んばかりに駭《おどろ》いた。顔色を変えてカンカン寅の留守宅へ行って、いままでの事情を話すと共に、この際是非に融通《ゆうずう》を頼むと歎願《たんがん》をした。しかし留守を預る人達は、老人の話を鼻であしらって追いかえした。親分がこんなになっていて、そんなことが聞《き》かれると思うか、いい年をしやがってという挨拶《あいさつ》だった。
心臓が停まるほど驚いた壮平爺さんは、泣く泣く我が家へ帰っていった。路々《みちみち》、この上は娘に事情を云って新しい借金を負《お》わせるか、さもなければ首をくくろうかといずれにしても悲壮な肚《はら》を決めかけていたところへ、私が背後《うしろ》から声をかけたのだった。爺さんとは、私が少年時代からの知り合いの仲だった。――と、まアこういう訳だった。
「じゃあ爺さん。私がカンカン寅に代って、あれを千円で譲《ゆず》りうけようと思うが、どうだネ」
と、事情を訊いた私は、相談を持ちかけた。
「えッ。あんたが、代って千円を」爺さんは目を瞠《みは》って云った。
「文句がなければ、金はいまでも渡そう」
「そうけえ。済まないが、そうして貰うと……」
「ホラ、千円だア。調べてみな」
私は人気《ひとけ》のない室《へや》に安心して、千円の紙幣束《さつたば》を壮平に手渡した。その千円は、実を云えば銀座を出るとき、仲間から餞別《せんべつ》に贈られた云わば友達の血や肉のように尊《とうと》い金であったけれど、老人はワナワナ慄《ふる》える手に、それを受取った。そして指先に唾《つば》をつけて、一枚一枚紙幣を数えていった。
「確かに千両。わしゃ、お礼の言葉がない」
「お礼は云うにゃ及ばないよ。それよか爺さん、ちょっと云って置くことがある」
「へーい」
「私が金を出したことは、誰にも云っちゃならないよ。しかしそれがためにあの建物がまだ爺さんの手にあるのだと思って、買いたいという奴が出て来たら、あの建物はいつでも返してやるから、直ぐ私のところへ相談に来なさい。いいかい爺さん」
「へーい、御親切に。だがあれを買いたいなんて物ずきは、これから先、出て来っこないよ、あんたにゃ気の毒だけれど……」
「はッはッはッ」
私は壮平爺さんを外に送りだした。老人のイソイソとした姿が、町角に隠れてしまうと、私は船会社《ふながいしゃ》と、東京から連れてきた身内の者とに電話を掛けた。それから外へ飛び出し
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