敬白。
[#ここで字下げ終わり]
と大変なことが書いてある。
三角軒ドクトル・ヤ・ポクレの雨谷狐馬とは、いったいなんのことやらわけがわからないが、そこはその新宿《しんじゅく》という盛《さか》り場《ば》のことゆえ、わけのわからない人間もかなりたくさん歩いている。
「エジプト式の占師《うらないし》なんて、はじめてお目にかかるね。話のたねにちょいとみてもらおう」
などと寄ってくる。
そのおかげで雨谷君は、開店第一日には純所得《じゅんしょとく》として金二百八十円をもうけ、二日目には金三百九十円をといううなぎ上りの収入をえた。これが午前中は学校の講義を聞き、午後一時から店を出して夕がた六時ごろまでのかせぎであった。なかなかぼろいもうけだと、かれは気に入った。
雨谷君の商売の話をくわしく書けばおもしろいのだが、それは本篇の事件にはあまり関係がないので、あまりのべないこととし、関係のあることだけを書きつづるが、三日目にはかれは思い切って、おなじ露店商《ろてんしょう》から電気コンロとお釜とお釜のふた[#「ふた」に傍点]とを買って如来荘《にょらいそう》へもどった。
かれの考えでは、いままではほかの食堂で露命《ろめい》をつないでいたのであるが、露店商売をはじめてみると、なかなか時間が惜しくて、店なんかあけていられないし、それにあの商売はとても腹がへるので、食堂で食うよりも自分でめし[#「めし」に傍点]をたいて食った方が、経済であるという結論をえたので、いよいよ文字どおり自炊生活《じすいせいかつ》をはじめることにしたのである。
その夜八時ごろから、一時間ばかりかかって、とてもやわらかいめし[#「めし」に傍点]ができた。それを茶わんで、じかにしゃくって、こんぶ[#「こんぶ」に傍点]のつくだに[#「つくだに」に傍点]をおかずに、
「ああ、うまい、うまい」
と六ぱいもたべて満腹した。
満腹《まんぷく》すると、雨谷君の両方のまぶたがきゅうに重くなり、すみにたたんで積んであった夜具《やぐ》をひきたおすと、よくしきもせず、その中へもぐりこんでしまったのだ。
珍妙《ちんみょう》なる怪異《かいい》は、そのあとにはじまったのである。
お釜がとつぜん、ことこと左右にからだをゆすぶったのである。そして、ゆすぶっては休み、休んではゆすぶった。お釜のふた[#「ふた」に傍点]がだんだんずれて、やがて大きな音をたてて下に落ち、茶わんとさら[#「さら」に傍点]をこわしてしまった。
雨谷君は、その音におどろいたか、ぱっとはね起きたが、お釜の方をちょっと見ただけでまたドーンと横に倒れて、ぐうぐうと眠ってしまった。
大金《おおがね》もうけの種《たね》
お釜は、ことこと、ことこと、と左右にからだをゆすぶっている。
お釜の中にネズミがはいっているわけではなかった。またお釜のかげで、ネコがからだを動かしているわけでもなかった。お釜は、ひとりでからだをゆすぶっているのだった。
それは運動力学の法則に反しているように思われた。他からの力がくわえられないで、金属製の釜が動くはずはなかった。
それとも電気の力か、磁気《じき》の力が、そのお釜にはたらいているのであろうか。いやいや、そんな仕掛けは、この部屋の中に見あたらない。
動くはずはないのに、お釜は実際ことことからだをゆすぶっている。
動いているのがほんとうであるかぎり、お釜には力がはたらいているのだと思わなくてはならない。その力はいったいどこにはたらいており、そしてその力の源《みなもと》はどこにあるのだろうか。
お釜の持主である大学生|雨谷《あまたに》君は、なんにも知らず、なんにも考えないで、しきりにいびきの音を大きくしているだけだった。
そのうちにお釜は、はじめにおしり[#「おしり」に傍点]をすえていた場所よりも、すこし前の方へ出てきた。そしてあいかわらず、からだを左右にぐらぐらとゆすっている。
それは一時間ばかりかかったが、お釜は壁ぎわから出発して、たたみ[#「たたみ」に傍点]一枚を縦《たて》に旅行し、そして夜具のはしからはみ出している雨谷の足首のそばにまで接近した。そのとき雨谷君は寝がえりをうった。かれの太い足が動きだして、いやというほどお釜にぶつかった。
「あいたッ」
おどろいてかれは目をさまし、ふとんをはねのけて、その場にすわりなおした。そしてしきりに目をぱちぱちして、あたりを見る。
「ありゃりゃ、お釜をひっくりかえしたぞ」
お釜はひっくりかえり、おしり[#「おしり」に傍点]が上に、さかさまになっていた。
「あああ、ごはんがたたみ[#「たたみ」に傍点]の上へぶちまかれちまった」
彼はお釜をおこし、その中へ、たたみ[#「たたみ」に傍点]の上に散ら
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