のに、ちっとも呼んで下さらないので、ガッカリしちゃった」
「勇君も大辻も来ていたのは知っていたが、昨夜の事件は危くて、手伝わせたくなかったのだよ」
「その代り僕は、いろいろな土産話《みやげばなし》を青竜王《せんせい》にあげるつもりですよ。昨夜《ゆうべ》舞台下で殺された男ネ、あれは竜宮劇場に毎日のように通っていた小室静也《こむろしずや》という伊達男《だておとこ》ですよ。いつも舞台に一番近いところにいて、ジュリアが出ると誰よりも先にパチパチ拍手を送るイヤナ奴ですよ。あの男のことは、竜宮劇場のファンなら誰でも知っていますよ」
「ああ、そうだったのか。それはいいことを聞いた」
「あの伊達男小室の咽喉《のど》にあった凄《すご》い切傷も、この前、日比谷公園で殺された学生の咽喉の傷も、どっちも同じことですね。つまりどっちも吸血鬼《きゅうけつき》がやったんですよ」
「うむ」と青竜王はちょっと眼を輝やかせたが、すぐ元の温和《おとな》しい彼に帰った。「そうだ、その日比谷公園の話を詳しく君にして貰おうかな」
そこで勇少年は、前日《ぜんじつ》黄昏《たそがれ》の日比谷公園でみた惨劇《さんげき》について知っていることをすべて語った。青龍王は曲《まが》ったパイプで刻《きざ》み煙草《たばこ》をうまそうに吸いながらじっとそれに耳を傾けていた。
「すると勇君の説によると、はじめ五月躑躅《さつき》の陰で恋人の少女と楽しく語っていた。その話|半《なか》ばに、少女は何か用事ができて、学生を残したまま出ていった。吸血鬼は学生が独《ひと》りになったところを見澄《みす》まして、背後《うしろ》から咽喉を絞め、つづいて咽喉笛をザクリとやって血を吸ったというのだネ」
「その通りですよ、青竜王《せんせい》」
「それから、その恋人の少女は現場へ帰って来たかネ」
「いいえ」勇少年は頭を振って「僕はそれを考えて、長いこと待っていたんだけれど、とうとう帰って来なかったんです」
「それは可笑《おか》しいネ。今の話なら、必ず帰って来る筈だと思うがネ。外に恋人らしい女は誰も通らなかったのかい」
「ええ、そうですよ」と勇は応《こた》えたが、そのとき急に気がついた様子で「アッ、そういえば赤星ジュリアが近よってきたことは来たんです。でもあの人は、自動車で通りかかったんだといっていましたよ。それから自動車の中から出て来なかったけれど、ジュリアの友達の矢走千鳥《やばせちどり》も傍《そば》まできました。でもいくらなんでもこの二人が……」
「でもこの二人の外に誰も少女は帰って来なかったんだろう。一応そこを考えてみなくちゃいけない。それに先刻《さっき》の話では、四郎――イヤその学生の日記帳の数十|頁《ページ》が、いつの間にか破られていたというし……」
「そのことは大辻さんがたいへん怒っていますよ。どうしても二人に尋ねるんだといって、今日出かけていったんです」
「ジュリアの耳飾《みみかざり》右の方のはチャンとしていたけれど、左のは石が見えなくて金環《きんかん》だけが耳朶《みみたぼ》についていたというのは面白い発見だネ」
「僕は耳飾から落ちた石が、もしや吸血鬼の潜んでいた草叢《くさむら》に落ちていないかと思って探したんだけれど、見付からなかった。それからジュリアの歩いたと思う場所をすっかり探してみたんだけれど、やはり見付からなかった。それでジュリアの耳飾の青い石は、あの辺で落したものじゃないということが分ったんですよ。青竜王《せんせい》」
少年はそういって、眼をパチパチ瞬《まばた》いた。青竜王はパイプから盛んに紫煙《しえん》を吸いつけていたが、やがて少年の方に向き直り、
「君は少年の屍体の辺もよく探してみたかネ」
「もちろん懐中電灯で探したんだけれど、何遍《なんべん》やってみても見つからなかったんです」
「ほう、そうかネ」
少年は青竜王の顔をしげしげ見ていたが「まさか青竜王《せんせい》は赤星ジュリアたちを怪しんでいるのじゃないでしょうネ」
青竜王はそれに応えようともせず、いつまでも黙ってパイプを吸いつづけていた。
そのとき卓上電話のベルがリリリンと喧《やかま》しく鳴り響いた。勇少年が受話器をとりあげて出てみると、向うは赤星ジュリアを尋《たず》ねていった筈の大辻の声だった。
「ナニ丸ノ内で大騒ぎが始まったって? 青竜王《せんせい》が帰っていられるから、いま代るから待っているんだよ」
といって、受話器を譲った。
青竜王はうむうむと聴いていたが、やがて電話を切った。
「どうしたんです、青竜王《せんせい》」
「なアに、痣蟹が竜宮劇場の裏口を通っていたのを発見して、また警官隊と銃火《じゅうか》を交《まじ》えたのだそうだ。痣蟹はとうとう逃げてしまったので、疲《つか》れ儲《もう》けだ。しかし痣蟹は竜宮劇場の外を歩いていたのか、それとも中から出て来たのか分らないそうだ」
竜宮劇場というと、誰でもすぐジュリアを思いうかべる、やはりジュリアは事件に関係があるのだろうか。
「でも変ですね。痣蟹はあの恐ろしい横顔を知られずに、どうして昼日中《ひるひなか》歩いていられたのでしょう」
「ウン痣蟹は田舎者のような恰好《かっこう》をして、トランクを肩にかついで、たくみに痣をかくしていたそうだ」
「なるほど、うまいことを考えたなア。はははは」
「大辻はジュリアに会って日記帳のことを聞いたが、あたしは知りませんといわれたそうだ、まずいネ」
青竜王は自室に入ると、それから夕方までグッスリと睡った。
夕飯ができた頃、勇少年がベルを押すと、青竜王は起き出してきた。依然《いぜん》たる覆面のため、顔色は窺《うかが》うよしもないが、動作は明かに元気づいてみえた。そして大辻も加わって久し振りで三人が揃って食卓についた。しかし探偵談は一切ぬきであった。それが青竜王の日頃のお達《たっ》しであったから。――夕飯が済《す》むと、青竜王は行先も云わずブラリと事務所を出ていった。
痣蟹はどこへ逃げてしまったろう。いま何処《どこ》に隠れているのだろう。覆面探偵青竜王は戦慄《せんりつ》すべき吸血鬼事件に対しいまや本格的に立ち向う気色《きしょく》をみせている。彼の行方《ゆくえ》はいずれこの事件に関係のある方面であろうということは改《あらた》めて謂《い》うまでもあるまい。だがその行先は暫《しばら》く秘中《ひちゅう》の秘として預《あずか》ることとし、その夜更《よふけ》、大学の法医学教室に起った怪事件について述べるのが順序であろう。
―――――――――――――――
宏大な大学の構内は、森林に囲まれて静寂そのものであった。殊にこれは夜更の十二時のことであった。梟《ふくろう》がときどきホウホウと梢《こずえ》に鳴いて、まるで墓場のように無気味であった。木造《もくぞう》の背の高い古ぼけた各教室は、納骨堂が化けているようであった。そしてどの窓も真暗であった。ただ一つ、消し忘れたかのように、また魔物の眼玉のように、黄色い光が窓から洩《も》れている建物があった。それは法医学教室の解剖室《かいぼうしつ》から洩れてくる光だった。
近づいてみても、カーテンが深く下ろしてあるので窓の中にはなにがあるのやら、様子が分らなかった。ただ森閑《しんかん》とした夜の幕を破ってときどきガチャリという金属の触《ふ》れあう音が聞えた。その怪《あや》しい物音が、室内に今起りつつある光景をハッキリ物語っているのだった。
そこは馬蹄形《ばていがた》の急な階段式机が何重にも高く聳《そび》えている教室であった。中央の大きな黒板に向いあって、真白な解剖台がポツンと置かれてあった。その傍にはもう一つ小さい台があって、キラキラ光る大小さまざまのメスが並んでいた。解剖台の上には白蝋《はくろう》のような屍体が横たわっているが、身長から云ってどうやら少年のものらしい。それを囲《かこ》んで二人の人物が、熱心に頭と頭とをつきあわさんばかりにしていた。一人は白い手術着を着て、メスだの鋏《はさみ》だのを取りあげ、屍体の咽喉部《いんこうぶ》を切開《せっかい》していた。もう一人は白面《はくめん》の青年で、形のよい背広に身を包んでいた。この手術者は法医学教室の蝋山《ろうやま》教授、白面の青年は西一郎と名乗る男だった。そこまで云えば、台の上に載《の》った屍体が、吸血鬼に苛《さいな》まれた第一の犠牲者である西四郎のものだということが分るであろう。
「どうも素人《しろうと》は功を急いでいかんネ」と蝋山教授がいった。「やはりこうして咽喉から胸部《きょうぶ》を切開して食道から気管までを取出し、端《はし》の方から充分注意して調べてゆかなけりゃ間違いが起る虞《おそ》れがあるのだ。急がば廻れの諺《ことわざ》どおりだて」
「時間のことは覚悟をしてきました。今夜は徹夜しても拝見《はいけん》します」
「うん。時刻はこれから午前二時ごろまでが一番油の乗るときだ。君の時刻の選択はよかったよ。しかしいくら弟の屍体かは知らぬが、君は熱心だねえ。もしここから上にあるものならば、必ず君の目的のものを発見してあげるから安心するがいい。イヤどうも皮下脂肪《ひかしぼう》が発達しているので、メスを使うのに骨が折れる。こんなことなら電気メスを持ってくるんだった……」
といっているとき、ジジジーンと、壁にかけてある大きなベルが鳴りひびいた。それはあまりに突然のことだったので、教授は、
「ややッ――」
とその場に飛び上ったほどだった。
「何でしょう、いまごろ?」
「ハテナ誰か来たのかな。この夜更に変だなア」と教授は頭を傾《かし》げた。
そのとき、またベルがジジジーンと、喧しく鳴った。
「ちょっと見て来よう」
と教授はメスを下に置くと、扉《ドア》をあけて廊下へ出ていった。廊下は長かった。漸《ようや》く入口のところへ出て、パッと電灯をつけた。
「誰だな。――」
と叫んだが、何の声もしない。
「誰だな。――」
そういって硝子越《ガラスご》しに、暗い外を透してみていた教授は、何に駭《おどろ》いたか、
「呀《あ》ッ、これはいかん」といってその場に尻餅《しりもち》をつくと、大声に西一郎を呼んだ。
その声はたしかに解剖室に聞えた筈だったけれど、西はどうしたのか、なかなか出て来なかった。蝋山教授は俄《にわ》かに恐怖のドン底に落ちて、急に口が出なくなって、手足をバタバタするだけだった。
「どうしたんです、先生!」
元気な声が奥から聞えると、やっと西一郎が駈けつけた。西にやっと聞えたらしい。
「いま怪しい奴が、その硝子のところからこっちを睨《にら》んだ。ピストルらしいものがキラリと光った、と思ったら腰がぬけたようだ。どうも極《きま》りがわるいけれど……」
「ナニ怪しい奴ですって?」
一郎は勇敢にも扉《ドア》のところへ出て、暗い戸外《そと》を窺《うかが》った。しかし彼には別に何の怪しい者の姿も映らなかった。教授はきっと何かの幻影をみたのだろうということにして、彼は教授を抱《だ》き起《おこ》して、肩に支《ささ》えた。
「あッ、冷たい。君の手は濡れているじゃないかい。向うで手を洗ったのかネ」
「いえなに……」
「なぜ手を洗ったんだ。一体何をしていたんだ。法医学教室の神聖を犯《おか》すと承知しないよ」
一郎は口だけは達者な教授をしっかり担《かつ》いで廊下を元の解剖室の方へ歩いていった。
「おや、変だぞ」と一郎は叫んだ。
「なにが変だ」と教授は一郎の胸倉《むなぐら》をとったが「うん、これは可笑しい。教室の灯《あかり》が消えている。君が消したのか」
「いえ、僕じゃありません。僕は消しません。これは変なことだらけだから、静かに行ってみましょう。声を出さんで下さい。いいですか」
二人は静かに戸口に近づいた。そしてじっと真黒な室内を覗きこんだ。二人はもうすこしで、呀ッと声をたてるところだった。誰か分らぬが、解剖台の上を懐中電灯で照らしている者があった。が、それはすぐ消えて、室内はまた暗澹《あんたん》の中に沈んだ。その代り、なにか重いものを引擦《ひきず》るようにゴソリゴ
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