ら
すばらしい人気だった。
「二十世紀の文福茶釜は、こちらでござい。これを一度みないでは、二十世紀の人だとはいえない。これを見ないで、二十世紀の科学文化をかたる資格はない。東京第一の見世物はこれでござい。
坊っちゃん、お嬢ちゃん、さあ、いらっしゃい。学童諸君も大学生諸君も、早く見ておいたがよろしい。社会科に関係あり、理科に関係あり。
このめずらしい『鉱物』を見おとしては一代の恥《はじ》ですよ。さあ、いらっしゃい。入場料はびっくりするほどやすい。たった三十円です。こどもさんは大割引のたった十円」
観音堂《かんのんどう》のうらにあたる空地《あきち》に、本堂そこのけの背の高い大きな小屋がけをし、サーカスそっくりのけばけばしいどんちょう[#「どんちょう」に傍点]やら大看板《おおかんばん》、それに昔のジンタを拡大したような吹奏楽団《すいそうがくだん》が、のべつまくなしに、ぶかぶかどんどん。
この大宣伝政策はみんな、かの大学生|雨谷金成《あまたにかねなり》、いや、この興行主《こうぎょうしゅ》の雨谷狐馬《あまたにこま》が、頭の中からひねりだしたもの。
花形大夫《はながただゆう》の二十
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