海野十三敗戦日記
海野十三

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(例)英《ひで》

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(例)官軍民一体化|総蹶起《そうけっき》

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(例)後続機に対して警戒中[#「警戒中」に傍点]
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空襲都日記(一)

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はしがき

 二週間ほど前より、帝都もかねて覚悟していたとおり「空襲される都」とはなった。
 米機B29の編隊は、三日にあげず何十機も頭上にきて、爆弾と焼夷弾の雨をふらせ、あるいは悠々と偵察して去る。
 味方の戦闘機の攻撃もはげしくなり、地上部隊の高射撃もだいぶんうまくなった。被害は今までのところ軽微である。
 これからさらに空襲は激化して行くであろう。そこで特に、この「空襲都日記」をこしらえ、後日の用のため、記録をとっておくことにした。
    昭和十九年十二月七日
[#地付きで]海野 十三

   これまでのことを簡単に

◯昭和十九年十一月一日に、米機の初空襲があった。少数機だった。偵察のためと思われた。[#マリアナ基地からのB29、東京を初偵察]
 一万メートルあたりを飛来、味方戦闘機が出動したが間に合わず、高射砲もさっぱり当たらなかった。敵機は悠々と退散した。白い飛行雲をうしろに引きながら。

◯こんなことになったのも、サイパン島をはじめテニアン島、大宮島(グアム島)が敵の手に渡ったためである。
 うわさによると、敵はB29を発出させるために、サイパン島の外まで埋め立て、滑走路を長くして、実施しているそうである。

◯アメリカの放送は「B29ではない」と言っている。しかし何という種類の機であるかは言わない。B32ではないかという説、PBXの一つではないかという説がある。それはB24の改良型で、長距離偵察用として試験製作中のものだという。とにかく、銀色の巨体に、四つの発動機をつけ、少なくとも三百ノットの速力で高々度を飛んで行く敵機であった。
 本格的な空襲は、昭和十九年の十一月二十四日から始まった。[#マリアナ基地からのB29約70機、東京を初爆撃]この日(欠字)に警報が出たが、間もなく空襲警報となった。敵の編隊は伊豆半島方面より侵入、なお後続部隊ありという東部軍管区情報は、今日の空襲が本格的であることを都民に知らせた。「東部軍管区情報」を都民が非常に期待するようになったのは、この日からだといっていい。
 高射砲が鳴りだし、待避の鐘が世田谷警察署の望楼から鳴りだした。英《ひで》[#海野夫人]や松ちゃん[#海野家のお手伝いさん]などがまだぐずぐずしているのを叱りつけるようにせきたてて防空壕内に入れる。
 この壕は、昭和十六年一月に一千円ばかり費やして作った。檜材のフレームを横に並べて、同じ檜材のボルトナットで締めた上、紙を巻いてアスファルトを塗り、これを何回かくりかえし、地中に埋めたもの。階段、二ヵ所の出入口、ハシゴ、床および腰掛け、換気孔などのととのったもので、今となっては得がたいもの。あのとき作っておいてよかったと思う。十四人ぐらいは大丈夫楽に入っていられる。
 皆を中へ入れ、私は入口の階段に腰をかけて、壕内より見える四分の一の空を注意し、かつラジオの出す警報その他や、敵の爆撃の音や、味方の機や砲の音、待避の鐘の音などを注意していることにした。壕内は暖いが、この階段のところはやや寒い。板も冷える。直接土に接しているためであろう。
 子供たちは待避中元気であり、わあわあさわいでいて、心配していた私は安心した。大家[#萩原喜一郎、隣家]さんの長男の亮嗣君(二年生)と二女のしょう子ちゃんも入ってくるので、皆は一層元気よくわあわあさわぐ。
 大人の方は「あ、待避の鐘が鳴った」とか「情報だ、静かになさい」とか「今聞こえる音は爆弾だろうか、味方の高射砲だろうか」などと、ちょっと表情を固くすることもあったが、それ以外はいろいろと雑談に花を咲かせて元気がよろしい。この分なら心配なしと、私は安心した次第。

 十一月二十四日来襲の敵機は七十機内外で、爆弾は七十発ぐらい、あとは焼夷弾だった。ねらったところの第一は、三鷹の中島飛行機工場らしく、二十発の爆弾と焼夷弾一発が命中した。建物十七、八棟が倒壊、死者二百名、傷者三百名ということだった。
 次の被害顕著なるところは荏原区であったが、これは前者にくらべるとたいしたことはない。しかし戸越公園とか、雪ケ谷か洗足だったかの発電所などに落ち、地上線が半分不通となった。
 そのほか川崎で石油のドラム缶が百二十個ぐらい燃えた由。
 また、荻窪、鷺宮附近にバラバラ落下弾があり、千葉県へも落ちた由。
 要するに被害の横綱は中島であったが、他は軽微だった。

 昭和十九年十二月十日
◯午後七時半ごろ、警報鳴る。晴夜だ。家族を壕へ入れる。敵は二機だ。帝都の西方(わが家は帝都西部に位置する[#東京都世田谷区若林町])より北方へ抜けたが、また引返してきた。珍しく高射砲が鳴りだした。
「壕へ入ってよかった」と誰かがいう。
 かなりたくさん発砲した。あとで情報は「一機に命中確実」と伝えた。「よかった」と寝床の中から、皆がいった。
 残る一機は南方へ去った。

 十二月十一日
◯萩原さんの防空壕は、大工さんが入り、棚なども吊った由。亮嗣君はいつもうちの壕へきていたのに、このごろこなくなった。
◯夜半、午前二時半ごろ警報出る。伊豆方面より敵一機北東侵入。一機のこと故、子供は起こさないでおき、家内の灯管[#灯火管制。夜間、敵機の来襲に備えて、灯りを遮ったり落としたりすこと]とラジオと壕の点灯だけを用意しておく。
 晴夜にして、既に十一日過ぎの三日月は東天にかかり、星はきらきらと天空に輝き、寒々としている。高射砲が鳴りだした。
 離室への廊下から東南の方を見ると、わが照空灯が十数条、大井町の上空と思われるところへ集まっており、それよりやや左にぱらぱらと火の粉のようなものが落下して行く。それは敵機の投下した焼夷弾だ。憎むべき敵と、ふんがいする。
 やがて音も光も消え、元のような深夜の空となった。本屋の寝床へ入って寝る。

 十二月十二日
◯毎夜のごとく敵機がくる。きまって一機または二機で、せいぜい二隊位だ。昨夜と今暁二度起こされた。癪にさわる。ねむい。寒い。二度目は家族は起こさず、自分だけで一応灯管を見て廻った。
 きょうは起きたが、身体が変調だ。敵はいわゆる神経戦と疲労戦とでやってくるものだろうが、たしかにそれは一応成功している。しかしこっちも考え直して、もっといい対策を講じ、アメリカの手にのらないようにしなければならぬ。とりあえず夜分の当直は私が引受け、そして早寝をすることにしよう。
◯二度の空襲とも、夢のなかで空襲を見ていた。初めのときは、敵が毒ガスをまいたところで目がさめた。その毒ガスがいっこうに私の呼吸を苦しくさせないので「ははあ、これは夢だわい」と、目をさましたのであった。二度目は、貨車一台ほどの油脂焼夷弾がこっちのビルヘ落ち、そこら中に火をふりまき、私はたぶん晴彦[#長男]を連れ、二人ともハダシゆえ近所へ長靴を借りに行ったところで、本もののプーが鳴り、目がさめた。
 私は神経がするどい方であり「警報を聞きのがしてはならぬ」と思って眠るので、こんな夢を見るのであろうが、ひとつ眠り方を変えなければならないと思う。
◯隣組の防火班長さん、なかなか実直な人で、うちの小路までいつでも「警報解除」を告げにきてくれる。この人も、二度目のときにはこなかった。寒いし、眠いし、それにたいしたことではないので、班長さんには無理をしてもらわぬ方がいい。

 十二月十三日
◯名古屋、清水あたりへ敵機来襲。「地上施設に損害を受けた」という発表があったので、心配している。この日は、帝都へは四、五機ぐらいであった。ねえや[#お手伝いさん]のお父さんがきていて、初めてこの招かざる客を見る。
 暁の三時に、また敵機一つ来る。毎夜つづけてくる。六日以来ずっとだ。夜の当番は、私がやることにした。敵もこず、警報だけ出て、寒さにぶるぶるふるえるだけで、おしまいだった、今晩は……。

 十二月十六日
◯珍らしく昨夜は米機きたらず、したがって起きずに済んだ。六日以来毎夜きていたものがこないと、ちょっと調子はずれの形。人間は環境になじむ性質が強いと感じた。
◯夜分起きるのは私一人と、当直をきめたが、まず少数機侵入のときはこれで十分だと思う。十五日の暁方の空襲のときは、西南西の林越しにちらちらと火が見えた。てっきり焼夷弾が落ちて、こっちに横流れに流れてくるものと思い、壕を出て垣根からのびあがって透かしてみたところ、焼夷弾にあらずして照明弾だった。それもかなりの遠方に見えた。
◯昼間、敵機の爆撃音がすごくなり、味方の高射砲もどんどん撃ちまくるとなれば、恐怖心もどこかへ吹っとんでしまって「おのれ、敵の奴め、味方よ、撃て撃て!」と敵愾心《てきがいしん》で身体中が火のように燃える。
◯良太[#甥]君の宿所附近二百メートルのところに爆弾一発落下し、畠に大きな穴をあけたが、附近の家に被害なく、ガラスも割れなかったという。畠はやわらかいから、爆発してもその爆風は土壌の圧縮によって相当のクッションになるらしい。
◯護国寺裏の町に爆弾が落ちて、壕内に入れておいた二歳と五歳の幼児が圧死し、母親は見張中であって助かった由。壕が家屋に近いことは不可。壕の屋根がしっかりしていないことは不可。
◯焼夷弾は左図のごとし。燃えるテープをひいている由。
[#カット「焼夷弾の図」入る。16−上段]
◯風呂屋は従来十六時より二十三時までの営業だったのが、近ごろは十五時から十八時までとなったため、大混雑の由。
 風呂屋はガラス張りの部分が大きく、夜の灯火管制がやれないためだというが、ひとくふうあってほしいものだ。
◯うちの便所灯がつけ放しで、裏の田中さんから注意を二回受ける。私の見廻りもよくないわけで、これからは、警報発令とともに消してまわることにした(電球をひねる)。
◯夜中にまた警報。起きてみたら雪であった。ハッと心配したことは、家屋から壕内へ引いてあるコードのことであった。第四種線がないので、コードを使ってある。しかしこれでは濡れるとすぐピリピリ感電するので、過日用心のため、その上にセロファンに糊のついたテープを巻き、さらにその上から油紙(といっても昔のものとは違い、あぶないものだ)を細く切って巻いておいた。果たしてこれでもつかどうかと案じ、さらにその上にエナメルを塗ることにした。エナメル塗はコードが垂直に垂れる部分しかやってなかったので、私はこの雪で心配したわけだ。しかしどうしようもないので、そのまま放っておいた。
 朝になってコードにさわって調べてみたら、案外ちゃんとしているので、安心した。そして早速残りの部分にエナメルを塗った。どうやらこれで当分は大丈夫のようである。

 十二月二十五日
◯昨夜はクリスマスの前夜だから、敵機はこないんじゃないかと思っていたところ、午前二時半になってちゃんとやってきた。しかも三回やってきて廷べ四機。五時四十分にようやく警報解除となる。一回は南方に焼夷弾を落としていった。敵の戦意も相当のものじゃ。
◯夜間の空襲はせいぜい一時間でケリがついたのが、一昨日から敵は三回つづけてきて三時間半ばかりを稼いで行くので、こっちはまた眠り方の変更をしなければならなくなった。
 昨夜は原稿を書き了えて床に入ったのが十時過ぎ。どうせ敵はくるだろうと、そのままの服装で寝る。きたのが午前二時半。服装の関係で、起きるのは楽だ。敵機去り、警報の解けたのが午前五時四十分。もう朝の放送は始まっており、空が東よりの半分だけ白んでいた。そのまま防空壕で眠る。寝苦しくて、身体が痛い。あっちこっち寝返りを打っているうちに、英が起こしにきた。「もう十時を過ぎましたよ」と上から声がかかる。いつの間にか四時間ほど眠っ
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