を停め、ジュリアを抱き起すと、彼女は失心《しっしん》からやっと気がついた。
「どうしたのです。そして千鳥さんは……」
「ああ、千《ち》いちゃんは、……」とジュリアは白い腕を頭の方にあげて何か考えているようだったが、
「――誰かが攫《さら》って……」といって入口の方を指《ゆびさ》したと思うと、ガックリと頭を垂《た》れた。ジュリアはまた失心してしまったのだった。
「ナニ、千鳥さんは攫われたというのか」
 課長はジュリアを検事に預けて、自分は浴室を飛びだした。見ると正面の窓硝子が上に開いて、しかも硝子が壊《こわ》れている。さっきの酷《ひど》い音はこれだったのだ。怪人物は千鳥を奪って、此処《ここ》から逃げたのに違いない。
 彼はヒラリと窓を飛び越して、外へ出た。
 そしてあたりを見廻わしたが、クラブの囲《かこ》いの外は、茫々《ぼうぼう》たる草原が見えるばかりで、怪人物の姿は何処にも見えなかった。ただ遥《はる》か向うを、濛々《もうもう》たる砂塵《さじん》が移動してゆくのが目に入った。
「ああ、あれだッ。自動車で逃げたナ」
 彼は玄関に廻ってみると、そこで連《つ》れて来た運転手とバッタリ出会った。
「課長さん。自動車を盗まれてしまいました」
 と運転手は青くなって云った。
 後には自動車が一台もなかった。だから向うを怪人物が裸身《らしん》の矢走千鳥を乗せたまま逃げてゆくのを望みながらも、何の追跡する方法もなかった。
「そうだ、電話をかけよう」
 事務室に飛びこんだ課長は、まどろこしい郊外電話に癇癪玉《かんしゃくだま》を爆発させながら、それでも漸《ようや》く警察署を呼び出し、自動車|取押《とりおさ》え方《かた》の手配をするとともに、また至急《しきゅう》自動車をゴルフ場へ廻すように頼んだ。そして検事の待っている方へ歩いていった。
 ジュリアは事務室の中で、急拵《きゅうごしら》えのベッドの上に寝かされていた。枕頭《ちんとう》には医学博士蝋山教授が法医学とは勝手ちがいながら何くれとなく世話をしていた。雁金検事は腕を拱《こまね》いて沈思《ちんし》していたが、課長の入ってくるのを見るなり、
「矢走|嬢《じょう》は見つかったかネ」
 と聞いた。課長は一伍一什《いちぶしじゅう》を報告して、見失ったのを残念がった。
「ジュリアさんは、何か話をしましたか」
 と課長の問うのに対し、検事は掻《か》い摘《つ》まんで話をした。――ジュリアの話によると、彼女は噴泉を浴びているうちに、隣室の千鳥が只ならぬ悲鳴をあげたので、愕《おどろ》いて隣室へ飛びこんでみると、どこから入ったか、一人の怪漢が千鳥を襲っているので、背後《うしろ》から組みついたところ、忽《たちま》ち振り倒されて気を失った。気がついたら、こんなところに寝ていたというのであった。
「その怪漢の顔とか、服装には記憶がありませんか」
「咄嗟《とっさ》の出来ごとで、何も分らないそうだ。背後《うしろ》から組みついたので、顔も見えないというのだよ」
 そのときジュリアは目をパッチリ明いて、もう大丈夫だから、竜宮劇場の出場に間に合うよう帰りたい。西一郎を呼んでくれるようにと云った。
「ああ、西一郎。彼はどこへ行ったんです」
「一郎君が見えないネ。――」
 と不審《ふしん》をうっているところへ、扉《ドア》が明いて、彼がヌッと入って来た。
「オイ君はこの騒ぎの中、どこにいたのだい」
 と課長は目を光らせていった。
「ちょっと外へ出て、畠を見ていたのです。都会人はこんなときでなければ、野菜の生えているところなんか見られませんよ」と云ったけれど、何だかわざとらしい弁解のように聞えた。
 ジュリアは西の声を聞くと、一層《いっそう》帰りたがった。そこで西の外《ほか》に検事が附添って帰ることになり、大江山課長と蝋山教授は残ることになった。丁度警察から差し廻しの自動車が来ていたので、三人は直ぐ東京へ出発することが出来た。
「どうも西という男は曲者《くせもの》だて」と、蝋山教授は頭を大きく左右へ振った。
「まさか西一郎が、千鳥を襲撃したのじゃあるまいな」と課長は独《ひと》り言《ごと》をいった。
「それは何とも云えぬ。――」
 といっているところへ、警笛《けいてき》をプーッと吹き鳴らしつつ、紛失した大江山の自動車が帰って来た。課長は愕いて玄関へ走りだしたが、中からは意外にも、彼の連れていた運転手の怪訝《けげん》な顔が現れた。
「自動車がございました。二百メートルばかり向うの畠の中に自動車の屋根のようなものが見えるので行ってみました。すると、愕いたことに、これが乗り捨ててあったのです」
「フーン」
 と大江山は呻《うな》った。一体何者の仕業《しわざ》か。西一郎がやったのか、それとも例のポントスが現れたのか、或いはまたその辺を徘徊《はいかい》し
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