夫かい」
「ケン、元気だよ」
「玉太郎君は」
「僕も元気です」
「張さん、あなたは」
「私は故郷の山々を思っていたところです」
「みんな元気なんだね」
ケンはこんな時にも落ちついている。四人が順々に声を出したので、誰がどの辺《へん》にいるかがわかった。
「ねえケン」
「なんだ、ダビット」
「僕のお尻がむずむずするんだよ」
「どうしたんだ」
「あ、魚だ、魚にくいつかれた」
ダビットがとんきょうな声をあげた。
「あ、いててっ、痛い」
「つかまえればいいじゃないか」
「そうはいかんよ、片方の手でカメラを差しあげているんだからね、左手一本じゃつかまらないよ」
「そうか、それゃ残念だね、こっちへ来たらつかまえてやろう、おい、こっちへ追い出してくれよ」
「そうはいかない」
「ダビットの小父《おじ》さん。大きい、お魚ですか」
「うん。ポケットの中のパンくずをとりにきた奴なんだ。大きさは一センチ位かな」
「なあーんだ。じゃあ、食べられる心配はありませんね」
「ないとも、明日のおかずにとってやりたいところだよ」
ダビットは元気がいい。
「あ、なんだこれは」
「どうしたい、玉太郎君」
今度は玉太郎だ。
「ちょっと、あ、これ、なんだろう」
「たこでもとったかい」
ダビットだ。
「いや、ちがう、ケン小父さん、ちょっと、これなんでしょう」
「これじゃ僕にもわからないよ、どうしたんだい」
「今、手にあたったものがあるんです」
「だから何がさわったんだよ、じれったいなあ」
ダビットが近づいて来た。ケンも近づいてきた。
「あ、痛い、あケンか」
二人は暗闇《くらやみ》の中でおでこをぶっつけあった。
「もう少し強くぶつかると、眼から火が出るところだった」
「その火で見とどけようという寸法だったのかね」
「小父さん、これです。僕の手にさわって、ええ、それ、ね、なんでしょう」
「ぬるぬるしているね」
「長いものですよ」
「まてよ」
ケンは両手で、玉太郎のにぎっているものをおさえた。
「うん、こりゃ、むずかしいぞ」
「ね、なんでしょう」
「うん。綱だ。綱に苔《こけ》がついてぬらぬらしているが、たしかに綱だ」
「綱ですって」
「綱が、どうしてこんなところにあるのだろうね、ケン」
「そりゃ、これから考えるんだ」
不安な中にも、みんなの心の中には希望の光がともった。
「太いのですか」
張がたずねる
「太い」
「何をつないでおいたのかな」
「何がつながれているのかと今考えているんだ。まてよ。この太さは、あっ」
「どうしたのです」
「船で使うロープに似ている」
「船がつないであるのかな」
「まさか」
「ケン小父さん、一つひっぱってみましょう」
「うん、ひっぱってみよう」
玉太郎とケンがひっぱった。あとからダビットも張も手伝った。
なにしろ、長い間水につかっていたらしい、ぬるぬるしてなかなか力が入らない。
「よいしょ」
玉太郎が気合をかけた。
「よいしょ」
みんなが、それに和《わ》した。
そのうち水はいよいよ増してくる。けれど四人は水の恐ろしさよりも、この綱をひっぱれば、そこに何か表われるものがあるように感ぜられたので、一心に力を合せて引いた。
「おい、ちょっと待て」
ケンが一同のかけ声をとめた。
「あれを聞け、音がする」
みんなは、いきをのんだ。
ゴボ、ゴボ、ゴボ、ゴボ。
かすかだけれど水の流れる音だ。
「綱を引いたので、どこかに穴でもあいたにちがいないな、ケン」
ダビットの声はうれしそうだ。
「もう一ふんばりひっぱりましょう」
玉太郎も喜びにふるえている。
「そうだ、さ、力を合せて」
希望の光はいよいよ明るくなった。もう一息だぞ。
「よいしょ、よいしょ」
疲れもどこかに吹きとばせとばかり、四人は力をいれた。
綱は少しずつではあるが、うごくようだ。
五分、十分、二十分。
水は胸から首へひたひたとせまってきた。
ともすると疲れのために手の力がぬける。身体中が冷さのためにしびれる。力を入れたはずの腕の力もいつかぬけてくる。
どの位だろう。
「や、うごいたぞ」
それからはわけはなかった。
綱はずるずるずるずるとのびてきた。
瞬間、どうっという小音が一同の鼓膜《こまく》をうった。
「水が流れた。助かったぞ」
今まで四人の周囲をひたひたと包んでいた水が、一つの流れとなって、勢よく四人の前を通りすぎていった。
「綱を引いたので、岩がゆるんだのだな」
「岩がゆるんだんじゃない、もっと深い穴がこの先にあったんだぞ、その口をふさいでいた岩を、われわれがどけたのだよ」
「それも綱をひっぱったためなのにちがいない」
四人はともするとおしながされそうな水勢《すいせい》の中に、かたくだきあっていた。
「おいそうだ。僕らはこうしちゃいられないよ。いつかその深い穴にも水がたまるだろう、するとこの流れもその時には止ってしまうにちがいない」
「すると、前と同じになるわけだな」
「喜ぶのは少し早いぞ」
「そうとも、じゃあどうするんだ、ケン」
「一つ希望がある」
「なんです、ケンの小父さん」
「今の岩の変化によって、他にも変化が出来はしないかということだ。たとえば、僕らの頭の上に別の穴があいて、そこから僕らは逃げだせるのではないかという見方さ」
「そんなうまいぐあいにゆくかな。ゆけばよいが、神様どうぞ、そうなりますように」
「待っていたまえ」
ケンはそろりそろりと岩につたわりながら、歩き出していった。
「ケン、神様は我々に幸せを、およせ下さったかい」
しばらくしてダビットが訊《たず》ねた。
「まだだ」
闇の中で返事がかえってきた。
ケンはそろり、そろりと岩肌《いわはだ》をつたわって穴をさがしているに違いない。
「あった。あったぞ」
「助かったね」
「アーメン」
一同はほっとした。
「どこだ」
「ここだ。君らのいるところから五六歩のところだ」
三人はお互いに手をしっかりとにぎりあいながら水の中を歩き出した。
怪船《かいせん》と怪人《かいじん》
穴は人一人がやっとぬけられるような小さい穴だった。一人ずつ、身体を横にしてはって行かねばならない。まずケンがとびこんだ。つづいて玉太郎、それにダビット、しんがりは張だ。
前の人の足を左手でおさえながら、右手ですすむのだから、大へんな骨折りだった。
しかし、この努力の彼方には救われるという希望があったので、これ位の苦しみは、四人にはなんでもなかった。
しばらくすると、四人のほおに冷い風がふいて来る。風というよりも空気の流れだ。その流れの中に、かすかではあるが、例の恐竜のなまぐさい香りがまじっているのだ。したがって、この穴の出口に恐竜がいるのかも知れない。あるいは恐竜の巣につながっているのであろう。そうした危険はたぶんにあるのだ。しかしそんなことを心配してはいられない。出たとこ勝負でぶつかってゆくより今の四人には手のほどこしようがないのだった。
水中に張ってある綱は生命の綱ともいうべきであった。綱を引く事によって水からの恐怖がまずさり、次にこうした脱出穴《だっしゅつあな》をさがし出せたのだ。しかし、それよりももっと大きな幸福が、四人ばかりでなく、探検隊員全部の上にかがやくようになったことは、誰も知らなかった。それがどんな幸福だかは、この書の最後まで読まれた読者にはおわかりになることである。
それは後の物語として、洞穴をぬける四人の身の上にもどろう。
「ケン小父さん。何か人声が聞えませんか」
玉太郎が、ケンの足にサインした。
「うむ、君の耳にもきこえたか、僕は耳のせいかと思っていたが……」
「おい、ストップ」
ダビットが言った。
みんなは息をころして、じっと耳をそばだてた。水にぬれた衣服を通して冷い岩肌の冷気がきゅうっと五体を緊張させた。
ほんのかすかな音である。どこからきこえるのかも見当がつかない。
四人はどっと、八つの耳をそばだてた。
きこえるよ、たしかにきこえる。
「フランス語だ」
「いや英語らしい」
声は空気の流れにのって聞えてくるのではなかった。ダビットが頭の上の岩肌に耳をつけると、声はよけいにはっきりした。つまり声は岩を伝わってひびいてくる振動音なのである。
読者が二階にいる時、階下の話声を聞こうと思えば、窓をあけて聞くより床《ゆか》に耳をつけた方がよい。階下の声の音は二階の床を振動させて、直接読者の耳に伝えてくれるのだ。
こんなことをしてはもちろん危険だが、遠くを走って来る汽車は、姿が見えない遠方でも、線路には車輪のひびきがのってきている。今四人が耳にしたのはそのひびきの声だ。
「とすると、この近くに誰かがいるのだな」
「そうだよダビット、あんがいその洞穴の上は道路になっていて、そこに誰かが来ているのかも知れない」
「あ、ラツールさんの声だ」
玉太郎がとつぜんにさけんだ。
「え、ラツール、じゃ、あのフランスの新聞記者のあのラツール君かい」
「そうです。僕信号をしてみます」
玉太郎が岩のかけらをとりあげて、頭の上の岩肌をコツコツとたたきはじめた。モールス信号だ。
返事はない。
コツコツコツコツ、玉太郎は信号を送る。
まだ返事はない。しかし今度は話し声がきれた。こっちの信号がわかったらしい。
玉太郎は信号を送った。
「ラツールさんですか。こちらは玉太郎です」
今度は返報《へんぽう》がきた。
「玉ちゃんかい。どこにいる」
「どこだかわかりません。海に出るらしい洞穴の中です」
「どこから入ったの」
そこで玉太郎は今までの道すじを長い時間かかって説明した。
「ちょっとまってね」
信号がそれで切れた。
「やっぱりラツールさんだった。早く会いたいな、どうしているんだろう」
「さっきは、僕らがラツール記者を助けた。今度はラツール記者に僕らが助けられるという事になるらしい」
「おいダビット、神様はまだ我々を見捨てにはならないからね」
「そうだケン、天国行きのバスのガソリンが切れたのだよ、きっと」
ダビットはもう元気になった。もちまえの冗談《じょうだん》が口をついて出る。
トントン、ツーツー、トンツー。
と信号がひびいて来た。
「君らのいる横穴をさらに十|米《メートル》すすむ、すると大きな洞穴に出る。日の光もさしているだろう。階段も見えるにちがいない。僕はこの島の住人《じゅうにん》をつれて出むかえに行く」
ラツールの信号は、こうつたえて来た。
「ありがたい。ところでその島の住人とはなにものだろうね」
玉太郎が信号をといてみんなに話すと、ケンがこうたずねた。
「島の住人とは何者なるか」
玉太郎がすぐに信号を送った。
「会えばわかる。ふしぎな人物なり、僕は恐竜の口から彼によって救われたのだ。いずれ大洞窟《だいどうくつ》でお目にかかろう」
「O・K!」
そろり、そろりとまた行進がはじまった。
「もう何米ぐらいはいったかな」
「まだ三米ぐらいだよ」
「あと七米だね、元気を出すぜ」
ダビットは足をばたばたさせた。
「クロールじゃないから、足を動かしても進みませんよ、お静かに、お静かに……」
張さんも笑っている。みんな元気だ。おもえば昨日から何も食べていない。腹はへっている。疲れは極度に五体をしびらせている。
しかし救われるという希望が眼の前にかがやいているのだ。だから四人は元気一杯なのだ。
「あ、あれだ、明るいぞ」
先頭のケン。
「もう一いきです」
玉太郎がふりかえった。
かすかではあるが、明るい。
頭をぶつけたり、肩をうったり、細い洞穴の旅行は大へんな難行苦業《なんぎょうくぎょう》だったが、それももうすぐ終りだ。
「さて、このへんの様子もカメラにおさめておこうか」
もうダビットは商売をはじめた。明るい出口をめざして、そろり、そろりとはいでるケン監督のようすを、後からダビットはカメラにおさめた。
「ああ、遂《つい》に救われた」
ケン、玉太郎、ダビット、張の順序で穴から出る。そこは大きな洞窟になっていて、上からは岩
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