大尉どのは、『戯れに恋はすまじ、戯れならずとも恋はすまじ』と、禅坊主《ぜんぼうず》か修道院《しゅうどういん》生徒のような聖句《せいく》を吐かれたが、僕は、どうかと思うね。それなら、ちょいと伺《うかが》ってみたい一条がある、とでもねじ込みたい。大尉どのの、あの麗《うるわ》しい奥様のことなんだ。あんな見事な麗人《れいじん》をお持ちでいて、『恋はすまじ』は、すさまじいと思うネ。僕は詳《くわ》しいことは一向知らないけれど、余程のロマンスでもないかぎり、大尉どのに、あの麗人《れいじん》がかしずく筈がないと思うんだ、いや、大尉どのは憤慨《ふんがい》せられるかも知れないけれどね――。で僕に忌憚《きたん》なく云わせると、大尉どのの結論は、本心の暴露《ばくろ》ではなく、何かこう[#「こう」に傍点]為めにせんとするところの仮面結論《かめんけつろん》だと思うのだ。大尉どのの真意《しんい》は何処にある? こいつは面白い問題だ――と、イヤにむきになって喰ってかかるような口を利くのも、実はこうしないと、これからの僕の下手な話が、睡魔《すいま》を誘《さそ》うことになりはしないかと、心配になるのでね。
 そこで、僕に
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