見あきると、レヴィウを見た。宝塚《たからづか》の可愛いいレヴィウから、カジノ・フォリー、プペ・ダンサントと進み、北村富子一座などというエロ・ダンスへ移り、アパッシュ・ダンスを観た。C子が僕と踊りたいといい出したのは恰度《ちょうど》その頃だった。僕は一応それを押しとどめたが、それは無論、手だった。興奮しきった彼女は、僕の忠告に、倍以上の反発《はんぱつ》をもって舞踊《ぶよう》を強いた。僕達は、あの淫猥《いんわい》なアクロバティック・ダンスを見て帰ると、其の次の日には、僕の室をすっかり閉めきって、二人で昨夜のダンスを真似てみるのだった。勿論《もちろん》何の経験ももたない僕達に、あんなに激しいダンスが踊れるわけはなかった。僕達は不意に手を離してしまって床の上に※[#「てへん+堂」、第4水準2−13−41]《どう》と抛げだされて瘤《こぶtを拵《こしら》えたり、ドッと衄血《はなぢ》[#底本では「はなじ」]を出したり、筋をちがえた片腕を肩に釣って疼痛《とうつう》にボロボロ泪を流しながらも、奇怪なる舞踊をつづけたのだった。だが僕達の身体は清浄《せいじょう》で、C子はまだ処女だった。時分はよしと、僕は彼女を、秘密室のあるダンス場めぐりに連れ出したのだった。それから四五日経って、C子は逆に僕を挑《いど》んだのだ。だが僕は素気《そっけ》なく拒絶した。拒絶されると反《かえ》って嵐のような興奮がC子の全身に植えつけられたのだった。すべて僕の注文どおりだった。其の翌日、僕は、六ケ月かかって発酵《はっこう》させたC子という豊潤《ほうじゅん》な美酒《びしゅ》を、しみじみと味わったことだった。
 こうして僕が味わった女の数は、百を越えている。こんなことを、貞操蹂躙《ていそうじゅうりん》とか色魔《しきま》とか云って大騒ぎする奴の気が知れない。『洗滌《せんじょう》すれば、なにごともなかったと同じように清浄になるのだ』とロシアの若い女たちは云っているじゃないか。それに違いない。誰もが、徹底して考えて実行すればいいのだ。そりゃ中には捨てた女からピストルをつきつけられることもあるが、何でもない。万一射ちころされたとしても散々《さんざん》甘味《うまみ》な酒に酔《よ》い痴《し》れたあとの僕にとって『死』はなんの苦痛でもなければ、制裁とも感じない。僕の家の机の上にはふくよかな肘突《ひじつき》があるが、その肘突の赤と黒との縮緬《ちりめん》の下に入っているものは、実は僕が関係した女たちから、コッソリ引き抜いてきた……」
「オイ星宮君、十一時がきた!」と、此の時横合いから口を入れた大蘆原軍医の声は、調子外《ちょうしはず》れに皺枯《しわが》れていた。

     4



   第三話 大蘆原軍医の話


「それでは私が、今夜の通夜物語の第三話を始めることにしよう」そう云って軍医はスリー・キャッスルに火をつけた。
「川波大尉どののお話といま聞いたばかりの星宮君の話とは全然内容がちがっている癖に、恋愛論というか性愛論というか、それが含まれているところには、一種連続点があるようだ。そこで、私の話も、勢いその後を引継いだように進めるのが、面白いように思う。ところが丁度ここに偶然、第三話として、まことに恰好な物語があるんだ。そいつを話すことにしよう。
 実は今夜、私がここへ出勤するのが、常日頃に似合わず、大変遅れてしまって、諸君に御迷惑をかけたが(と云って軍医は軽く頭を下げた)何故私が手間どったのか、それについてお話しよう。
 今夜七時、私の自宅に開いている医院に、一人の婦人患者がやってきたのだ。美貌《びぼう》のせいもあるだろうが、二十を過ぎたとは見えぬうら若い女性だった。その、少女とでも云いたいような彼女が、私に受けたいというのは、実は人工流産だというんだ。一体、人工流産をさせるには、医学的に相当の理由が無くては、開業医といえどもウッカリ手を下せないのだ。母体が肺結核《はいけっかく》とか慢性腎臓炎《まんせいじんぞうえん》であるとかで、胎児《たいじ》の成長や分娩《ぶんべん》やが、母体の生命を脅《おびやか》すような場合とか、母体が悪質の遺伝病を持っている場合とかに始めて人工流産をすることが、法律で許されてある。若《も》しこれに反して、別段母体が危険に瀕《ひん》してもいないのに、人工流産を施《ほどこ》すと、その医者は無論のこと、患者も共ども、堕胎罪《だたいざい》として、起訴されなければならない。
 さて、その若い女の全身に亙《わた》って、精密な診断を施したところ、人工流産を施《ほどこ》すべきや否《いな》やについて、非常に困難な判断が要ることが判った。それというのが、打ちみたところ、この女は立派に成熟していたが、すこし心神《しんしん》にやや過度の消耗《しょうもう》があり、左肺尖《ひだりはいせん》に軽微《びじゃく》ながら心配の種になるラッセル音が聴こえるのだ。この患者の体力消耗が一時的現象で、このまま回復するのだと、肺尖加答児《はいせんかたる》も間もなく治癒《ちゆ》するだろうから、折角始めて得た子宝《こだから》のことでもあり、流産をさせないで其の儘《まま》、正規分娩にまで進ませていいのだ。だが若《も》し、この消耗が恢復せず、更に悪化するようなら、断然《だんぜん》流産をさせて置く方がよろしい。しからば、この女性について、見込みはいずれであろうか、と考えると、これがどっちにも考えられるのだ。私として、これは惑わざるを得ない事柄だった。
『もう一《ヒ》ト月待ってみませんか』
 と私は云いたいところだ。しかし、一ケ月後の人工流産では、すこし大きくなりすぎているので、母体の余後が少し案ぜられるのだった。けれども、私はそんなことを口に出して云わなかった。それというのが、以前この女の口から泪《なみだ》をもって聞かされた話があるからなのだ。
 この若い女には、彼女の胎児にパパと呼ばせる男がなかったのだ。と云って、その男が死んでしまったわけではない。早く云えばこの女は、親の許さぬ或る男に身を委せ、とうとう妊娠《にんしん》して仕舞ったのだ。男は、幣履《へいり》のごとく、この女をふり捨ててしまったのだった。彼女は、星宮君の云うが如きロシアの女には、なりきれなかったのだ。棄てられてしまうと、彼女はやっと目が覚めた。貞操を弄《もてあそ》ばれた悔恨《かいこん》が、彼女の小さい胸に、深い深い溝《みぞ》を刻みこんだ。それからというものは、彼女は人が変ったように終日《ひねもす》おのれの小さい室に引籠《ひきこも》って、家人にさえ顔を合わすのを厭《いや》がったが、遂には極度の神経衰弱に陥り、一時は、あられもない事を口走るようになってしまったのだった。
 彼女の家庭のひとびとは、彼女を捨てたその男を呪《のろ》ってやまなかった。中でも一番ふかい憤怒《ふんぬ》をいだいたのは、次兄にあたる人だった。次兄は彼女が幼いときから、特別に彼女を可愛いがっていたのだった。
『大きくなったら、あたいのお嫁さんに貰おうかなア』
 などと云って両親や、伯母たちに散々笑われたほどだった。そんなに可愛いがった妹が、救《すく》う途《みち》のない汚辱《おじょく》に泣き暮しているのを見ると、その次兄は、
『復讐《ふくしゅう》だ、復讐だ! きっと其の男を殺して、八ツ裂《ざ》きにしてやるんだ。おれがその男を殺した廉《かど》により、次の日、死刑にされたっていい』
 と家中を呶鳴《どな》って歩いたものだ。彼は復讐の方法をあれやこれやと考えたのだったが、遂には、それはすべて無駄だと判った。それというのが、その男は、星宮君と同じような近代的の主義思想の男で殺されても一向制裁と感じないという種類の人物だった――とマア、斯様《かよう》に連絡をつけて話をしないと、どうも面白味が出てこない」
 軍医はポケットから手帛《ハンカチ》を探しだして汗を拭いた。このとき南に面した硝子窓《ガラスまど》が、カタコトと鳴って、やがてパラパラと高い音をたてて大粒の雨がうち当った。
「ほう、これはひどい雨になったな。――で其の次兄というのが、智恵袋《ちえぶくろ》を、いくたびもいくたびも絞《しぼ》りかえしているうちに、とうとう彼は、その場に三尺も躍りあがるような、素晴らしい復讐《ふくしゅう》を考えついたのだった。それは……」
 と、ここまで大蘆原軍医が話してくると、どこかで、
「コトコト、コトコト……」
 と扉《ドア》を叩くような物音がした。三人の男は、サッと顔色をかえると、一|斉《せい》に入口の扉の方にふりむいたのだった。
「吁《あ》ッ!」
 扉が、しずかに手前へ開いてゆく。
 扉の蔭から、若い女の姿が現われた。ぴったり身体についた緋色《ひいろ》の洋装が、よく似合う美しい女だった。
「紅子――」
 そう呼んだのは、川波大尉だった。それは、紛《まぎ》れもなく川波大尉夫人の紅子に違いなかったのであった。
「紅子、お前は一体、どうしてこんな夜更《よふけ》に、こんな場所までやって来たのだ」
「ちょいと、お顔がみたかったのよ。それだけなの、おほほほほ」
 と紅子は笑いながら、悪びれた様子もなく一座を見まわした。このときニヤリと笑ったのは、星宮学士だった。待ち構えたように、それを逸早《いちはや》く認めた川波大尉だった。彼は軍医の話をそちのけにして、スックリ其の場に立ち上った。
「紅子、お前にちょっと聞くが、儂が土耳古《トルコ》で買ってきたといった珍らしい彫刻のある指環を、お前にやって置いたが、先日そいつを、どこかで失くしたと云ったね」
「エエそうですわ。でもあれは、もう済んだことじゃありませんの」と紅子は、丸い肩を、ちょっとすぼめるようにして云った。
「よォし、無いと判ってりゃ、よいのだ」大尉はそう云うとクルリと身を飜《ひるがえ》し、いきなり星宮学士の両腕をグッと掴《つか》んだ。「貴様! という貴様は、実に怪しからん奴だ。儂《わし》の女房を誘惑して置いて、よくもあんな無礼《ぶれい》きわまる口を叩いたな。死ぬのを怖れんという貴様に、殺される苦痛がどんなものか教えてやるんだ!」
 実験室の静寂《せいじゃく》と平和とは、古石垣《ふるいしがき》のようにガラガラと崩れて行った。
「ウフ。今になって気がついたか、可哀想な大尉どの。だが僕が簡単に殺せると思ったら大間違いだよ」
「言うな、色魔《しきま》!」
「なにを――」と星宮学士は、右のポケットにあるピストルを探りあてた。それを出そうと思って、大尉につかまれた右腕を離そうとして、必死に振りきった。べりべりッという厭《い》やな音がして、学士の洋服が引裂けると、右腕が急に自由になった。
(こうなると、こっちのものだ)
 そう思った星宮学士は、ピストルを握った右の拳をグッと前にのばそうとした。そこを、
「エイ、ヤッ」
 と大尉が飛びついて、両腕をグッと捻《ね》じあげた。学士は捻じられながらも、いきなり大尉の脇腹を力一杯
「ウン!」
 と蹴とばしたが、この時遅し、大尉は素早く、身体を左に開いたので、気絶することから、辛《かろ》うじて免れたが、その代り、二人の身体は、もつれあったまま、もんどり打って床の上に仆《たお》れてしまった。二人は跳ねおきようと、互《たがい》に死物《しにもの》ぐるいの格闘をつづけ、机をひっくりかえし、書類箱を押したおしているうちに、どうした弾《はず》みか、ピストルが星宮理学士の手許をはなれ、ガチャンと音をたてて、向うの壁に叩きつけられた。
「さあ、この野郎。ほざけるなら、ほざいてみろ!」
 そう云って、いかにも勝ちほこった名乗をあげたのは、川波大尉だった。星宮理学士は大尉の逞《たくま》しい腕にその細首をねじあげられて、ほとんど宙にぶらさがっていた。が、どんな隙《すき》があったのだろうか、学士は両手を大尉の股間《こかん》にグッと落とすと、無我夢中になって大尉の急所を掴《つか》んだのだった。
「ウーム」
 と大尉が呻《うな》った。彼の顔は赤くなり、青くなりしたが、これも死にもの狂いの形相《ぎょうそう》ものすごく、学士の身体をグッと手許へよせると、骨も砕けよと
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