村」を建設するつもりで活躍しており、昨二十六日の毎日新聞にその記事が出た。好漢病気にならなければよいが、とそれを祈っている。
◯それ以来私はのどを痛め、風邪をこじらし、ずっと家に引込んでいる。
◯九州連日爆撃に、鹿児島の家のことと、永田夫妻の安否を心配している。前にはこっちが心配せられ、今はこっちがあっちを心配しつづけている。
去る日、鹿児島の家の向隣に爆弾がおちたそうで、永田家も損じたらしい。しかし「住むにさしつかえありません」とお母さんから報じて来たところを見ると、相当塀や瓦をやられたことと思う。
五月一日
◯先日来二度朝、立川へB29が大挙来襲、昨日などは硫黄島からP51、百機も参加した。
一度つづけさまの爆裂音を聞いた。あとは穏かになり、時々実戦の音を西方の曇天に聴くのみ。
◯昨日、千葉県大和田の鷹の台クラブへ行き、ロッカー中のクラブやバッグ、靴などをとりに行ったが、すでに盗まれてしまっていてなにひとつとてもない。手ぶらで戻る。
船橋にも、前のようにハマグリ、アサリの売店はない。ポツン(玉もろこしのはぜたるもの)二、三十入り、一袋三十五銭で売っているのを十個買って帰る。
◯それにしても、両国から平井に至る間、左右見渡すかぎりの焼野原で、数千本の煙突から煙の出て居るのは僅々七、八本に過ぎず、工業生産力の低下に今さらながら慄然とし、敗戦的観念に追いつめられてしまった。
◯ベルリンはあと五分の一を余すのみ。ヒムラー内相より英米へ降服申入れありしとの噂立つ。
木村毅氏の曰く「イギリスではヒットラーが昨年七月の爆弾事件で死んだという説を盛んに言いふらしているぜ。今居るヒットラーは贋者《にせもの》だというんだ」
私はいった。
「それが真偽いずれにしても、興味ある報道ですね」
◯ラジオ報道は、ムッソリーニ総帥が遂にイタリアの反乱軍の手によって殺害されたと伝う。
◯モロトフ氏、急いで桑港《サンフランシスコ》会議より引揚げ、モスクワに帰る。イーデンはまだうろうろしている様子だが、これもいずれ帰るであろう。
◯ベルリン陥落乃至はドイツ休戦申入れをめぐって、英米ソの間にまた一波瀾ありそうだ。
◯ドイツ亡ばんとす。巷間「ドイツはかわいそうですね」「ヒットラー総統はあそこまでやったのに」「ドイツ軍、ヒットラー・ユーゲント、ベルリン男女市民軍、みな悲壮な戦《いくさ》をしますね」と言い、「ドイツも亡びます。いよいよ世界中が日本へ攻めかけ、イタリアやドイツのようにするのでしょうね、ああどうしましょう」と悲たんし恐怖する者をほとんど見かけない。
◯K氏曰く、「僕は生来楽天家かしらんが、この戦争は日本の勝だと信じている。ヨーロッパはもうすぐ食糧で大破綻を生ずると思う。アメリカも食糧でたいへんらしい。食糧で反枢軸国はまず敗北相をあらわしはじめるよ」
◯先日F君の話によると、まだ風船爆弾はあがっているよし。
アメリカでも報道厳禁だそうだから、かなり被害があるらしい。
五月二日
◯昨五月一日、ヒットラー総統はベルリンに於ける戦闘指揮の位置に於いて死去し、後任としてデーニッツ提督を任命したという。
その新総統はハンブルグから全国に放送し、共産主義に対する戦争の継続を宣言し、米英軍といえども共産主義に加担する者は容赦せず、と宣した。
その放送より私の受けとったものは、デーニッツ氏の米英への秋波である。
かねてドイツ海軍内部には、反抗等の暴動ありと伝えられている。その分子がヒットラー総統及びヒムラー内相を暗殺することあらば、ドイツはナチの色を払拭し、休戦するであろうとの情報が存在した。
これとあれとを相関して考え、とにかくヨーロッパに於けるドイツ軍の対米英ソ戦争は終ったのだと思う。
日独伊防共協定も、これが終幕である。あとは大東亜戦争のみが残り、そして継続することは確かである。
但しその他の新事態、新争闘の発生するであろうことは当然であり、大東亜戦争のみがこの世界にひとり進行するのでないことは疑いない。
戦争もこれからが本舞台だ。世界の情勢もこれからがいよいよ複雑化する。しっかりやらなくてはならない。そして長生きして世界の移り変わりをよく見極めたいものである。
◯四月に於けるわが収入は、金五十二円八十銭であった。大学卒業後今日までに於ける最低収入の月であった。記憶に値する。
[#地付きで](この日記終り)
[#改丁、左寄せで]
空襲都日記(二)
[#改ページ、2字下げで]
この騒然たる空の下、事実を拾うはなかなか困難であり、それを書きつけるは一層難事であるが、私としては出来るだけ書き残して行きたいと思う。
昭和二十年五月二日
ヒットラー総統死去のラジオ報道を聴いた夜
[#地付きで]海野 十三
[#ここで字下げ終わり]
五月三日
◯ドイツ・ベルリンの戦闘の終局、ヒトラー総統の戦死、デーニッツ新総統の就任、米、英、ソ、それぞれの休戦に関する報道ぶりなど、目まぐるしい欧州のニュースの連発である。ゲッペルス宣伝相は自殺したとソ連は発表した。リッペントロップ外相とゲーリング元大ドイツ元帥のことはすこしも出て来ない。ヒムラー内相のことはデーニッツ新総統が不服従の烙印を捺《お》し、ヒムラー氏の対米英休戦申入れを許さずとしたとある。
いずれにしろ、ドイツも遂に無条件降服の外ないのであろう。
今夕、鈴木総理大臣はこれにつき放送した。趣旨は分り切ったことである。若い声だが、原稿をとちるところなど老衰が見えるようである。
ドイツ大使スターマー氏も声明を発表した。「ヒットラー総統は死んだ」から始まって、総統が死に臨み、側近からデーニッツ提督を後継に選んだ炯眼《けいがん》と熱意とを指摘し、そして「ドイツ人は故人の意志を奉じて邁進精進することに於いて、世界に稀なる民族である」こと、「故総統によってまかれたる種は、将来きっと花を咲かせ実を結ぶであろう」と述べ、そして最後に「故総統は日本のよき友であり、且つ日本人崇拝者であった」と結んだ。
もう影はうすかったがムッソリーニ統帥も殺され、得意絶頂のルーズベルトは急死し、今またヒットラー総統戦死して、世界の巨名者ぞくぞく斃る。
チャーチル、スターリン氏はまだ斃れないかと興味に富んだ目が、両人のうしろをしきりに追駈けている。神のみぞ知りたもう。
◯串良の朝子[#長女]より来信。二十三日発の速達が十一日目についた。「私たちは元気です。主人は家に帰って来ませんが、下士官の方に会ったら、隊で元気で居られますといわれました」とあって、一安心した。
串良も敵の上陸の噂でかなり動揺しているらしい。朝子、大なる覚悟のほどをのべていた。
二十六日より六日間、南九州をB29の大群が連爆したのが気にかかるが、この方の手紙が来るのは、まだ十日位先となることであろう。
皆の無事を祈ってやまない。
五月五日
◯昨四日、慶大病院へ行ったが、もう大分いいから、しばらく(通院を)休んではどうかといわれた。或る程度まで治り、そして或る程度以上は治らぬことがわかったので、それに従って休むことにした。
いい散歩課業がなくなった。これからは体操と歩行とにつとめることにしよう。
◯タケノコ、きょうは湊邦三氏と岡東へ頒ける。今年の冬はいつまでも寒かったので出来悪し。うちはタケノコのちらし飯。豆かす入りも「ぐ」の数が一つふえたと解して楽しむ。ほかに椎茸(イヨ産)、にんじん、はす(奥山さんからのいただきもの)を入れる。
奥山さんへも一ぱいさし上げて、おじさんから「ごちそうさま」とよろこばれる。
◯ドイツ軍、各地にてどんどん降服中。
◯沖縄にて、わが反撃きつし。タラカン島へ上陸せし敵増強中。
◯今日はB29が約二百機近く来襲し、内地各地へ投弾。広島も初めて大空襲を受く。
◯東京は、心ならずも穏やかなり。心ならずというのは、九州等来襲ひんぴんたる土地のわが同胞に対し相済まぬと思う意味なり。
◯久し振りにわが作品放送、子供の時間「潜水島」の第一夜、つづきは明晩。
五月七日
◯昨日、焼跡の大下(宇陀児)邸二度目の訪問。今度は氏に会えた。焼跡に立ち、町会の人と立話をしている氏の後頭部一面が真っ白であるのを発見して、涙を催した。
◯しかし、大下五丁目町会長の熱情は、残留三百五十名という帝都内に珍らしい高率で、バラックや壕舎があたりに群立し、再起の意気込みすさまじく、日本人かなと感じ入った。
菜園にはすでに芽も青々と出ているし、風呂二つも今明日より入れるそうだし、髪床も数日うちに開店のよし。
◯附近に焼夷弾の筒が十数本、一邸内に固まっているところを見せて貰い、慄然とした。
◯目白警察へ畳のことで用あって行く氏と、目白駅の手前で別れた。氏も奥さんも、ともに元気なのは、うれしい。
◯大下邸もこの前とは変わり、きれいに片づき、既に種もまいてあるそうな。この家の塀が千金の値あり。
◯今日は裏の防空壕の上に、庭の敷石(実は小石をセメントで固めたもの)をずらりと敷き、敵機の機銃弾に対し、いささか強き壁とした。焼夷弾筒も防げる見込みである。晴[#晴彦、長男]暢[#暢彦、次男]よく働く。
田中さんの義ちゃんや、もう一軒の田中君の子供たちも仲々よく働いてくれる。
◯一昨夜は敵襲あるかと思われたし、実際に空襲警報も出たのであるが、入って来たのは三機だけで、こともなかった。
九州はもうこの十日間に八連爆か九連爆で、飛行場附近を盛んにやっているらしい。鹿児島からも串良からも手紙が来ず、わからない。
また瀬戸内海等ヘ、機雷投入を二日つづけてやった。きょうは尾道と四国との連絡船が停まったと出ていた。PB2Yらしい飛行艇も、房州の附近へ姿を現わし、高度五百メートルで船を攻撃したという。
タラカン島へ米軍が、ラングーンヘ英軍が上陸している。
しかしわが特攻隊、今度はつづいて猛攻をつづけ、既に沖縄周辺で撃沈破せる艦船の数は五百隻を超えた。この勢いでつづかせたいもの。
◯去る四日「疎開応急措置要綱」が発表された。老幼病人のほかは、都外へ疎開まかりならぬと決められた。これで腰が落ちつくことであろう。
五月八日
◯第四十一回目の大詔《たいしょう》奉戴日《ほうたいび》。主婦之友の安居氏来宅中に警戒警報が出て、十一時半空襲警報となる。B29、十数機と、そのあとP51、六、七十機が来襲した。
千葉、茨城方面を行動し、一部は帝都へ入ったというが、雲低く遂に機影を見ず。友軍機の八機編隊で警戒する姿が頼母《たのも》しく見えた。
◯外電によれば、ゲッペルス博士は官邸に於いて、夫人と子女四人と共に、毒物を服んで死んだとある。ヒットラー総統及びゲーリング元大ドイツ元帥の死体は見当たらず、ソ連軍躍起となって捜索中。ヒットラー総統は二十五日重傷を負い、一日ついに死去したという(三十日ともいう)。そして最後の輸血を拒み、ドイツ国民への愛を示したといわれる。
◯今日は「くろがね会」より稿料百円、主婦之友より百七十六円持って来てくれ、合計二百七十六円収入となる。昨四月は全収入合計五十二円八十銭だった。これだけでも入ってくれると、やっぱり作家生活はありがたいものだと思うようになる。四月の支出は千円とすこしであった。
五月十九日
◯あまり日記を書かなかったのは、東京方面がずっと穏やかであったためだ。
今日は九十機が立川方面へ来たが、雲が厚くて盲爆に終ったらしい。
去る十四日(五日前)は名古屋へ四百機のB29が来襲して、同機多数来襲の記録を作った。
南方基地からの敵大型機来襲記録
(三月以降少数機来襲を含まず)
(月日) (時刻) (機数) (目的地)
3月4日 朝 一五〇 東京
5日 未明 一〇 東京
夜 七 関西
10日 未明 一三〇 東京
12日 未明 一三〇 名古屋
13日 夜 九〇 大阪
17日 未明 六〇
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