユラリユラリと重そうな頭をふった。敵機の来る方向はいずこだろう?
 不気味な夜は、音もなく更《ふ》けていった。
 午後九時になると、とうとう非常管制が布《し》かれた。サイレンの唸《うなり》、ラジオの拡声器から流れてくるアナウンサーの声。「空襲、空襲!」と叫びながら走ってゆく防護団の少年。「灯火《あかり》をかくして下さァい!」と消し忘れた家の戸を叩《たた》くけたたましい音。……そんなものがゴッチャになって、町や村は必死の非常管制ぶりだ。
 午後九時半、○○海に出動していた第四艦隊から報告が来た。
「艦隊ハ午後九時二十分北緯四十度東経百三十七度ノ洋上ニ於《おい》テ、高度約二千|米《メートル》ヲ保チ、南東ニ飛行中ノ敵超重爆撃機四機ヲ発見セリ、直チニ艦上機ヲ以《もっ》テ急追攻撃セシメタルモ、天暗ク敵影ヲ逸《いっ》スルオソレアリ」
 これで敵機の強さがわかった。やはりS国が世界に誇る超重爆撃機をもって攻めてきたのだ。それは、一台にすくなくとも五トンの爆弾を積んでいるはずだ。爆弾にもいろいろあるが一トンの破甲弾《はこうだん》なら、十階の鉄筋コンクリートのビルディングも、屋上から一階まで抜けてメチャメチャになる。しかし敵機の持ってくるのは大部分が焼夷弾《しょういだん》であろう。これには一キロ以下のや二十キロ位のやいろいろある。落ちて来るとたちまち三千度の熱を出し、鉄でもなんでもトロトロに焼き熔《と》かしてしまうのだ。この焼夷弾をドンドン落して、日本の燃えやすい市街を焼きはらってやろうというのが、敵の作戦なのだ。
 また、なかには恐ろしい毒瓦斯弾《どくガスだん》も交っているかも知れない。その毒瓦斯にもいろいろある。
 それをまかれると、やたらにクシャミがでて、しまいには頭痛|嘔吐《おうと》になやむジフェニール、クロールアルシンなど、また涙がポロポロ出てきて、眼があけられず、胸が痛みだすというピクリン瓦斯。また嗅《か》げば肺臓がはれだし、息がとまって死ぬようなことになるホスゲン瓦斯、もっとひどいのはイペリット瓦斯で、身体に触れるとひどくただれ、大きな水ぶくれができ、だんだん目や肺や胃腸をわるくしてゆくという恐ろしいものだ。その外にもまだ秘密にしている新毒瓦斯があるというから、それも持ってきて撒くにちがいない。――ああ、地獄の世界は、見まいとしても、もう一時間か二時間のうちに、見られるのではないか。われらの準備はできているかしら。……
 突如、高射砲陣地に、連隊からの警報電話が入ってきた。
「第四艦隊発警報。――敵ノ超重爆撃機二機ヲ、遂《つい》ニ南方ニ見失エリ。他ノ一機ハ高角砲ニヨリ粉砕《ふんさい》シ、他ノ一機ハ海中ニ墜落セシメタリ。本艦隊モ駆逐艦一隻損傷ヲ受ケタリ」
「超重爆撃機二機ヲ南方ニ見失エリ」――ああ、それではいよいよやって来るぞ。
 おお、憎むべき空魔!
 その空魔は、いまや刻一刻、わが海岸に近づきつつある。……


   深夜の空襲


 ピカリ――
 と、暗黒の空に、真青な太い柱がとびあがった。
 照空灯だ!
 太い光の柱は、生物のようにぐうっと動きながら、夜の空をかきまわした。それにぶっちがいに、また地上から別の照空灯の光がサーッと閃《ひらめ》いた。どっちも、同じような場所を探している。――とたんに、いいあわしたように、光の柱はパーッと消えた。あたりは再び闇となった。しかし照空灯の強い光の帯だけが、いつまでもアリアリと眼の中に残っていた。どっちもかなり遠方で、方角からいうと、直江津よりもだいぶん東の方だ。海岸に陣地をしいている部隊が敵機を探しているのらしい。
 川村中尉は、聴音機の上にとびのって、聴音手のそばにピッタリ身体をよせていた。さっきまで首をふっていた大きな聴音ラッパは、今は天の一角をさしてすこしも動かない。――ついに敵機の爆音をとらえたらしい。
 ヒラリと中尉は地上にとび下りる。
 ピリピリピリピリ。
 注意せよ?――というしらせだ。
「……各個に対空射撃用意ッ!」
 だが、高射砲はまだ沈黙して、ウンともスンともいわない。
 そのときゴウゴウゴウと、天の一角から、底ぢからのある聞きなれない怪音がひびいてきた。――すわッ! 敵機近づく!
 その刹那《せつな》だった。
 サーッと、白竜のように、天に沖《ちゅう》した光の大柱! それが、やや北寄りの空に三、四条、サーッと交叉《こうさ》した。
 とたんに、空中に白墨でかいたようにまっ白に塗られた怪影があらわれたのだった。――兵はブルンと慄《ふる》えた。恐ろしいからではない。待ちに待った敵機をついにとらえたからだ。なんとも奇怪なS国超重爆撃機の形!
 ドドドドーン。
 ダダダダーン。グワーン、グワーン。
 照準手が合図を送ると、砲手が一《ヒ》イ二《フ》ウ三《ミ》イと数えて満身の力をこめて引金を引いたのだった。
 ズズーン。
 グワーン、バラバラバラバラ。
 天空高く、一千メートルとおぼしき高度のところに、ピカピカピカピカと、砲弾が炸裂《さくれつ》して、まるで花火のようだ。
 だが敵機は、照空灯を全身に浴びたまま、ゆうゆうと砲弾の間を飛んでいる。
「ウヌ、ちょこ才な……」
 高射砲にはすぐに新しい七十ミリの砲弾がつめかえられ、砲手はすばやく引金を引いた。砲弾は、ポンポンと矢つぎばやに高空で炸裂する。しかし敵機は憎らしいほど落ちついている。――そればかりか、機体の腹のところについていた縞《しま》が崩れて、なにか白いものがスーッと落ちてきた。
「あッ、やったぞ、爆弾投下だッ……」
 誰かが大声で叫んだ。
 白い爆弾の群は、斜に大きな曲線をえがいて落ちてくる。……一秒、二秒、三秒……。
 ヒューッ、ウウーンという不気味な唸音《うなりおと》をきいたかと思ったその瞬間、
 グワ、グワ、グワーン。
 ドドドドーン。
 ガン、ガン、ガン、ガン。
 目がくらむような大閃光《だいせんこう》とともに、大地が海のようにゆらいだ。ものすごい大爆発! まぢかもまぢか、聴音機の大ラッパがたちまちもげて火柱の間を縫《ぬ》うように吹きとんでゆく。それをチラリと見たが……。
「ウウーン。ば、万歳!」
 悲痛なさけびごえ。
 それにしても、ものすごい狙《ねらい》だ。わが部隊をぶっつぶそうとてか、破甲弾をなげおとしたのだった。
「……照準第一、あわてるなッ」
 どこからか、川村中隊長のさけぶ声が響いてきた。
「中隊長どの、平気の平左であります……」
 タダダダーン。シューッ。ダダダダーン。
 勇猛なる兵は、手足をもがれても、部署から離れぬ。砲弾は、照空灯の光の柱をおいつづける。もう一弾!
 それ、もう一弾!
 ピカピカピカと、空中に奇妙な閃光が起ると見る間に、ぶるンぶるンと異様な空気の震動――とたんにパッと咲いた真赤な炎! あッという間もなくメラメラと燃えひろがり、クルクルクルとまわりだした。
「うん、命中だ。敵機は墜落するぞう!」
「バ、バンザーイ」
 敵機は、すっかり炎につつまれて、舞いおちる。……
「……さあ、残るはもう一機だッ。もう一がんばりだ。はやく探しあてるんだ」


   伸びくる毒の爪


 それまで直江津の町は、幸いにも、夜襲機の爆撃からまぬかれていた。
 旗男は、不安な面持で、高田市方面と思われる方角の空と地上との闘いをみつめていた。空中に乱舞する照空灯、その間に交って破裂する投下爆弾、メラメラと燃えあがる火の手、遠くからながめても恐ろしい焼夷弾の力!
「あれが、この町の上に降ってきたんだったら、今ごろは冷たい屍《しかばね》になっているかもしれない……」
 町いったいは、申分《もうしぶん》のない非常管制ぶりだった。直江津の全町は、まったく闇の中に沈んでいた。旗男は、この町の防空訓練のゆきとどいていることに感心していた。
 そのとき、けたたましく半鐘《はんしょう》が鳴りだした。
「オヤッ……」
 と思って、ふりかえってみると、火事だ。近くの国分寺の方角だ。
「オヤオヤ、変だぞ」
 火事は一箇所と思いのほか、町の南にあたる安国寺の方角にも起っている。そこへもう一つ、東の方に現れた――黒井の窒素《ちっそ》会社の方角だ。――爆弾もなにも降ってこないのに、一時に三箇所の火事だなんて、どうもおかしい! と、思っていると、少年が二人ほど自転車にのって通りかかった。彼等は声を合わせてどなってゆく……。
「火の用心! 火の用心! 皆さん火に気をつけて下さい。一軒から必ず一人ずつ出て警戒していて下さいよう。いまの三箇所の出火は、どうもこれもS国のスパイがやった仕事ですよう」
「ナニ、S国のスパイ」
 スパイは、だにのようにしつこく、この直江津の町に食いついているのだった。なぜ、この小さい港町が、スパイにねらわれるのだろう。同時に三箇所から起った火事というのも不思議だったが、やがて町の人には、そのわけがわかるときが来た。それは突然、音もなく町の上に落下してきた爆弾の雨!
「焼夷弾だッ……」
 と気がついたときには、既に遅かった。
 いわゆる爆弾とよばれる破甲弾や地雷弾とちがって、あまり大きな破裂音をたてない。だが投下弾は、民家の屋根を貫き、天井をうちぬいて畳の上や机の横に転がり、そこではじめてシュウシュウと、目もくらむような眩しい光をあげて燃えだすのだ。
 そしてアレヨアレヨという間に畳も柱もボーッと燃えだした。たちまち室内は一面の火の海となり、なおも隣家の方へ燃えひろがっていった。
 まったく手の下しようもない。みるみる火勢はものすごさを加えていって、往来へとびだしてみると、もう屋根の上へ真赤な炎が、メラメラと顔をだしていた。早く逃げなければならないが、この強い火の海にとりまかれてはどちらへ逃げてよいかわからない。まったく気のつきようが遅かった。三十秒以内に、落ちた焼夷弾のまわりの畳や襖《ふすま》や蒲団《ふとん》などの燃えやすい家具に、ドンドン水をかけてビショビショに濡《ぬ》らせばよかった。すると焼夷弾がクラクラに燃えさかり、はげしい火の子を吹
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