軽微《びじゃく》ながら心配の種になるラッセル音が聴こえるのだ。この患者の体力消耗が一時的現象で、このまま回復するのだと、肺尖加答児《はいせんかたる》も間もなく治癒《ちゆ》するだろうから、折角始めて得た子宝《こだから》のことでもあり、流産をさせないで其の儘《まま》、正規分娩にまで進ませていいのだ。だが若《も》し、この消耗が恢復せず、更に悪化するようなら、断然《だんぜん》流産をさせて置く方がよろしい。しからば、この女性について、見込みはいずれであろうか、と考えると、これがどっちにも考えられるのだ。私として、これは惑わざるを得ない事柄だった。
『もう一《ヒ》ト月待ってみませんか』
 と私は云いたいところだ。しかし、一ケ月後の人工流産では、すこし大きくなりすぎているので、母体の余後が少し案ぜられるのだった。けれども、私はそんなことを口に出して云わなかった。それというのが、以前この女の口から泪《なみだ》をもって聞かされた話があるからなのだ。
 この若い女には、彼女の胎児にパパと呼ばせる男がなかったのだ。と云って、その男が死んでしまったわけではない。早く云えばこの女は、親の許さぬ或る男に身を委せ、
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