て、きゃんきゃんと悲命をあげながら、下にすべりおちた。
「ポチ。ポチ。ぼくだよ、しずかにおし」
 恐竜の出現《しゅつげん》よりも、愛犬ポチがぶじにもどって来たのでうれしさに夢中になっている玉太郎だった。ポチは、玉太郎の胸にだかれる。
「ちぇッ。惜しい。もうすこし何か芝居をやってくれればよかったのに、もうひっこんじまった」
 映画監督のケンは、残念そうに、崖の上を見上る。恐竜の首は、すでに引込んでしまって、倒れた椰子《やし》の木が、そのかわりをつとめているように見える。
「おい、ダビット。“恐竜崖の上に現わる”の大光景は、もちろんうまくカメラにおさめたろうね」
「失敗したよ。怒るな、ケン」
「えッ。失敗したとは、どう失敗したんだ」
 ケン監督は、顔色をかえて、ダビット技師の肩をつかんでゆすぶる。
「レンズのふたを取るのを、忘れてたんだ。あやまるよ」
「なに、撮影機のレンズのふたを取るのを忘れたというのか。それじゃ、あの息づまるような恐竜出現の大光景が、たった一こまもとれていないのかい。じょうだんじゃないぜ。生命がけで、こんな熱帯の孤島まで来て苦労しているのに……」
「今後は気をつけるよ、ケン。なにしろ、おれは恐竜のあまりでっかいのにびっくりして、レンズのふたを取るのを忘れてしまったんだ。これからは、こんな失敗はくりかえさない。しかし、ああ、どうも、全くおどろいたね」
「恐竜を恐《おそ》れていては仕事ができないよ。あんなものは、針金と布片《きれ》と紙とペンキでこしらえあげた造り物と思って向えばいいんだ。しっかりしろよ」
「すまん。全く、すまんよ」
「こうなると、次はもっとすごい場面に出あいたいものだ。おお、隊長どの。この次、恐竜はどこに出ますかね」
 監督ケンは、どこまでも人をくった質問をして、伯爵隊長の目を丸くさせる。
「わしが恐竜を飼っているわけではあるまいし、そんなことを知るもんかね。……しかし恐竜がこの島にすんでいることだけはまさに証明された。しからば、今日のうちにも恐竜に再会することができるじゃろう」
 そういって伯爵隊長は、吐息《といき》をつき、胸をおさえた。昨日来、伯爵はおどろき又おどろきで、心臓の工合が少々変調をきたしている。
「あの崖をのぼって、恐竜がさっき首を出したところがどんな場所なんだか、調べてみたらどうですか」
 ポチをだきしめている玉太郎が、このとき発言した。
「うん。それは考えないでもなかったが、ちょっとは、できないね」
 と、監督ケンが、今までのいきおいににず、尻ごみをする。
「わしは、一たん、うしろへ下って、すこしじゅんびをした上で、恐竜へむかうのがいいと思うね」
 これは伯爵隊長のことばだ。
「そうですか。それではぼくひとりで、崖の上へ行ってみましょう。みなさん、ここで待っていて下さい」
 玉太郎はポチの頭をなでながら、そういった。
「そりゃ冒険だ。君ひとりで行くのはよろしくない」
 ケンとダビットが、このとき顔を見合わせて何かいっていたが、話がきまったと見え、
「よろしい。玉太郎君にさんせい。ぼくたち二人も、君といっしょに崖をのぼるよ。なにしろ百万ドルの賞金をつかむためには、ぐずぐずしていられないからね」
 映画斑の二人が玉太郎と共に、崖上へ行くことを承知したので、残る伯爵隊長もお尻がむずむずしてきた。いっしょに行きたくもあるし、危険で行きたくなくもある。
 だが、玉太郎と二人のアメリカ人が崖をのぼりだすと、セキストン伯爵も、一番最後から崖へ手をかけてのぼりはじめた。
 ポチは、首玉に綱がむすびつけられ、綱のはしは玉太郎のからだにしっかりとしばりつけてあった。
 ようやく三人は崖の上にのぼりついた。
 ポチがほえた。
 崖のとちゅうで、はあはあと息を切っていた伯爵が、はっと体をふせた。またもや恐竜が現われたとかんちがいしたらしい。
「犬ははなしたがいいよ、危険を予知することができるからそうしたまえ」
 監督ケンが、玉太郎にいった。
 玉太郎も、それはそうだと気がついたので、ポチの首から綱をはずした。ポチはよろこんで、そこら中を嗅《か》ぎながら走りまわる。
 しかし、恐竜の首がひこんだ林の奥は、しいんと、しずまりかえっていた。


   恐竜の気持


「さあ、出かけましょうか」
 玉太郎は、二人の映画班の方へ声をかけた。
「いや、ちょっとまった。隊長が、まだ崖をのぼり切っていないから……」
 監督ケンは、そういって、崖のところへ出て、下をのぞきこんだ。
「おーい、隊長。ロープでも下ろしてやろうかね」
 ケンは、がむしゃらのようでいて、細心《さいしん》であり、親切であった。
 下では、伯爵が何かいったが、玉太郎には聞きとれなかった。
「ダビット。手をかせ」
 ケンは、腰につけていたロープをほどくと、一はしをダビットにわたした。わたされた方は、それを胴中《どうなか》に結びつけると、うしろへ下って椰子《やし》の木にだきついた。カメラはそばの雑草の上へそっとおいた。
「オー、ケー」
 ダビット技師が、うなずいていった。
「よし、分った」ケンはロープを巻いたやつを軽くふりまわしはじめた。
「おーい、隊長。今いくよ」
 伯爵が上をむいた。そこへロープは、ぴゅーっとでていった。ケンが右腕をすばやく引く。するとロープのはしの輪が、うまく伯爵の上半身をとらえた。
「あげるよ」
 ケンは下へ、そういってから、うしろのダビットへ合図をする。
 そこで二人は、呼吸を合わせてロープをたぐった。玉太郎もうしろへまわって、ロープのはしをにぎった。
 やがて伯爵隊長の帽子が見え、それからふとったからだが現われた。
「やれやれ、助かった。どうもありがとう」
 伯爵は、地面に膝をつき、胸をおさえた。彼の背中で、自動銃がゆれた。
 一息いれるために、ケンとダビットは煙草に火をつけた。伯爵にもすすめたが、彼はそれをことわって、腰にさげていた水筒《すいとう》から少しばかり液体をコップの形をしたふたにとって、口の中へほうりこんで、目をぱちぱちさせた。強いブランデー酒らしい。
 ケンは、玉太郎へ、チュインガムをくれた。ポチにも、ポケットから四角なかたそうなビスケットを出して……。
「ねえ、隊長。恐竜てえのは、猛獣の部類なのかね。それとも馬や水牛《すいぎゅう》なみかね」
 監督ケンが、たずねた。
「君の知りたがっているのは、恐竜が人間を見たらたべてしまうかどうかということかな」
 伯爵は二杯目をつぎながら、相手にたずねた。
「そうだ。そのことだ。それを知っていないと、これから恐竜とのつきあいにさしつかえるからね」
「そのことだが、恐竜は猛獣のように荒々しいともいえるし、そうでもないともいえるし」
「なんだ、それじゃ、どっちだかはっきりしないじゃないか」
「いや、はっきりしていることはしているのだ。つまり相手によりけりなんだ。自分の気にいらない相手だと、くい殺してしまうし、自分の好きな相手なら、羊のようにおとなしい」
「恐竜は、好ききらいの標準をどこにおいているんだろうね」
「まず、虫が好くやつは好きさ。虫が好かんやつはきらいさ」
「それはそうだろうが、もっとはっきりと区別できないかな」
 ケンは伯爵の返答にしびれをきらす。
「わしの経験では、或る種のエンジンの音をたいへんきらうようだ。ほら、昨日シー・タイガ号が恐竜におそわれて、あのとおりひどいことになったが、あれは恐竜がエンジンの音が大きらいであるという証明になると思う」
「好きなエンジンもあるんだろうか」
 ケンは、ダビットが手にしている撮影機へ目をはしらせる。この撮影機の中にバネがあって、撮影をはじめるとそのバネが中で車をまわすが、そのときにさらさらと、エンジンのような音を出す。だからケンは、急に心配になった。
「鍛冶屋《かじや》のとんてんかんというあの音は好きらしい。蓄音器のレコードにあるじゃないか。“森の鍛冶屋”というのがね」
「それはエンジンの音ではないよ」
「飛行機のエンジンの音が問題だ。こいつはまだためしたことがないから分らない。そうそう、原地人の音楽も、恐竜は好きだね。あのどんどこどんどこと鳴る太鼓の音。あれが鳴っている間は、恐竜はおとなしいね」
 伯爵隊長の話は、どこまでいってもきりがない。とにかく恐竜は、音響に敏感で、好きな音ときらいな音とがあるという伯爵の結論は、ほんとうらしい。
「さあ、みなさん。出かけましょうよ」
 玉太郎は、一同をうながした。
「ああ、出かけようぜ」
 監督ケンが、ダビット技師に合図をおくって、煙草をすった。
 伯爵隊長も、大切な酒入りの水筒を背中の方へまわしてひょろひょろと立ち上った。


   旧火口《きゅうかこう》か


 一行は、ついに問題の崖上の密林の中へ足をふみこんだ。
 せんとうは、もちろん玉太郎の愛犬ポチであった。ポチも一行にだいぶんなれて、むやみにほえなくなった。
「玉ちゃん。あまり前進しすぎると、あぶないよ」
 うしろから監督ケンが注意をする。
 そのうしろには、ダビット技師が、手持撮影機をさげ、のびあがるようにして前方のくらがりをのぞきこんで歩く。
 そのうしろに、伯爵隊長が、猟銃《りょうじゅう》を小脇《こわき》にかかえて、おそるおそるついて来る。
「あッ、大きな穴がある。噴火孔《ふんかこう》みたいな大きな穴が……」
 玉太郎が、おどろいて立ちどまると、前方をさす。
「おお。やっぱりそうだ。あれは恐竜の巣の出入口なんだろう。おい、ダビット。カメラ用意だぞ」
「あいよ」
 伯爵団長が大きな声をあげた。
「ふしぎだ。この前来たときには、こんな穴はなかったのに……」
 彼は顔一面にふきだした玉なす汗をぬぐおうともせず、目をみはった。
「え、この前には、こんな穴はなかったんですか」
 玉太郎が、きいた。少年は、仲よしのラツールが今ゆくえが知れないので、彼の運命がいいか悪いかを考えて、すべてのことが一々気になってしようがなかった。
「この前、わたしたちがここを通ったときにはね、ここらあたりは赤土の小山《こやま》だったがね、たしかに、穴なんかなかった」
「じゃあ、いつの間にか、その小山が陥没《かんぼつ》して穴になったんでしょうか」
「そうとしか思えないね。まさか道をまちがえたわけではないだろう」
 玉太郎と伯爵隊長が、大穴のできた原因について話し合っている間に、監督ケンは、穴のふちをのりこえて、斜面《しゃめん》をそろそろ下へ下りて行く。ポチは、いそいそと先に立っている。ダビット技師は、撮影機を大事そうに頭上高くさしあげて、こわごわ下る。
「深い穴がある。木や草がたおれている。たしかにこれは恐竜の出入りする穴だぞ」
 ケンは、昂奮してさけぶ。
 玉太郎も、伯爵をうながして、穴の中へ下りはじめた。
「ふーン。このにおいだて。これが恐竜のにおいなんだ」
 伯爵が、首をふって立ちどまった。
 なにか特別のにおいが、さっきから玉太郎の鼻をついていた。生《なま》ぐさいような、鼻の中をしげきするようないやなにおいだった。
 はっくしょい!
 伯爵が大きくくさめをした。
 するとそのくさめがケンとダビットにうつった。最後に玉太郎も、くしんと、かわいいくさめをした。
「くさめの競争か。これはどうしたわけだろう」
 監督ケンがにが笑いをした。
「思い出したぞ。このにおいは、附近に恐竜の雌《めす》がいるということを物語っているんだ。警戒したがいい」
 伯爵が、顔をこわばらせていった。
「えっ、恐竜にも雌がいるのかい」
 ケンが、調子はずれな声をあげた。
「あはは、あたり前のことを。あははは」
 ダビット技師が、ふきだして笑う。
「笑いごとじゃない。先へ行く人は、大警戒をしなされ。はっくしょい」
 伯爵は、うしろで又大きなくさめを一つ。
 穴をしたへおりるほど、砂がくずれ、枯れた草木がゆくてをさえぎり、前進に骨がおれる。が、誰もこのへんでもときた方へ引返そうなどと弱音《よわね》をふく者はなかった。そうでもあろう。こわいとか危険だとか恐ろしいと
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