恐竜島
海野十三

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)運命《うんめい》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)今|筏《いかだ》にしている

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#「ないでしょうか」は底本では「ないでょうか」]
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   ふしぎな運命《うんめい》


 人間は、それぞれに宿命《しゅくめい》というものをせおっている。つまり、生まれてから死ぬまでのあいだに、その人間はどれどれの事件にぶつかるか、それがちゃんと、はじめからきまっているのだ。
 運命はふしぎだ。
 その運命のために、われわれは、思いがけないことにぶつかる。夢にも思わなかった目にあう。そしてたいへんおどろく。
 自分の宿命を、すっかり見通している人間なんて、まずないであろう。それが分っていれば、おどろくこともないわけだ。
 宿命が分らないから、われわれは死ぬまでに、たびたびおどろかされる。そしてそのたびに、自分の上におちて来た運命のふしぎさに、ため息する。
 わが玉太郎《たまたろう》少年が、恐竜島《きょうりゅうとう》に足跡《あしあと》をつけるようなことになったのも、ふしぎな運命のしわざである。
 そしていよいよそういう奇怪な運命の舞台にのぼるまえには、かならずふしぎなきっかけがあるものだ。それはひじょうに神秘《しんぴ》な力をもっていて、ほんのちょっとした力でもってすごい爆発をおこし、御本人を運命の舞台へ、ドーンとほうりあげるのだ。
 読者よ。わが玉太郎少年が、あやしき運命のために、どんな風に流されていくか、まずそのことについて御注目をねがいたい。


   モンパパ号の船客


 玉太郎が船客として乗っていたその汽船は、フランスに籍のあるモンパパ号という千二百トンばかりの貨物船《かもつせん》だった。
 貨物船とはいうものの、船客も乗せるようになっていた。さすがに一等船室というのはないが、二等船客を十二名、三等船客を四十名、合計五十二名の船客を乗せる設備をもっていた。四等船客はない。
 ところが船室は満員とはならなかった。いや、がらあきだったといった方がよいかもしれない。二等船客はたった三名だった。その一人がポール・ラツール氏といって、フランスの新聞ル・マルタン紙の社会部記者だった。
 玉太郎は三等船客の一人だったが、三等船客も四十名の定員のところ、たった十名しか乗っていなかった。
 要するに、このようなぼろ貨物船に乗って、太平洋をのろくさとわたる船客のことだから、あまりふところの温くない連中か、あるいは特別の事情のある人々にかぎられているようなものだった。
 小島玉太郎の場合は、夏休みをさいわいに、豪州《ごうしゅう》を見てこようと思い、かせぎためた貯金を全部ひきだして、この旅行にあてたわけであった。ふつうなら四等船客の切符にもたりない金額で、このモンパパ号の切符が買えるという話を聞きこんで、たいへんとくをするような気がしてこの切符を買うことになったのと、もう一つの理由は、この汽船が、ふつうの汽船とはちがって、サンフランシスコを出て目的地の豪州のシドニー港に入るまでに、ただ一回ラボールに寄港するだけで、ほとんど直航に近いことである。そのために船脚《せんきゃく》はおそいが、方々へ寄港する他の汽船よりもこのモンパパ号の方が結局二日ばかり早く目的地へつくことになっていた。玉太郎には、二日をかせぐことが、たいへんありがたかったのである。
 が、玉太郎のこの計画が、結果において破れてしまったことは気の毒であった。
 しかし神ならぬ身の知るよしもがなで、出発前の玉太郎にはそれを予測《よそく》する力のなかったのもいたし方のないことだ。
 玉太郎とラツール記者とは、乗船のその翌日に早くもなかよしになってしまった。
 そのきっかけは、玉太郎の愛犬《あいけん》ポチが、トランクの中からとび出して(じつはこのポチの航海切符は買ってなかった。だからやかましくいうと、ポチは密航《みっこう》していることになる)玉太郎におわれて通路をあちこちと逃げまわり、ついにラツール氏の船室にとびこんだ事件にはじまる。
 ラツール氏は、なんでも気のつく人間だったから、たちまちポチの密航犬なることを見やぶった。玉太郎も正直にそのことをうちあけた。
 そこでラツール氏は、このままにしておいてはよろしくないというので、自ら事務長にかけあって、この所有者不明の……そういうことにして……密航犬を、発見者であるラツール氏自身がかうこと、そしてこの犬の食費として十ドルを支払うことを承知させた。そこでポチは、息苦しい破れトランクの中にあえいでいる必要がなくなって、大いばりで船中や甲板《かんぱん》をはしりまわることができるようになった。玉太郎のよろこびは、ポチ以上であったことはいうまでもない。
 ラツール記者は、結局十ドルだけ損をしたことになる。しかしそれは、十ドル支払った当《とう》ざのことであって、やがて彼はその十ドルが自分の生命を買った金であったことに気がつく日が来るはずである。たった十ドルで生命が買えるなんて、ラツール氏はなんといういい買物をしたことであろう。しかしこのことも、そのときラツール氏はまだ気がついていなかった。
 大きな自然のふところにいだかれて、原始人《げんしじん》のような素朴《そぼく》な生活がつづいた。あるときは油を流したようをしずかな青い海の上を、モンパパ号は大いばりで進んでいった。またあるときは、ひくい暗雲《あんうん》の下に、帆柱のうえにまでとどく荒れ狂う怒濤《どとう》をかぶりながら、もみくちゃになってただようこともあった。
 朝やけの美しい空に、自然児《しぜんじ》としてのほこりを感ずることもあったし、夕映えのけんらんたる色どりの空をあおいで、神の国をおもい、古今《ここん》を通じて流れるはるかな時間をわが短い生命にくらべて、涙することもあった。
 航路は三日以後は熱帯《ねったい》に入り、それからのちはほとんど赤道にそうようにして、西へ西へと船脚をはやめていたのだ。
 とつぜんおそろしい破局《はきょく》がやってきたのは、サンフランシスコ出港後第十三日目のことであった。たぶん明日あたり、ニューアイルランドの島影が見えはじめるはずだった。それが見えれば、本船は、その尖端《せんたん》のカビエンの町を左に見つつ南方へ針路をまげ、そして島ぞいにラボール港まで下っていくことになっていたのだ。
 いや、カビエンもラボールの話も、今はむだである。わがモンパパ号は、カビエンもラボールも、どっちの町も見はしなかったのだ。それどころか、ニューアイルランドの島かげさえ、ついに見ることがなかったのだ。
 おそろしい破局が、それよりも以前に来たのである。モンパパ号は、深夜《しんや》の海に一大音響をあげて爆沈《ばくちん》しさったのである。
 そのときのことを、すこしぬきだして、次に記しおく。


   愛犬《あいけん》の行方《ゆくえ》


 玉太郎は、ふと目がさめた。
 おそろしい夢にうなされていたのだ。自分のうめき声に気がついて、目ざめた。身は三等船室のベットの上に、パンツ一つの赤はだかで横になっていることを発見して、彼は安心したが、胸ははげしく動悸《どうき》をうっていた。
 附近には、同じ三等船客が眠っていた。彼らは玉太郎のうめき声に気がついた者もあるはずだったが、誰も親切心を持っていなかったと見え、この少年を呼び起してやる者がなかった。もっとも玉太郎は、そういうことを、ちっとも気にしていなかったが……。
 それよりも、目ざめた玉太郎がすぐ感じた不安があった。それはいつも自分のベットの下に寝ている愛犬ポチの気配がしなかったことだ。彼はむっくり起きあがると、ベットの下をのぞいた。
 ポチはいなかった。
 やっぱりそうだった。ふしぎなことだ。玉太郎が寝ている間は、ほとんどそばをはなれたことのないポチが、なぜ今夜にかぎつて無断《むだん》で出かけてしまったんだろう。
「ポチ……。ポチ……」
 玉太郎は、あたりへえんりょしながら、犬の名を呼んだ。
「しいッ」「ちょッ。しいッ」
 たちまち、他のベットからしかられてしまった。
 玉太郎は、ベットの上に半身《はんしん》を起した。そのときだった。彼はポチのほえる声を、たしかに耳にしたと思った。しかしそれは、遠くの方で聞えた。どこであるか分らない。この船室でないことだけはたしかであった。
 玉太郎は、いそいではね起きた。そしてすばやく上衣《うわぎ》とパンツをつけ、素足《すあし》でベットの靴をさぐって、はいた。
 それから枕許《まくらもと》から携帯電灯《けいたいでんとう》と水兵ナイフをとって、ナイフは、その紐《ひも》を首にかけた。そして足ばやにこの部屋をでていった。
 戸口のカーテンを分けて出ようとしたとき、またもやポチのほえるのを聞いた。どうやら二等船室の方らしい。いやなほえ方だ。強敵《きょうてき》におそわれ、身体がすくんでしまってもがいているような声だった。玉太郎は、一刻《いっこく》も早くポチを救ってやらねばならないと思い、せまい通路を走って、二等船室の方へとびこんでいった。犬の姿は、なかった。
 と、船室の戸がひらいて、そこから顔を出した者があった。
 ラツール記者だった。
「おや、玉太郎君かい。どうしたんだ」とむこうから声をかけた。
 玉太郎は、そばへかけよると自分の寝台《しんだい》の下からポチが見えなくなって、どこやらで、いやなほえ方をしていることを手みじかに語った。
「ふーン、なるほど。僕もポチの声で目がさめたんだ。この戸口の外でへんな声でほえるもんだから。僕はベットの上からしかった。しかし泣きやまないから、今下へおりて、この戸をあけたわけだが……ポチの姿は見えないね。どこへいったろう」
 そういっているとき、またもやポチの声が遠くで聞えた。いよいよ苦しそうなほえ方であった。それはどうやら甲板《かんぱん》の上らしい。
「あっ、甲板へ行ってほえていますよ」
「うむ。どうしたというんだろう。幽霊をおっかけているわけでもあるまいが、とにかく何か変ったことがあるに違いない。行ってみよう」
 そのとき、ポチはまたもや、いやな声でほえた。
 それを聞くと玉太郎はたまらなくなって、かけだした。そしてひとりで甲板へ……。
 甲板は、まっくらだった。
「ポチ。……ポチ」玉太郎は、犬の名をよんだ。
 いつもなら、すぐ尾をふりながら玉太郎の方へとんで来るはずのポチが、ううーッ、ううーッと闇のかなたでうなるだけで、こっちへもどってくる気配《けはい》はなかった。
「ポチ。どうしたんだい」
 玉太郎は携帯電灯をつけて足もとを注意しながら、愛犬のうなっている方角をめがけて走った。それは船首の方であった。甲板がゆるやかな傾斜《けいしゃ》で、上り坂になっていた。
 ポチはいた。
 舳《へさき》の、旗をたてる竿《さお》が立っているが、その下が、甲板よりも、ずっと高くなって、台のようになっている、がその上にポチは、変なかっこうで、海上へむかってほえていた。しかし玉太郎が近づくと、にわかに態度をあらためて、尾をふりながら、上から玉太郎の高くあげた手をなめようとした。しかし台は高く、ポチはそれをなめることができなかった。
「あ、ここにいたね」うしろから声をかけて、ラツール氏が近づいた。
「ほう。そんな高いところへ上って。何をしているんだ」
「海の上を見てほえていたんですが、今おとなしくなりました」
「海の上? 何もいないようだが……」
 と、とつぜんポチが台の上におどり上って、いやな声でほえだした。
 その直後だった。玉太郎のふんでいた甲板が、ぐらぐらッと地震のようにゆれだしたと思う間もなく、彼は目もくらむようなまぶしい光の中につつまれた。と、ドドドーンとすごい大音響が聞え、甲板がすうーっと盛りあがった。
 あ、あぶない! といったつもりだったが、そのあとのことはよくおぼえていなかった。
 後から考えるのに、このときモンパパ号は突如《
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