……」
 一郎はジュリアの美しさを沁々《しみじみ》と見たような気がした。ただ美しいといったのではいけない、悩《なや》ましい美しさというのは正《まさ》にジュリアの美しさのことだ。帝都に百万人のファンがあるというのも無理がなかった。一郎はいつか外国の名画集を繙《ひもと》いていたことがあったが、その中にレオン・ペラウルの描いた「車に乗れるヴィーナス」という美しい絵のあったのを思い出した。それは波間《なみま》に一台の黄金《こがね》づくりの車があって、その上に裸体《らたい》の美の女神ヴィーナスが髪をくしけずりながら艶然《えんぜん》と笑っているのであった。そのペラウルの描いたヴィーナスの悩《なやま》しいまでの美しさを、この赤星ジュリアが持っているように感じた。それはどこか日本人ばなれのした異国風の美しさであった。ジュリアという洋風好《ようふうごの》みの芸名がピッタリと似合う美しさを持っていた。
 ジュリアは一郎のために受話器をとりあげて、支配人の許《もと》に電話をかけた。だが生憎《あいにく》支配人は、用事があってまだ劇場へ来ていないということだった。
「じゃここでお待ちにならない」
「ええ、待たせていただきましょう。その間に僕はジュリアさんにお土産《みやげ》をさしあげたいと思うんですが――」
 といって一郎はジュリアの顔をみた。
「お土産ですって。まア義理固《ぎりがた》いのネ。――一体なにを下さるの」
「これですけれど――」
 一郎はポケットから小さい紙箱《かみばこ》をとりだして、ジュリアの前に置いた。
「あら、これは何ですの」
 ジュリアは小箱をとって、蓋を明けた。そこには真白《まっしろ》な綿《わた》の蒲団《ふとん》を敷《し》いて、その上に青いエメラルドの宝石が一つ載《の》っていた。
「これはッ――」
 ジュリアの顔からサッと血の気《け》がなくなった。彼女はバネ仕掛けのように立ち上ると、入口のところへ飛んでいって、扉《ドア》に背を向けると、クルリと一郎を睨《にら》みつけた。
「あなたはあたしを……」
「ジュリアさん、誤解しちゃいけません。まあまあ落着いて、こっちへ来て下さい」
 一郎はジュリアを元の席に坐らせたが、美しい女王は昂奮《こうふん》に慄《ふる》えていた。
「これは貴女《あなた》の耳飾《みみかざ》りから落ちた石でしょう。これは僕が拾って持っていたのです、警官や探偵などに知れると面倒《めんどう》な品物です。お土産として、貴女にお返しします」
 ジュリアは一郎に悪意のないのを認めたらしく、急いで青い宝石を掌《てのひら》の中に握ってしまうと、激しい感情を圧《おさ》え切れなかったものか、ワッといって化粧机の上に泣き崩《くず》れた。それにしても一郎は落ちた耳飾の宝石を何時何処で拾って来たのだろう。
「ジュリアさん。云って聞かせて下さい。貴女は四郎と日比谷公園の五月躑躅《さつき》の陰で会っていたのでしょう」
「……」ジュリアは泣くのを停《や》めた。
「僕はそれを察しています。つまり耳飾りの落ちていた場所から分ったのですが」
「これはどこに落ちていたのでしょう」とジュリアは顔をあげて叫んだ。
「それは四郎の倒れていた草叢《くさむら》の中からです」
「嘘ですわ。あたしは随分《ずいぶん》探したんですけれど、見当りませんでしたわ」
「それが土の中に入っていたのですよ。多勢《おおぜい》の人の靴に踏まれて入ったものでしょう」
「まあ、そうでしたの。……よかったわ」
 それはすべて一郎の嘘だった。本当をいえば、彼は昨夜《ゆうべ》、四郎の屍体からそれを発見したのだった。蝋山教授がベルの音を聞いて法医学教室の廊下へ出ていった隙《すき》に、一郎はかねて信じていたところを行ったのだった。彼は四郎の屍体の口腔《こうくう》を開かせ、その中に手をグッとさし入れると咽喉の方まで探《さ》ぐってみたのが、果然《かぜん》手懸《てがか》りがあって、耳飾の宝石が出てきた。実は蝋山教授を煩《わずら》わして食道や気管を切開し、その宝石の有無《うむ》をしらべるつもりだったけれど、怪《あや》しいベルの音を聞くと、早くも切迫《せっぱく》した事態を悟《さと》り、荒療治《あらりょうじ》ながら決行したところ、幸運にも宝石が指先《ゆびさき》にかかったのであった。素人《しろうと》にしては、まことに水ぎわ立った上出来《じょうでき》の芸当《げいとう》だった。後から闖入《ちんにゅう》して屍体を奪っていった痣蟹をみすみす見逃がしたのも、彼がこの耳飾りの宝石を手に入れた後だったから、その上危険な追跡をひかえたのであろうとも思われる。とにかくジュリアの耳飾の宝石は四郎の口腔から発見されたのだ。なぜそんなところに入っていたかは問題であるが、一郎がジュリアに発見の個所《かしょ》をことさら偽《いつわ》っているのは何故
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