ないから、苦学《くがく》でもしてつづけたらどうじゃ」
 と皆からいわれ、それではというので、その気になってまた東京へひきかえした金成君だった。
 金成君は、それから友人たちにもきいて歩いたけっか、にぎやかな新宿へ出、鋪道《ほどう》のはしに小さな台を立て、そのうえに、台からはみだしそうな、長さ二尺の計算尺を一本よこたえ、それからピンポンのバットぐらいもある大きな虫めがねを一個おき、その横に赤い皮表紙の「エジプト古墳小辞典《こふんしょうじてん》」という洋書を一冊ならべ、四角い看板灯《かんばんとう》には、書きも書いたり、

[#ここから3字下げ、19字詰め、罫囲み]
 ――古代エジプト式手相及び人相鑑定
 三角軒ドクトル・ヤ・ポクレ雨谷狐馬《あまたにこま》。なやめる者は来たれ。
 クレオパトラの運命もこの霊算術《れいさんじゅつ》によりわり出された。エジプト時代には一回に十五日もかかった観相《かんそう》を、本師は最新の微積分計算法《びせきぶんけいさんほう》をおこない、わずかに三分間にて鑑定す。
 見料《けんりょう》一回につき金三十円なり。ただしそれ以外の祝儀《しゅうぎ》を出さるるも辞退せず。

前へ 次へ
全174ページ中64ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
海野 十三 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング