あの事件のあったとき階段を誰かが降りて来る跫音《あしおと》を、お聞きにならなかったですか?」
「さア、存じませんね」
「硝子扉《ガラスど》がガチャンと言ったでしょう」
「ちっとも気がつきませんでしたよ」
 女史は平然と答えた。僕は或いは自分の思いちがいで跫音をきき扉《ドア》の鳴るのをきいたのかと思いかえしてもみたが、それにしてはあまりに明らかな記憶だ。階段が一種のリズムをもって鳴ったことをどうして忘れられようか。
 今度はミチ子を尋問《じんもん》した。尋問というと固苦しく響くが、そんな固苦しい態度に出《い》でなければミチ子と話なんか出来る筈のない僕であった。それは初恋の経験を持たれる読者諸君には、覚《おぼ》えのあることであろうと思う。そのミチ子――愛人ミチ子はあの事件の三十分前には確《たしか》に図書室に居たが、事件の後一時間ほども所在が不明であった。
「ミチ子さん(こう呼んでもいいかしらと僕は思った)貴女《あなた》はあの事件のあった時間、何処《どこ》へいらっしゃいました」
「あたし? どこに居たっていいじゃないの」
 と彼女は朗《ほがら》かだった。
「あれから一時間も貴女は室《へや》に
前へ 次へ
全37ページ中23ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
海野 十三 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング