たん左うしろへ流れた島の火が、また正面近くへもどって来たではないか。
「おもー舵いっぱい」
「そのとおり、おも舵いっぱいなんですが、船が逆にまわっています」
「そんなばかなことがあるか。お前は何年舵をとっているんだ」
と、船長は操舵手を叱《しか》りつけながらも、なんだか背すじに寒さがはしるのを感じた。
そのときだった。舳《へさき》の方で、ごとんとはげしい音がして船が何か大きなものにぶつかったようす。エンジンが苦しそうにあえぐ。
「どうした。何だい、ぶつかったのは……」
船長はブリッジから顔を出して、雨にうたれるのもかまわず、舳の方へ声をかけた。
するとその方からの返事はなく、そのかわり、船橋の上の無電甲板から誰かさけんだ。
「船長。船の上に、何かいますよ」
「なにッ。何がいるって」
「メインマストの上のあたりをごらんなさい。なにか黒い大きなものが立っています。竜巻《たつまき》かな、いや竜巻じゃない」
船長はおどろいて、メインマストが見えるところまで船橋の上を大またでとんで行って、上をあおいだ。
そのとき、ぎょォううッというようなあやしい声を上の方で聞いた。
と思ったとたんに、ぴかりと電光が暗闇を一しゅんかんま昼のように照らした。
「あッ、あれだッ」
船長はもうすこしで気絶《きぜつ》するところだった。彼は見た。はっきり見た。おそろしい大怪物が、メインマストの上でくわっと口を開き、こっちをねめつけているのを。
恐竜だ。たしかに恐竜だ。
ついに、恐竜がやって来たのだ。
セキストン伯爵は、恐竜は昼間だけしか出ないといったが、夜も出るじゃないか。それならそうと、注意しておいてくれればいいのに……。
こまった。どうして恐竜とたたかうか。
大砲なんか、本船にはない。
それにしても、恐竜はもう死んだとばかり思っていたのに、なぜ現われたのか。
そうか、分った。首を大砲の弾丸でけずられた恐竜は、うらみにもえあがり、この船をおそって来たのだ。
おい、ちがうぞ。おれがやったことではないのだ。
と、ボールイン船長の頭の中は大混乱《だいこんらん》して、生きた気持もしない。
「船長、船長。あれは動物ですよ。海に住むとても大きな動物ですぞ」
わかっている、恐竜だ。
「恐竜だ。みんなピストルでも何でもいいから、あいつをうて」
「いや、うつな。あいつを怒らせると、たいへんなことになる」
船長は、下級運転士がよけいなことをいったのに腹を立てながら、うち消した。
「だめです。あのけだものは、大おこりにおこっていますぜ。あっ、船がかたむく。船長。本船はひっくりかえりますぞ。早く号令を出して下さい」
「号令を出せって。両舷全速《りょうげんぜんそく》だ」
「だめだなあ。本船には両舷エンジンなんかありませんよ。ああ、いけねえ。もうだめだ」
その声の下に、汽船シー・タイガ号は横たおしになってしまった。そしてふたたび復元《ふくげん》する力もなく、乗組員たちの救いをもとめるさけびがものがなしくひびかうなかに、船はじわじわと沈んでいった。方々の開放されていた昇降口から海水が滝のようにとびこんだためであろうが、タイガ号が横たおしになったのは、とつぜん現われた恐竜の襲撃によることは明白だった。
ボートの運命
タイガ号が恐竜におそわれるすこし前に、ボートにのり移って同船をはなれたセキストン伯爵たちは、どうなったであろうか。
伯爵は、誰よりも早く、海中に恐竜が現われたことに気がついた。彼はおどろきのあまり心臓がとまりそうになったが、ここが生命《いのち》の瀬戸《せと》ぎわだと思い、
「早く島へこぎつけるんだ。今シー・タイガ号は、怪物におそわれている。この間にすこしも早くボートを島へこぎつけろ。さもないと、われわれまで、怪物の餌食《えじき》になってしまうぞ」と、オールをにぎっている連中に急がせた。
なお伯爵が、このように落着いていたのは、やはりこれまでの探検で、ふつうの人たちよりは胆《きも》がすわっていたせいであろう。彼は、「恐竜だ」ということばをわざとさけ「怪物が現われた」と、すこしおだやかなことばづかいをした。それは他の人々が、恐竜がと聞いたときに、そろって腰をぬかしてしまってはたいへんと、気がついたからだ。
ボートは、島のたき火を目あてに、波をかきわけて矢のように走った。
実業家マルタン氏が舵手《だしゅ》だったが、氏は非凡《ひぼん》なうでをあらわして、波をうまくのり切った。
島はだんだん近くなったが、ぴかり、ぴかりと稲妻《いなずま》がきらめくたびに、一同は不安にかられ、神に祈り、誓いをたてた。
がりがりッと大きな音がして、ボートは下から突上げられた。と、いくらオールで海面をひっかいても、もう進まなくなった。
「いけねえ。リーフへのしあげちまった」
水夫のフランソアがさけんだ。
「リーフへのしあげちまったって」伯爵がいまいましげに舌打ちをした。
「お前ら、海へはいってボートを、リーフから下ろしてくれ」
「とんでもないことでございますよ」
と、水夫のラルサンが、かぶりをふった。
「そんなことをいわないで、はやく海へはいってボートをおしあげてくれ」
「あっしゃ、鱶《ふか》という魚がきらいでがんしてね。あいつはわしら人間が海へはいるのを一生けんめいねらっているんです。はいったところをぱくり。もものあたりから足をくいとられたり、お尻の肉をぱくりとかみ切っていったり。えへへ、なんでしたら閣下が鱶へ食糧をおあたえなすっては……」
ラルサンは皮肉《ひにく》をとばす。
「鱶にくわれる方が、恐竜に食われるよりは、ましだというのかい」
伯爵も負けずにやりかえした。恐竜といったが、それはラルサンたちの胸へ、ぎくりと大きくひびいた。
「恐竜がどうしたんで……」
「どうしたといって、わしらがボートで出たあと、海中からとつぜん恐竜が現われ、船は沈没してしまった」
総督閣下《そうとくかっか》
その翌日から、恐竜島はにぎやかになった。
前夜の危難と恐怖と疲労とで、身も心もへとへとになった探検団員も、朝になると元気をとりもどして、一人また一人とおき出で、肩をならべて沖合に難破しているシー・タイガ号をさしては、昨夜のおそろしい思い出話に時間のすぎていくのもわからないようであった。
タイガ号は恐竜のため船体をまっ二つに割られ、いったん浪にのまれたが、その後また恐竜におもちゃにされてはねとばされたものと見え、船尾《せんび》の方はずっと島の近くの暗礁《あんしょう》の上にのって居り、船首の方はそれから百メートルほどはなれたところに、船首のほんの先っちょと、メイン・マストを波の上に出していた。さんたんたるタイガ号の姿であるが、これを見ても恐竜の力がおそろしく強いことがうかがわれる。
タイガ号の乗組員はどうなったであろうか。かげも姿も見えない。しかしほとんど助かっていないであろう。それに今は下《さ》げ潮《しお》のこととて、附近の漂流物は沖合へ流されているのだ。
「ああ、総督閣下。お早ようございまする」
がらがら声で団長セキストン伯爵があいさつをした相手を見れば、余人《よじん》ならず、玉太郎だった。
「ぼくは総督ではありませんよ」
と、玉太郎ははにかむ。
「いや、あなたは総督です。われわれは総督がおられる、この島へ昨日上陸をゆるされたのですからねえ」
伯爵は大げさな身ぶりともののいい方で、玉太郎へ敬意を表した。玉太郎は昨日のことを思い出した。
さびしく海岸にひとり火をたいて睡《ねむ》りについた玉太郎は夢の中で、ラツールと愛犬ポチの姿をもとめていた。そのうちに大きな音がしたので目がさめた。波打際《なみうちぎわ》がさわがしい。多人数のののしる声やおびえた声。それにさくさくと、砂をふむ足音。玉太郎はおどろいて枯葉の寝床のうえにすっくと立ち上った。
そのときである。一人の老いたる白人が、銃を手に持って彼の方へ突進してきた。焚火《たきび》が老人を赤々と照らした。老人は、焚火の前まで来ると、はたと膝を折って砂の上にふした。
「お助け下さい。神の子よ」
老いたる人は祈りの声をあげた。それは玉太郎の姿にむかって、なげられたことは疑いない。火の向こうにすっくと立っている玉太郎の姿は、神々《こうごう》しかったにちがいない。
「神の御子《みこ》ではありません。この島に住んでいる人の子です」
と、玉太郎はこたえた。
「ああ、それでは総督閣下だ。おお閣下。恐竜に追われてかろうじてこの海岸へたどりついたわれわれ十名の者をあわれみたまえ。閣下の庇護《ひご》の下に、われわれ十名の者をおかせたまえ」
この芝居じみた対話がはじまって、玉太郎はあやういとこを脱したタイガ号ボートの一団とひきあわされ、そしてその間にもセキストン伯爵から、さかんに「総督閣下」とよばれたのであった。
幸いに彼ら十名は、けがもしていないで、無事だった。しかし心身《しんしん》の疲労はひどく、火のそばへは寄ったものの、誰も立っていられる者はなかった。そのまま、そのところに彼らは泥のような睡りに落ちていったのだ。これから暁がきて、前にものべたように、それらは一人一人起き出して、朝のさわやかな空気をすい、そして自分が平和な島の上に居ることを知って、元気をもりかえしていったのである。
朝食は、玉太郎にとって、この数日中一番の豪華版《ごうかばん》だった。探検団がボートに積んで来た食糧はここ四五日間をふつうにまかなうに十分であった。空缶の隅についたバターをほじくったり、椰子の実の白い油をかじって空腹をしのいでいた玉太郎にとっては、たいへんな御馳走であり、そしてまた彼に新しい元気をつけたことはたしかであった。
玉太郎は、朝食をとりながら、探検団の人々にむかって、これまでの話をのこらずして聞かせた。話が、ラツール記者と愛犬ポチの行方《ゆくえ》が今なお分らないというところまですすむと、探検団の連中はざわめきだした。
「これはたいへんだ。恐竜とこの島に同居《どうきょ》するのでは、たいへんだ」
「やっぱり恐竜は人間をくうんだね。そこまでは考えなかった」
「人間をくうとは、まだはっきり断定できないだろう」
「いや、あの小さい総督が今いった話によると、ラツールとかいうフランス人がくわれ、ポチという犬が恐竜にくわれたそうじゃないか」
「目下《もっか》行方不明だというんだろう。くわれたかどうか、そこまではまだわかっていない」
「くわれたにきまっているよ。こんな小さな島で、行方不明もないじゃないか。それにわれわれは母船《ぼせん》を失った。あのとおり親船《おやぶね》のシー・タイガ号はまっぷたつにちょん切られて、もう船の役をしない。われわれはこれから恐竜島に缶詰めだ。そこで今日は一人、あすは次の一人という工合に、恐竜の食膳へのぼっていくのだ。はじめの話とはちがう。ああ、これはたいへんだ」
「なるほど。これはゆだんがならないぞ」
このざわめき話に、水夫のフランソアとラルサンの二人は、絞首台の前に立った死刑囚のように青くなった。
いがみあい
玉太郎ひとりのときと違い、ともかく十名の探検団員が島の生活にくわわったこととて、仕事はどんどんすすんだ。
この島の小さな社会の中心人物は、やはり実業家のマルタン氏だった。氏は、でっぷりふとった体をかるくうごかして、孤島《ことう》に半永久《はんえいきゅう》の安全な生活をつづけるために、色々と計画をたて、その指揮をして人々を動かした。
マルタンに比べると、団長の伯爵セキストンなんかは隠居《いんきょ》の殿様みたいであった。
マルタンの命令により、組員はかわるがわるボートに乗り、沖合の難破船へ漕《こ》ぎつけては、船に残っている食糧や布片《ぬのきれ》や器具などをボートにうつして持って帰った。
彼らは、不幸な乗組員には、ついに会うことがなかった。みんな波間に沈んでしまったらしい。もうすこしボートの出発がおそかったら、自分たちはもうこの世の者ではなかったんだ
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