彼の顔はキリストの前に立った罪人のように、百の憐愍《れんびん》を請《こ》うているのだった。『おれが悪かった! 何でも後から相談に応じるから、おれを死なせないで呉れ給え』と、そんな風に見える真青《まっさお》の顔だった。そして尚も、助かろうとして逃げた。竹花中尉には、熊内中尉の恐ろしい決心のほどが、ハッキリと判るのだった。
 実は二人の間には、こんな訳があるのだった。二人は元々K県出の、たいへん仲の善い僚友《りょうゆう》だったが、あの事件の時から一年程前に、儂も識《し》っているがAという若い女が、二人の間近かに現われてからというものは、急に二人は背《そむ》いて行った。そのAという女は、非常に眼と唇とのうつくしい、そして色がぬけるように白くて、真紅な帯や、真紅な模様の羽織なんかがよく似合う少女だった。笑うと、ちょいと開いた唇の間から、真白な糸切《いとき》り歯《ば》がニッと出てくるのが、また何とも云えない程可愛らしく見えた。そのAさんという少女に、二人が同時に惚れこんだのも、全く無理のないことだった。しかしお互に、相手の気持を知ると、二人は二十幾年の友情も、プッツリ忘れてしまった。彼等は、表面
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