は別のものに化成され、または合金《ごうきん》にされることはあるが、金属そのものを製造することはない――というひともあろう。つまり金属である銅とか鉄とかは、はじめからそういう形でこの地球に存在しているのであって、銅とか鉄などが製造または創造されるというのはおかしい。そういう抗議が出そうな気配《けはい》がする。
しかし、たしかに針目博士は“金属を創造する”と書いてあるのだ。ウラニュウムをぶちこわしてカルシュウムを製造または創造するとはいわないであろうか。
いや、それは潔癖《けっぺき》にいうと、製造ではないし、もちろん創造ではない。アダムのからだから肋骨《ろっこつ》を一本取り去ったとき、その直後のアダムのことを、前のアダムから製造したといわないのと同様である。
そうなると、針目博士が使用した“金属の創造”というのは、いったいどんな意味なのか、深い謎のベールに包まれているように感ずる。――まあ、そのことは、今は大目に見のがすこととして、“金属Q”というものはいったい何だと、ちょっと考えてみなければなるまい。
Qなどという記号の元素は、九十二または九十三の元素表《げんそひょう》の中にまったく見出されない。そうすると、金属Qなるものは、それ以外の新元素かもしれないと考えられる。これは誰でもそう考えるだろう。
つまり針目博士は、新金属Qをはじめて作りだす研究をやっていたものであるとするのである。元素表はもういっぱいであるのに、新元素があってたまるものかとも考えたくなる。どんな奇抜な方法によって、新元素を作り出したつもりでも、けっきょくは元素表にある元素の一つであるか、あるいはその同位元素であるというところに、収斂《しゅうれん》してしまうのがおちであろう。
だが、ここにもう一度よく考えてみなければならないことがある。
それは、われわれのような俗人《ぞくじん》が論ずるから右のようになるが、しかし非凡《ひぼん》なる頭脳《ずのう》と深遠《しんえん》なる学識《がくしき》をそなえた針目博士自身としては、新しい金属の創造などということは、けっして不可能なことではないと思われるのではあるまいか。そのへんのことは、われわれのうかがい知ることのできない領域《りょういき》だと、一時しておこう。
そこでもう一度、本筋へもどって考える。なぜ針目博士は、あのすばらしい生命誕生の研究をやりっぱ
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