かねない課長の言葉つきだった。
「あれは君、青竜王のやつが痣蟹に組み敷かれていたんで、それで声が出せなかったのだろう。それをやッと跳ねかえすことが出来て、それで始めて喚いたのだと思うよ」
「そうですかねえ。――第一私は青竜王のあの覆面が気に入らないのです。向こうも取ると都合が悪いのでしょうが、私たちは捜査中気になって仕方がありません。あの覆面をとらない間、青竜王のやることは何ごとによらず信用ができないとさえ思っているのです」
「それは君、思いすぎだと思うネ」
と検事は困ったような顔をして大江山捜査課長の顔を見た。
「ですから私は――」と課長は勝手に先を喋《しゃべ》った。「あの柱に服の裂けた一片と靴とが挟まっていましたが、あれは痣蟹が逃げこんだのではなくて、予《あらかじ》め痣蟹が用意しておいた二つを柱に挟んで、その中へ逃げたものと見せかけ、自分は覆面をして誰に見られても解るその痣を隠し、青竜王だと云っているかもしれないと思うのです」
「はッはッはッ。君は青竜王が覆面をとれば痣蟹だというのだネ。いやそれは面白い。はッはッはッ」
「私は何事でも、疑わしいものは証拠を見ないと安心しないのです。またそれで今日捜査課長の席を汚さないでいるんですから……」
「じゃ仕方がないよ。僕の身元引受けが役に立たぬと思ったら遠慮なく彼の覆面を外《はず》してみたまえ、僕は一向構わないから」
「イヤそういうわけではありませんが……。しかし今夜はもう青竜王は出て来ませんよ。彼は逃げだせば、それでもう目的を達したんですから」
流石《さすが》は捜査課長だけあって、誰も考えつかないような疑点を示したのだった。だがそのときだった。例の隠れ柱が音もなくパックリと口を開き、その中から飛びだしてきたのが誰あろう、覆面の探偵だったから、気の毒な次第だった。
「うむ――」
と捜査課長は驚きのあまり、思わず呻《うな》った。
青竜王は検事たちの姿をみつけると、ズカズカと走りよった。
「雁金さん。痣蟹の逃げ路が、とうとう分りましたよ。このキャバレーの縁《えん》の下を通って、地階の物置の中へ抜けられるんです。そこからはすぐ表へとびだせます。貴方《あなた》の号令がうまくいっていないのか、その物置の前には警官が一名も立っていないので、うまく逃げられた形ですよ」
「ナニこの柱から物置へ抜けて、表へ逃げちまったって」
検事は肯《うなず》きながら大江山課長の方を向いて「そんな逃げ路のあることを何故前もって調べておかなかったのかネ、君。早速《さっそく》キャバレーの主人を呼んできたまえ」
「はア――」
課長は面目ない顔をして、部下にキャバレーの主人を引張ってくることを命じた。
間もなく、奥から身体の大きなキチンとしたタキシードをつけた男が現れた。彼はどことなく日本人離れがしていた。それも道理だった。彼はオトー・ポントスと名乗るギリシア人だったから。
「わたくし、ここの主人、オトーでございます。――」
西洋人の年齢はよくわからないが、見たところ三十を二つ三つ過ぎたと思われるオトー・ポントスはニコやかに揉《も》み手《で》をしながら、六尺に近い巨体をちょっと屈《かが》めて挨拶《あいさつ》をした。
「君が主人かネ」と検事はすこし駭《おどろ》きの色を示しながら「怪しからん構造物があるじゃないか。この円柱《まるばしら》が二つに割れたり、それから中に階段があったり、物置に抜けられたり、一体これは如何《いか》なる目的かネ」
「それはわたくし、知りません。この仕掛はこの建物をわたくし買った前から有りました」
「ナニ前からこの仕掛があった? 誰から買ったのかネ」
「ブローカーから買いました。ブローカーの名前、控《ひか》えてありますから、お知らせします」
「うむ、大江山君。そのブローカーを調べて、本当の持ち主をつきとめるんだ。――それはいいとして何故こんな抜け路をそのままにして置いたのかネ。何故痣蟹に知らせて、利用させたのだ」
「わたくし痣蟹と称《よ》ぶミスター北見仙斎《きたみせんさい》を信用していました。あの人、わたくし故国《くに》ギリシアから信用ある紹介状もってきました」
「ギリシアから紹介状をもってきたって。ほほう、痣蟹はギリシアに隠れていたんだな。イヤよろしい。君にはゆっくり話を聞くことにしよう。しかしもし痣蟹から電話でも手紙でも来たら、すぐ本庁へ知らせるのだ。いいかネ。忘れてはいけない」
「よく分りました」
そこでオトー・ポントスはまた恭《うやうや》しげに敬礼をして下《さが》ろうとしたとき、
「ああ、ちょっと待って下さい」
と声を掛けた者があった。それは先刻《さっき》から痣蟹の遺留《いりゅう》した品物をひねくりながら、この場の話に耳を傾けていた覆面探偵《ふくめんたんてい》青竜王《せいりゅう
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