には、彼以外の全家族が入っているのだ。皆、マスクがない。その室はすっかり密閉され、隙間隙間には目ばりを施し、その内側へはカーテンを二重に張り廻し、天井は天井で消毒剤が一面に撒いてあるのだった。マスクのない代りに、一時|凌《しの》ぎの瓦斯避難室を作ったわけだ。マスクの主人は、とりもなおさず一家の警戒係をつとめているわけだった。彼の側にはさらし粉が入ったバケツが三つも並んでいた。イペリットのような皮膚に対して糜爛性《びらんせい》の毒瓦斯が襲来したときには、その上に撒いて消毒するためだった。
 表通りを消防自動車の走ってゆく騒然たる響きがする。消防隊員は、死物狂いで、敵の爆弾のために発火した場所を素早く消し廻っているのだった。理解と沈着と果断とが、紙のように燃えやすい市街を、灰燼《かいじん》から辛うじて救っているのだった。


   最後の勝利者


 ――昭和×年十一月、焼土の上にて――

「よくまア、めぐりあえて、あたし……あたし……」
「うん、うん。お前もよく、無事で……」
 灰になった家の前で二人は抱きあっていた。そこは嘗《かつ》て、彼等が平和な家庭生活を営んでいたその地点だった。

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