たら、妾は吸血鬼とならずに済んだかもしれない。恐ろしい運命だ」
「そうか、パチノが先祖から承《う》けついだ吸血病か、そうして遂《つい》に君にまで伝わったのか、パチノの曾孫《そうそん》にあたる吾《わ》が……」
「お黙り!――」と、悪鬼は足を揚《あ》げて、青竜王の脾腹《ひばら》をドンと蹴った。
「ウーム」
 と彼が呻きながら、その場に悶絶《もんぜつ》した。
「ああ、それ以上の悪罵《あくば》に妾が堪えられると思っているのかい。約束の五分間以上|喋《しゃべ》らせるような甘い妾ではないよ。お前さんはよくもこの妾の邪魔をしたネ」と憎々しげに拳をふりあげながら「さあこれから久し振りに、生ぬるい赤い血潮をゴクゴクと、お前さんの頸笛《くびぶえ》から吸わせて貰おうよ」
 と云ったかと思うと、悪鬼の女は頭の上から被っていた黒布《こくふ》に手をかけるとサッと脱ぎ捨てた。すると、驚くべし、その下から現れたのは、髪も灰色の老婆かと思いの外《ほか》、意外にも意外、それは金髪を美しく梳《くしけず》った若い洋装の女だった。その顔は――生憎《あいにく》横向きになっているので、見定《みさだ》めがたい!
 毒の華《はな》のような妖女《ようじょ》の手が動いて、黄昏の空気がキラリと閃《ひか》ったのは、彼女の翳《かざ》した薄刃のナイフだったであろう。いまやその鋭い刃物は、不運なる青竜王の胸に飛ぶかと見えたが、そのとき何を思ったか、妖女は空いていた左手をグッと伸べて、青竜王の覆面に手をかけた。
「そうだ。誰も知らない青竜王の覆面の下を、今際《いまわ》の際に、この妾が見て置いてあげるよ……」
 そう独言《ひとりごと》をいって、彼女はサッと覆面を引き※[#「てへん+毟」、第4水準2−78−12]《むし》った。その下からは思いの外若い男の顔が現れた。両眼を力なく閉じているが、そのあまりにも端正《たんせい》な容貌!
「ああ、貴下は……西一郎!」
 そう叫んだのは同じ妖女の声だったが、咄嗟《とっさ》の場合、作り声ではなく、彼女の生地《きじ》の声――珠《たま》のように澄んだ若々しい美声《びせい》だった。――ああ、とうとう探偵の覆面は取り去られたのだった。いま都下に絶対の信用を博《はく》している名探偵青竜王の正体は、白面《はくめん》の青年西一郎だったのだ。そして吸血鬼に屠《ほふ》られた四郎少年こそは、彼と血を分けた愛弟《あいて
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