私は人気《ひとけ》のない室《へや》に安心して、千円の紙幣束《さつたば》を壮平に手渡した。その千円は、実を云えば銀座を出るとき、仲間から餞別《せんべつ》に贈られた云わば友達の血や肉のように尊《とうと》い金であったけれど、老人はワナワナ慄《ふる》える手に、それを受取った。そして指先に唾《つば》をつけて、一枚一枚紙幣を数えていった。
「確かに千両。わしゃ、お礼の言葉がない」
「お礼は云うにゃ及ばないよ。それよか爺さん、ちょっと云って置くことがある」
「へーい」
「私が金を出したことは、誰にも云っちゃならないよ。しかしそれがためにあの建物がまだ爺さんの手にあるのだと思って、買いたいという奴が出て来たら、あの建物はいつでも返してやるから、直ぐ私のところへ相談に来なさい。いいかい爺さん」
「へーい、御親切に。だがあれを買いたいなんて物ずきは、これから先、出て来っこないよ、あんたにゃ気の毒だけれど……」
「はッはッはッ」
 私は壮平爺さんを外に送りだした。老人のイソイソとした姿が、町角に隠れてしまうと、私は船会社《ふながいしゃ》と、東京から連れてきた身内の者とに電話を掛けた。それから外へ飛び出し
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