が欠けてくるため、失敗となったことが少くなかった。今度のものはそれを未然に防ぐために、筋をすっかり決めてしまったのだ。従って書いて行くに従って自由性がなく、固着が情熱をよび起すに至らない欠点はあるであろうが、それと並行して、又いくつかの利点も生じるだろうと予測している。
◯過日、共同制作ということについて角田喜久雄[#小説家]君と話合った。私は一つのやり方を示し、同君の批判を乞うて置いた。これも勉強の一つとして、ぜひ一度は実行に移してみたいと思う。
◯朝子[#長女]、去ル一月二十六日十八時三十五分、男子ヲ分娩、共ニ元気ノ旨、只今(十六時)鹿児島ノ徹チャンヨリ入電。コッチノ一同躍リアガッテ喜ブ。
私「とうとうお爺さんお婆さんになったぞ」
英[#夫人]「女の子の名前だけしか書いて送らなくて損をしたね。こんどは皆揃って東京へ来てくれるのが楽しみだ」
陽[#陽子、次女]「電報と声がしたんで、あたしが玄関へあまり勢よくとび出していったもんだから、郵便局の人が笑っていたわよ」
暢[#暢彦、次男]「ヘえ。じゃあ郵便局の人、中を読んで知っていたんだよ」
晴彦[#長男]「やっぱりおれのいったとおり、ちゃんと男の子だ」
昌彦[#三男]「わしはおじさんだ」
◯「育郎」という名前がついた由。七百八十五匁。

 二月八日
◯雪あがり、どんどん融け始む。
◯いよいよ時事通信甲府版の「超人来る」執筆を始む。第一回を漸く書きたるのみ。
◯昼間停電、うちを始め四軒だけの停電と分る。蒲田氏のところにてヒューズの太いのを入れしため電柱上のキャッチのヒューズ切れと覚えたり。当日おひる頃同氏邸にて工事なし、電気を切りしらしく松原氏ヘ「お宅は停電しませぬか」ときき合わせたるナッパ服の人ありとの事。
 右につき、英《ひで》、松原夫人行きて話をなせしが、蒲田夫人仲々これを承服せず、雪のため切れしものにて宅に失敗はなしとの強論ありしが、結局昼間のナッパ服の人現われ、キャッチを直して午後六時半頃、電気つく。
◯佑さんのところの「蝿男」出版につき、初校をなす。(自由出版社)

 二月十二日
◯小栗虫太郎二月九日夕六時脳溢血にて倒れ翌十日午前九時死去す、断腸痛惜の至りなり、花を咲かす一歩手前にて、巨星の急逝は痛恨の次第なり。
  雪折れの音凄じや大桜
 享年四十六歳。
 新探偵雑誌LOOKに、江戸川さんと共に追悼文を書く。

 二月十七日
◯本日よりモラトリヤム[#金融緊急措置令。新円発行、旧円預金は封鎖]施行。
 その他関係法令として物価制限令や隠匿物資供出令なども出る。これにて本当に物価が下ってくれればいいが、どうなるのであろうか。
 物価の落着くまでの混乱、事業の縮小、もし支払制限令の金にて食えず、飢餓に陥ったらどうなるのか、例によって財閥、指導階級等の脱法行為如何などと、いろいろ気になることばかり。

 四月十一日
◯預金封鎖、支払制限令、それから財産申告。再び物価価格統制にて物はかくれ、五百円の新円生活にては両面から苦しくなった。そこへ加えて食糧危機がいよいよ目の前にあらわれ、米は十日も配給おくれ。
 六月には大危機が来るという話だが、その二ヶ月も前にこうして危機は到来して居り、政府は無策無為。そして新円は、旧円六百億円を二百億円にくいとめたのも束の間にて、今や二百五十億。毎日四億円ずつ放出されている現状では月末には二百八十億円になろう。大衆をきゅうきゅう追いつめながら、一方には会社や資本家にはどっと新円を下ろさせる銀行の不徳と政府の反民主政策は呆れる外ない。
 どこへ行くか、新日本。そして日本人大衆。
◯昨日は選挙。東京二区は三名連記である。友人作家の石川達三君と、社会党の三軒茶屋の鈴木茂三郎氏と、自由党の東洋経済新報社長の石橋湛山氏とに投票した。
◯晴彦は去る九日首尾よく都立十二中(千歳中)の入学試験に合格した。英と共に心配半歳、漸く芽出度《めでたく》解決して、ぐったりと疲労を覚えた。
◯原稿料は封鎖支払だと大蔵省は決めた。そして各社は封鎖小切手ばかりをよこす。まことに張合のないことである。一方、われら自由職業者へは一ヶ月五百円を封鎖より下ろすことが出来るのと、家族六人につき八百円(今月からは六百円に減少)とを下ろすのと合計千三百円で生活をしなければならぬが、迚《とて》もそれではやりかねる。客が来れば煙草も出さねばならぬし、茶もわかさねばならず、原稿用紙を買い、速達料を払い、炬燵《こたつ》を電気でやるなど、皆、新円にてするしかない。しかも向うから貰うものが悉《ことごと》く封鎖ではかなわない。
 そうなると人情で、どうも書くのに張合が出て来ない。
 そのうちにぼつぼつ新円でくれるところが出て来た。一部を新円で、他を封鎖小切手でくれるところもある。何千円也の封鎖小切手を貰っても紙屑同様にて一向ありがたみが感ぜられないのに対し、たとえ百円なりでも新円を貰うと、たいへんうれしい。
 従って新円稿料のところと、封鎖稿料のところとがあると、仕事についても進行速度も張合もその出来ぶりまでが違ってくる。あさましいともさもしいともいえることではあるが、しかしやはりこれは人情であろう。
 五月六月遅配と欠配、食糧難深刻、餓死者続出、附近の家々も最後の最悪の事態に陥つ、泪なしには見られず聞かれず。

 六月七月小喀血の事
◯六月二十九日正午過ぎ、痰が赤くなり始め、それより小喀血。
 五日ほどして起きたり。
 ところが七月七日の午前一時頃痰が赤くなりはじめ、就寝せるも睡りやらず、しきりに痰出でて目がさめ、そのうちに午前四時頃喀血す。従来に比して多量にして、盛んなるときは紙にもとり能わず。洗面器にも吐く暇なく、息つまりそうにて胸がごとごといいてそのまま血をのみこみたり。村上先生来診、応急措置をいたされ、咳とめ注射のおかげにて陶然となりぬ。この喀血は三日間相当ありて全量二百グラム位かと覚えたり。村上先生毎日三度来宅、懇切なる手当をつくされ、その甲斐ありて十日目には血痰も消えたり。十四日目より床上に起き上る事を許されしが、この二週間例年になき発熱の日つづきたること故、寝ていることの辛さ、ことに枕に頭をつけての食事は、機関車の中にあるの想いにて苦しきことなりき。[#前妻のたか子は、一九二六(大正十五)年に結核で死亡。看病に当たった海野も感染し、いったんは回復したが、一九四二(昭和十七)年に海軍報道班員として南方に派遣された際、再発していた]

 七月二十六日
◯異状なし。
◯朝、常田君|漢口《ハンコウ》よりかえりて初めて来訪あり、話を聞く。精神力と幸運にて、かぼそき方の身体の所有者たる君は助かったり。(目下、千葉県)
◯安達君来り、かつぶしを土産にくれる。
◯女房大分よろし。安達君が私を叱りて軽挙を戒めるのでたいへん御きげんなり。
◯育郎ちゃん、ちょうど生後半年。今、うちに在り、元気にて、ひっくりかえりて腹匐《はらば》う事を覚えたり。父親の徹郎君は過日広島へ赴き、新就職。

 七月二十七日
◯浪速書房「心臓の右にある男」の校正後半出る。

 八月一日
◯B29、三十機編隊にて上空を飛ぶ。沖縄とガム島よりの米部隊なりと。昨年の爆撃の味は未だ新たなり。今日は安心して空をうちながめたり。さすがに大きなる飛行機なる哉。皆々鉄格子につかまり、午飯を忘れて見上げたり。
◯颱風去りたるも、驟雨しきりなり。たちまち庭も路も川となる。

 八月四日(日)
◯順調なり。
◯加藤戒三氏、見舞に来てくれる。牛の血から製したブルテイン第一号壱缶を寄贈される。血の損失に痛い私にはありがたい贈物なり。
◯蒼鷺幽鬼雄[#海野の別ペンネーム]の第二作「血染の昇降機」を書き始める。

 八月五日
◯漸く暑気回復せんとす。われ順調なり。
◯昨夜の夢、椎茸飯、長野先生の授業にサボして口実に困り居る所を。
◯来客
 松竹事業部宝田氏
  シナ戦線五ヶ年の話。右耳朶、心臓横にうけた弾丸及迫撃砲破片の話などを。
  「東京怪賊伝」の原稿を渡す。
 西日本新聞社の氏家氏
  サイエンスのパズル入稿の催促。
 明治書院
  「おはなし電気学」の補遺原稿の催促。
 偕成社の矢沢氏
[#ここから2字下げ、ただし底本には組み体裁上の誤りがあり]
「まだらの紐」の内金を持参あり。偕成社の近情を聴く。社長の所業に対して好意的なる苦言を呈せん事を思い、あとに池田氏へ手紙にて拝談す。
[#ここで字下げ終わり]
 夜に入りて出版の用にて竹田清治君来。折から停電。未筆稿の印税前渡し持参の連らく。
◯昌彦少し具合わるし、昨日よりなり。

 八月六日
◯広島へ原子爆弾投下の一周年なり。昨年を思い、この一年間を偲び感慨尽きず。
◯昌彦、心臓を苦しがる、村上先生の急来診を乞いて注射にておさまりけり、少々熱あり。
◯昨夜の月。マンマル。
◯原稿執筆仲々進まず、漸く数枚也。
◯「地獄一丁目」などかいて夜に入りて子供をおどかしてよろこぶ。

 八月八日(金)
◯昨日薬をもらいそこねて、今朝は薬抜きなり。
◯写真機屋さん来る。小型映画のセメントとフィルム二本とオシスコップ届けてくれる(九十五円)。岡東君より預かり中の映写機をテストす。モーターの廻転せざりしもの、油を入れてやっと回復する。
◯「小国」の原稿、蒼鷺もの第二回の「血染の昇降機」を書き了える。三十枚で、さっぱりまとまらず。書き直したが香しからず後味わるし。
◯朝、自由出版より電話あり、来る十五日の会合につき問合はありたるも断わる。
◯松竹事業部野口氏よりの招宴と観劇もまた断る。病気ゆえなり。
◯帆苅氏来宅、「報知新聞」が来る八月十三日より夕刊新聞として復活の由にて、連載物語を書いてほしいとの事。この新聞は雑誌的新聞にて、東京の夕刊新聞全部を食ってしまおうという計画のよし。
 三枚半一回にて六十回位。とにかく引受ける。「超人来る」を書かんと思う。
◯偕成社の矢沢氏来宅。「まだらの紐」の小見出をまだつけてないので気の毒をする。
◯元青葉の十一分隊長池田忠正氏より手紙が届く。氏は目下鉱山事務所にて働いていられる。

 八月二十七日
◯徹郎、朝子、育郎の三名、広島へ出立す。同宿の中川夫人と芳子ちゃんもいっしょなり。
 英も私も育郎坊やを放すこと別れる事が甚だつらいのだが、どうにもならぬ。坊やは、七月三日より本日まで約五十余日滞留し、その間にかなり身体は伸び体重は殖え、下歯二本生え、えんこが出来るようになり、人の顔が十分覚えられるようになり、いい顔が出来るようになりしなり。
 広島には、カゴシマより上り居らるるカゴシマのおじいさん在り、さぞよろこばるる事ならむ。この上は、広島にて新しき職業がうまく道にのらんことを祈るのみ。

 九月十日
◯朝顔を見るのがたのしみ。きょうはくれない[#「くれない」に傍点]とるり[#「るり」に傍点]との二つ。
◯長野新聞の上田氏の雑誌に科学小説「青い心霊」を書くことになり、かきはじめた。二百枚の予定にて、今日は五十回を第一回として提出のつもり。
◯一星社出版用として「名立の鬼」の一冊を整理する。一星社の若主人は五年間出征していた青年にて、私の愛読者の由。お父さんが児童もの出版をやって居られるが、今度は復員して息子さんは大人ものをやる事になり、角田君と私のところへ来られた由。面識もないわけだが、私は何かこしらえないでは、すまない気がして、あえて引うけた次第である。
◯昌彦の夜の咳、とまらず。
◯中川夫人と芳子ちゃん、広島より帰宅。

 九月十一日
◯けさの朝顔は、ことし植えた中で一番うつくしい空色と白とのしぼり[#「しぼり」に傍点]が咲いた。これで二輪目である。
◯徳川さんの「自伝」をたのしく三十分ばかり読み、あと大事に次の日へとっておく。
◯時代社の中村さんが来宅、第一回の「鬼火族」の稿料を届けて下さる。創刊号はまた一月おくれて十一月からとなった由。
◯四日市場の加瀬氏来る。沖縄第百号を一貫匁ばかりお土産に持って来てくれる。
◯久保田氏の発足を支援して「地中魔」一冊を整理してまとめる。
前へ 次へ
全18ページ中15ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
海野 十三 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング