や》十二時、ここへ忍びこんだそうだ。すると、例の恐怖の口笛を聞きつけた。これはいけないと思う途端に、おそろしい悲鳴が聞えた。近づいてみると、痣蟹が自分の服装をして死んでいたというのだ」
「ああ青竜王! するとこれは偽《に》せ物で、本物の方は、やっぱり生きていたのか」
大江山課長はそういって、大きな吐息《といき》をついた。
ゴルフ場にて
大江山捜査課長は後を部下に委《まか》せて、一旦本庁へかえったが、覆面探偵がまだ健在だと聞いて、立っても据《すわ》ってもいられなかった。なんという恐ろしい相手だろう。彼は自分の部下の警戒線をドンドン破って潜入《せんにゅう》し、それからパチノ墓地の秘密などをテキパキと調べてゆくことなど、実に鮮《あざや》かだった。雁金検事が彼の云うことを信用しているのもどっちかというと、無理はなかった。
「強敵《きょうてき》の覆面探偵よ?」
大江山は今や決死的覚悟を極《き》めた。このままでは、これから先、彼の後塵《こうじん》ばかりを拝《おが》んでいなければならないだろう。
「よオし、やるぞ!」と課長は思わず卓子《テーブル》をドンと叩いた。「第一になすべきことはポントスの行方《ゆくえ》を探しあてることだ。彼奴《きゃつ》が吸血鬼であるか、さもなければ吸血鬼を知っているに違いない。覆面探偵の方はいずれ仮面をひっ剥《ぱ》いでやるが、彼からポントスのことやパチノ墓地のことを十分吐きださせた後からでも遅くはないであろう」
課長はポントスの行方に、彼の首をかけた。直《ただ》ちに特別捜査隊を編成して、それに秘策《ひさく》を授《さず》けて出発させた。そして彼は勇《ゆう》を鼓《こ》して、単身、青竜王の探偵事務所を訪ねた。――
「青竜王《せんせい》は不在ですよ、課長さん」出て来た勇少年は気の毒そうな顔もせず、むき出しに答えた。
「何処へ行くといって出掛けたのかネ」
「玉川《たまがわ》の方です。骸骨《がいこつ》のパチノとお澄《すみ》という日本の女との間に出来た子供のことについて調べに行くと云っていましたよ」
「なんだって?」課長は頭をイキナリ煉瓦《れんが》で殴《なぐ》られたような気がした。一体青竜王はどこまで先まわりをして調べあげているのだろう。折角《せっかく》勇気を出したものの、これでは到底《とうてい》太刀打《たちう》ちが出来ないと思った。しかしまだ間に合うかも知れない。「その子供というのはポントスのことじゃないのかネ」
「ポントスは本当のギリシア人ですよ。あいつはパチノ墓地を探しに来て、その墓地の上だとは知らずに、あのキャバレーを開いていたのです」
「ポントスでなければ誰だい。それとも痣蟹かネ」
「痣蟹は日本人ですよ。青竜王が探しているのは混血児ですよ」
混血児を探しに玉川へ行った――ということを聞きだした大江山は、鬼の首でも取ったような気がした。これなら或いは分らぬこともあるまい。
大江山課長は玉川へ自動車を飛ばした。しかし玉川という地域は、人家こそ疎《まば》らであったが、なにしろ広い土地のことだから、どこから調べてよいか見当がつかない。そこで彼は、なるべく混血児の出没《しゅつぼつ》しそうなところはないかと思ったので、秋晴《あきばれ》の停留場の前に立っている土地の名所案内をズラリと眺めまわしたが、そこで目に留《とま》ったのは、「玉川ゴルフ場」という文字だった。
ゴルフ場に混血児――はちょっと似つかわしいと思った。彼は雁金検事に誘《さそ》われて、いささかゴルフを嗜《たしな》んだ。この秋晴れにゴルフは懐《なつか》しいスポーツであったが、なんの因果《いんが》か、今日は懐しいどころか、わざわざお苦しみのためにゴルフ場を覗《のぞ》きに行かねばならないことを悲しんだ。
車を玉川ゴルフ場に走らせたまではよかったけれど、クラブの玄関をくぐるなり、
「いよオ、大江山君。これはどうした風の吹きまわしだい」
と背中を叩く者があった。ハッと思って後をふりかえってみると、そこには思いがけなくも、雁金検事がゴルフ・パンツを履いてニヤニヤ笑っていた。そればかりではない。検事の後には、彼の馴染《なじみ》の顔がズラリと並んでいたので駭《おどろ》いた。それは蝋山教授、西一郎、赤星ジュリア、矢走千鳥《やばせちどり》という面々で、これでは吸血鬼事件の関係者大会のようなものだった。ただ肝腎《かんじん》の覆面探偵青竜王とキャバレーの主人ポントスとが不足していたが、この二人もどこからか現れてきそうであった。
「丁度《ちょうど》いい。一緒にホールを廻ろうじゃないか」と検事は腕を捉《とら》えた。
「ぜひそう遊ばせな。――」とジュリアたちも薦《すす》めた。
結局大江山課長は、その仲間に入った。背広を着てきたので、恥をかかずに済《す》んだのは何よりだった。
最初の競技は二組に分れることになった。ジャンケンをすると、第一組は雁金検事、蝋山教授に矢走千鳥、第二組は大江山と西一郎に赤星ジュリアと決まった。
まず第一組が球《ボール》をティに置いては、一人一人クラブを振って打ち出していった。それから五分ほど遅れて、第二組がティの上に立った。
「課長さんのお相手をしようなどとは、夢にも思っていませんでしたわ」
とジュリアが笑った。
「課長さん――は競技の間云わないことにしましょうよ、お嬢さん」
「あら――ホホホホ」
大江山はすっかりいい気持になってしまった。――ジュリアが最初に打ち、次に大江山が打った。一番あとを西一郎が打つと、三人はキャデーを連れて、青い芝地の上をゾロゾロ球《ボール》の落ちた方へ歩きだした。
「君たちに会おうとは思いがけなかった」
と、課長は一郎の方を向いて破顔《はがん》した。
「雁金さんのお誘いなんです。丁度ジュリア君も元気がないときだったんで、たいへんよかったですよ」と一郎が答えた。
「ほう、お嬢さんはどこか悪いのかネ」
「あら、嘘。――このとおり元気ですわよ」
といったが、第一の球はジュリアが一番成績が出なかった。
第二のティで球を打つと、ジュリアの球は横に曲《まが》って、一時二人に離れた。
「オイ西君」と課長は冗談ともなくそっと連れに囁《ささや》いた。「このあたりに混血児はいないかネ」
「混血児で一番近いのは、アレですよ」と一郎はジュリアの方を指《ゆびさ》した。
「なにジュリアか」とハッとした風であったが、「そう云われると、なるほどジュリアは混血児みたいなところがあるが……私の云っているのは、この玉川附近にもう七十歳ぐらいになる混血児が住んでいるのを知らないかというのだ」
「そんなのは居ませんよ」
「いないというのかネ。君はハッキリ云うから愉快だ、何も知らない癖《くせ》に……」
と独《ひと》り合点《がてん》の課長は、斜《ななめ》ならざる機嫌に見えた。しかし後に分るようにこれらの会話は決して冗談ではなかった。それが持つ重大な意味が今課長に分っていたとしたら、彼はそんなに恵比寿顔《えびすがお》ばかりはしていられなかったであろう。――ジュリアは球《ボール》をグリーンに入れて、二人の方へ手をさしあげた。
第三のコースでは、また三人が一緒になって球を打っていった。
「君たちはだいぶ仲がいいようだが、まだ私に媒酌《なこうど》を頼みに来ないネ」と課長は更に機嫌がよかった。
「よして下さい。ジュリア君の人気に障《さわ》りますよ」と一郎が打ち消すのを、ジュリアは、
「あら、あたしは課長さんにぜひお願いしたいわ。でも一郎さんは、あたしがお嫌いなのよ。どうせあたしは独りぽっちで、地獄へ墜《お》ちてゆくのだわ――」
とジュリアはヒステリックに云って、ハンカチーフを鼻に当てた。彼女の打数《だすう》はいよいよ荒れていった。
そんな風にして、コースを一|巡《じゅん》した結果は、大江山がズバ抜けて成績がよく、ずっと落ちて普通の成績を示したのが蝋山教授と矢走千鳥で、雁金検事も西一郎も更に振わず、ジュリアに至っては荒れ切った悪成績だった。
「イヤ恐ろしい成績表だ。全く恐ろしい」
と雁金検事は首を振って一郎の顔をみた。
「全く、こんなに恐ろしく打てようとは、当人の方で面喰《めんくら》っているところですよ」
と大江山課長は自分のことが問題にされているんだと早合点《はやがてん》して、極《きま》り悪《わ》る気《げ》にいった。
「時間があれば、もっと廻りたいのだが……」
と検事が云ったが、凄《すご》い当りをみせた大江山も至極《しごく》同感《どうかん》だった。しかしジュリア達の出演時刻のこともあるので、時間が足りないから止《や》めにした。その代り検事と課長は練習場で、球《ボール》を戞《か》ッ飛ばしに出ていった。ジュリアと千鳥とは、その間にクラブ館《ハウス》の奥にある噴泉浴《ふんせんよく》へ出かけた。蝋山教授と一郎とは、青々としたグリーンを眺められる休憩室の籐椅子《とういす》に腰を下ろして、紅茶を注文した。こうして六人の同勢は三方に別れた。
大江山課長は人気のない練習場でクラブを振りながら、雁金に話しかけた。
「検事さん。今日の集りの真意《しんい》はどこにあるのですかなア」と先刻《さっき》から聞きたかったことを尋《たず》ねた。
「うん――」と雁金は振りかけたクラブを止めて、「儂《わし》にもよく分らぬが、これは青竜王の注文なのだ」
「えッ、青竜王の注文?」と課長はサッと青ざめた。
「彼はゲームの結果を知りたがっていた。さし当《あた》り、君の大当りなんか、何といって彼が説明するだろうかなア。はッはッはッ」
外国の名探偵が、真犯人を探し出すために、嫌疑者《けんぎしゃ》を一室にあつめてトランプ競技をさせ、その勝負の模様によって判定したという話を聞いたことがあるが、青竜王はそれに似たことをやるのではあるまいか。とにかく課長は憂鬱《ゆううつ》になって、俄《にわ》かに球《ボール》が飛ばなくなった。
「検事さん。青竜王は貴方がたにゴルフをさせて置いて、自分はこの玉川でパチノの遺族を探しているそうですが、御存知ですか」
「そうかも知れないネ」
「では青竜王の居るところを御存知なんですネ。至急会いたいのです。教えて下さい」
「教えてくれって? 君が行って会えばいいじゃないか」
検事は妙な返事をした。課長は検事が機嫌を損《そん》じたのだと思って、あとは口を噤《つぐ》んだ。
丁度そのときだった。クラブ館《ハウス》の方で、俄かに人の立ち騒ぐ声が聞えた。課長がふりかえると、クラブ館《ハウス》のボーイが大声で叫んだ。
「皆さん、早く来て下さーい。御婦人が襲われていまーすッ」
御婦人?――検事と課長とはクラブを投げ捨て、クラブ館《ハウス》へ駈けつけた。
襲《おそ》われた裸女《らじょ》
この突発事件が起ったところは、クラブ館《ハウス》の中の噴泉浴室《ふんせんよくしつ》のあるところだった。
それより三十分ほど前、その婦人用の浴室の二つが契約された。もちろんそれは赤星ジュリアと矢走千鳥の二人が、汗にまみれた身体を噴泉で洗うためだった。当時この広い浴場は、二人の外に誰も使用を契約していなかった。
ジュリアは第四号室を、千鳥の方はその隣りの第五号室を借りた。その浴室は、公衆電話函《こうしゅうでんわばこ》を二つ並べたようになっていて、入口に近い仕切《しきり》の中で衣類を脱ぎ、その奥に入ると、白いタイルで張りつめた洗い場になっていて、栓《せん》をひねると天井からシャーッと温湯《おんとう》が滝《たき》のように降ってくるのであった。婦人たちのためには、セロファンで作った透明な袋があって、これを頭から被《かぶ》ってやれば、髪は湯に濡《ぬ》れずに済《す》んだ。
二人はゴトゴトと音をさせながら、着物を脱いだ。
「お姉さま」と千鳥が隣室《りんしつ》から呼んだ。
「なーに、千《ち》いちゃん」
「あたし、何だか怖いわ。だってあまり静かなんですもの」
「おかしな人ネ。静かでいい気持じゃないの」
そういってジュリアは奥に入ると、シャーッと白い噴泉を真白な裸身《らしん》に浴《あ
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