おう》だった。
「ポントスさん。これは貴方のものではありませんかネ」
といって、青竜王は何か小さい紙片《しへん》を見せた。キャバレーの主人はそれを手にとってみたが、それは何か建築図の断片らしく、壁体《へきたい》だの階段だの奇妙な小室《しょうしつ》だのの符合が並んでいたが、生憎《あいにく》ごく端《はし》の方だけを切取ったものらしく、何を示してある図か、この断片《だんぺん》だけでは分らなかった。
「これ、何ですか。とにかく、わたくしのでは有りません」
ポントスは腑《ふ》に落ちぬ顔をして、紙片を青竜王に返した。
「もう一つ、お尋ねしますが、赤星ジュリアは昨夜《ゆうべ》ここへ来たのが始めてですか」
「いえ、たびたび来て、歌わせました。もう七、八回も頼みました」
「たいへん御贔屓《ごひいき》のようですね」
「そうです。ジュリア歌う――お客さま悦びます。わたくしも悦びます。なかなかよい金儲《かねもう》けできますから、はッはッはッ」
ポントスは露骨な笑いを残して出てゆくと、大江山捜査課長は青竜王の腕をムズと捉《とら》えた。
「いまの建築図のようなものを出し給え。君はそれを何時《いつ》の間にどこから手に入れたんだい」
青竜王は課長の手を静かに払いながら、
「これですか。これを御存知なかったんですネ。なアに、痣蟹の裂けた洋服の裏に縫いつけてあったんですよ」と事もなげに云うと、その紙片を恭しく差し出しながら「では確かに貴方様にお手渡しいたしますよ」
不可解なる紙片! 一体それはいかなる秘密を物語るものであろうか。
消えた屍体《したい》
何のためか十日間あまり、事務所を留守にしていた青竜王は、キャバレー・エトワール事件の次の日の昼ごろ、ブラリと探偵事務所に姿を現わしたのだった。覆面探偵の帰還《きかん》!
その気配《けはい》を知って、奥から飛ぶように出て来たのは勇敢な少年探偵勇だった。
「ああ。青竜王《せんせい》。――僕は今日きっと青竜王《せんせい》が帰って来ると思ったんです」
といって、相《あい》も変らず頭部にはピッタリ合った黒い頭巾《ずきん》を被《かぶ》り、眼から下を三角帛《さんかくぎぬ》で隠した覆面探偵を迎えたのだった。探偵は少年の肩を両手で優しく叩いた。
「昨夜《ゆうべ》は青竜王《せんせい》、素敵でしたネ。だけど、もう僕たちを呼んで下さるかと思っていたのに、ちっとも呼んで下さらないので、ガッカリしちゃった」
「勇君も大辻も来ていたのは知っていたが、昨夜の事件は危くて、手伝わせたくなかったのだよ」
「その代り僕は、いろいろな土産話《みやげばなし》を青竜王《せんせい》にあげるつもりですよ。昨夜《ゆうべ》舞台下で殺された男ネ、あれは竜宮劇場に毎日のように通っていた小室静也《こむろしずや》という伊達男《だておとこ》ですよ。いつも舞台に一番近いところにいて、ジュリアが出ると誰よりも先にパチパチ拍手を送るイヤナ奴ですよ。あの男のことは、竜宮劇場のファンなら誰でも知っていますよ」
「ああ、そうだったのか。それはいいことを聞いた」
「あの伊達男小室の咽喉《のど》にあった凄《すご》い切傷も、この前、日比谷公園で殺された学生の咽喉の傷も、どっちも同じことですね。つまりどっちも吸血鬼《きゅうけつき》がやったんですよ」
「うむ」と青竜王はちょっと眼を輝やかせたが、すぐ元の温和《おとな》しい彼に帰った。「そうだ、その日比谷公園の話を詳しく君にして貰おうかな」
そこで勇少年は、前日《ぜんじつ》黄昏《たそがれ》の日比谷公園でみた惨劇《さんげき》について知っていることをすべて語った。青龍王は曲《まが》ったパイプで刻《きざ》み煙草《たばこ》をうまそうに吸いながらじっとそれに耳を傾けていた。
「すると勇君の説によると、はじめ五月躑躅《さつき》の陰で恋人の少女と楽しく語っていた。その話|半《なか》ばに、少女は何か用事ができて、学生を残したまま出ていった。吸血鬼は学生が独《ひと》りになったところを見澄《みす》まして、背後《うしろ》から咽喉を絞め、つづいて咽喉笛をザクリとやって血を吸ったというのだネ」
「その通りですよ、青竜王《せんせい》」
「それから、その恋人の少女は現場へ帰って来たかネ」
「いいえ」勇少年は頭を振って「僕はそれを考えて、長いこと待っていたんだけれど、とうとう帰って来なかったんです」
「それは可笑《おか》しいネ。今の話なら、必ず帰って来る筈だと思うがネ。外に恋人らしい女は誰も通らなかったのかい」
「ええ、そうですよ」と勇は応《こた》えたが、そのとき急に気がついた様子で「アッ、そういえば赤星ジュリアが近よってきたことは来たんです。でもあの人は、自動車で通りかかったんだといっていましたよ。それから自動車の中から出て来なかったけれど、ジュリ
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