い》だったのだ!
「ああ、あたしは……」と妖女は胸を大濤《おおなみ》のように、はげしく慄《ふる》わせた。思いがけない大きな驚きに全く途方《とほう》に暮れ果てたという形だった。
「やっぱり、刺し殺すのだ!」
と叫んで、妖女は再び鋭いナイフをふりあげたが、やがて力なく腕が下りた。
「どうして貴下が殺せましょう。妾の運命もこれまでだ!」
そういった妖女は、青竜王の身近くによると、戒《いまし》めの縄をズタズタに引き切った。しかし青竜王は覆面をとられたことさえ気がつかない。――妖女はいつの間にか、この荒れ果てた部屋から姿を消してしまった。
かくて風前《ふうぜん》の灯《ともしび》のように危《あやう》かった青竜王の生命は、僅かに死の一歩手前で助かった。
大団円《だいだんえん》、死の舞踊《ぶよう》
「――検事さん! 雁金さんは何処へ行かれた?」
と、慌《あわ》ただしく、検事局の宿直室に飛びこんで来たのは、大江山捜査課長だった。
「おう、どうしたかネ、大江山君」
検事は書見《しょけん》をやめて、大きな机の陰から顔をあげた。
「ああ、そこにおいででしたか。喜んで下さい。とうとうポントスを探しあてましたよ。そして――大団円です」
「ポントスを生捕りにしたのかネ」
「いえ仰《おっ》しゃったとおりポントスは死んでいました。やはりキャバレー・エトワールの中でした。ちょっと気がつかない二重壁の中に閉じ籠められていたのです」
「ほほう、それは出かしたネ」
「ポントスは素晴らしい遺品をわれわれに残してくれました。それは壁の上一面に、折《お》れ釘《くぎ》でひっかいた遺書なんです。彼は吸血鬼に襲われたが、壁の中に入れられてから、暫《しばら》くは生きていたらしいですネ」
「おや、すると彼は吸血鬼じゃなかったのだネ」
「吸血鬼は外にあります。――さあ、これが壁に書いた遺書の写しです。吸血鬼の名前もちゃんと出ています」
といって大江山はあまり綺麗でない紙を拡げた。検事はそれを机の上に伸《の》べて、静かに読み下《くだ》した。
「ほほう、――」と彼は感歎《かんたん》の声をあげ「これでみると、吸血鬼はパチノの曾孫である赤星ジュリアだというのだネ。おお、するとあの竜宮劇場のプリ・マドンナ、赤星ジュリアがあの恐るべき兇行の主だったのか」
と検事は悲痛《ひつう》な面持《おももち》で、あらぬ方を
前へ
次へ
全71ページ中64ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
海野 十三 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング