金属人間
海野十三

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)確率《かくりつ》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)針目|逸斎《いっさい》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#地付き]
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   こんな文章


 およそ世の中には、人にまだ知られていない、ふしぎなことがずいぶんたくさんあるのだ。
 いや、ほんとうは、今の人々に話をして、ふしぎがられる話の方が、ふしぎがられない話よりもずっとずっと多いのだ。それは九十九対一よりも、もっととびはなれた比であろうと思う。
 つまり、世の中は、ふしぎなことだらけなのだ。しかし、そう感じないのは、みなさんがたがどこにそんなふしぎなことがあるか知らないからだ。また、じっさいそのふしぎなものに行きあっていても、それがふしぎなものであることに、気がつかない場合が多い。
 それからもうひとつ――。
 人間の力では、どうにもならないことがある。それは運命ということばで、いいあらわされる。この運命というやつが、じつにふざけた先生である。運命に見こまれてしまうと、お金のない人が大金持になったり、またはその反対のことが起こったり、いや、そんなことよりも、もっともっと意外なことが起こるのだ。
 宝くじの一等があたる確からしさを、いわゆる確率《かくりつ》の法則《ほうそく》によって計算することができる。その法則によって出てきたところの「宝くじの一等があたる確からしさ」の率は、万人に平等である。その当せん率のあまりにも低いことを知って、万人は宝くじを買うことをやめるはずになっている。その確率の法則を作った学者や、それを信奉《しんぽう》する後続《こうぞく》の学究学徒《がっきゅうがくと》の推論《すいろん》によれば……。
 だが、事実はそうでなくて、宝くじがさかんに売れている。それはなぜであろうか。それは、とにかく事実一等にあたって二十万円とか百万円とかの賞金をつかむ人が、毎回十人とか二十人とか、ちゃんと実在《じつざい》するので、自分もそのひとりになれないこともないのだと、さてこそ宝くじを買いこむのである。
 その人たちの感じでは、当せん率は、確率の法則が算定してくれる率よりも、何百倍か何千倍か、ずっと多いように感ずる。これはいったいなぜであろうか。
 一言でいうと、世の中の人々は、確
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