称することも、其《そ》の日知ったのである)東京の北郊《ほくこう》飛鳥山《あすかやま》の地続きにある閑静《かんせい》な研究所で、四階建ての真四角な鉄骨貼《てっこつは》りの煉瓦《れんが》の建物が五つ六つ押しならんでいるところは、まことに偉観《いかん》であった。僕は第二号館にある物理部へ編入せられ九坪ほどの自室と、先輩の四宮《しのみや》理学士と共通に使う三室から成る実験室とを与えられた。そして研究は、国研の範囲と認める自由な事項を選定してよいと謂《い》うことで、四宮理学士と共に、特に所長芳川博士直属の研究班ということになった。四宮理学士は、背丈はあまり高くはないが、色の白いせいか大理石の墓碑《ぼひ》のように、すっきりした青年理学士で、物静かな半面に多分の神経質がひそんでいるのが一と目で看守《かんしゅ》せられた。僕よりは四歳上の丁度《ちょうど》三十歳で、友江田先生よりは矢張り四歳下になっていた。
 僕は最初の一日を、今日から自分のものになった椅子の上にのびのび腰を下し、さて何を研究したものかと考え始めたが、一向に纏《まとま》りはつかず、考えれば考えるほど、今日の帰り路は、どう取って、定刻までに
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