外に「のみの探偵」と「月世界探険」であるが、この二つ、かなり手を入れた。因《ちなみ》に白楊社という名で立つよし。
◯田久保氏(元海軍少佐、青葉二分隊長)来宅。大いになつかしい。
十一月十七日(日)
◯十月中旬より血痰が出て、静養していたが、本月上旬にはとまり、今は治っている。この数日急に寒くなり、風邪をひいたらしく、ゆうべは熱が出、脈が多くなったので、アスピリン〇・五|瓦《グラム》をのんだ。今朝は寒気もなく、気温もいくらか逆戻りして温くなったらしく、雨が降り出した。
◯今朝、柴田氏を訪問の予定のところ、雨となったので、電話で断った。
◯陽子は山脇のバザーで、昨日と今日いそがしい。今朝はたくさん芋をふかして学校へ持っていった。模擬店の「若松」の係だそうだが、その売品の材料に使うらしい。何でも「若松」のお嬢さんが同級にいるとかで、その縁の出店らしい。昨日生菓子を持ってかえって来て一つくれたが、まず甘い方であって、幻滅のおそれはなきものだった。
◯きょうは午後から武田光雄君が来宅せらるる旨、昨夜電話があった。元「青葉」航海士時代に私が乗艦四十五日、そして知り合いになったわけだが、サボ島沖の海戦にて重傷、帰朝して軍医学校に入院、それからなおって又出陣。それから終戦となり、幸いに一命は全うしたので、東京帝大の経済学部へ入学して目下勉強のところ。同君の父君は元海軍大将、元外相、元日鉄会長の豊田貞治郎氏である。
◯きょうの「朝日新聞」の報道に、中国の映画俳優が戦犯として裁判にかけられていると記事があった。
◯日本では、地方官公吏の追放の実施でさわいでいる。電産のストライキは、末広巌太郎博士へ一任となったらしい。全教組は教全組とは別歩調にて文相へ「六百円最低承認に欺瞞あり」と申入れたる由。生産いよいよ低調。政治家はいないのか。憂国の士はいないのか。
◯「狐塚事件」という小説を、もう十日も机上に置いて書いているが、まだ半分しか書けない。しかも全部でたった三十枚ものなんだが。
◯弟佑一、十日ほど前より休養中にて、一ヶ月間静養を医師よりすすめられたる由。血沈が多いとのこと。富久子君が昨日電話をかけて来て始めて知ったわけだが、富久子ちゃんの話によると「血沈が一時に百ミリ位」という。これは信ぜられないが、とにかく働き過ぎの故であろうと思う。私も病体の時、弟の病は気になる。
◯荒木夫人、田中君を養子に迎える件を白紙に戻して、胃潰瘍をなおすために、甲州下部温泉へ向う。
十一月十八日
◯岡東弥生さん、飯田氏へ嫁ぎたり。
◯朝子育郎両人昨十月下旬、徹郎君所在の広島へ移る。(カゴシマより)
十一月二十六日
◯朝、風少しありしが、三軒茶屋まで散歩にゆきしところ渋谷への引返し電車ありければ、うっかり乗ってしまう。当然渋谷へ出たり。上通りより道玄坂の右側を通りて下りる。戦災の焼あとに店続々と出来てものすごき勢いなり。古本三冊を買う。「日本書道家辞典」と「禅語辞典」と、森於菟《もりおと》[#解剖学者。随筆家]氏の「解剖台に凭《よ》りて」なり。合計九十五円。餅菓子を売る店を見ているうちに九ケ箱入のものを買いたり。七十五円なり。
十一月二十七日
◯夜来大雨。
◯炬燵にて引籠もる。
◯「自警」編輯《へんしゅう》部の前川氏来、五回続きの連載探偵小説の執筆の依頼を受く。
◯東京裁判、リチャードソン大将を証人に、真珠湾事件等につき明かにす。
(ラジオ受信機を村上先生のお家にさし上げしに雑音しきりなりとかにて、ちょっと聞きにゆく。そのとおりなり。この項二十六日なり)
◯夜、若林国民学校の根本先生(昌彦の先生)来宅。全教組のスト問題と学校の寄付金問題につき明日学校にて理事評議員会あるとかにて伝えに来られしもの。病中につき欠席する旨返事をし、その他につき意見を交換せり。要は教育改革第一、先生の待遇改善問題第二なり。
◯電話五四三一番にかわる由なり。
十一月二十八日
◯朝、上町まで行く。この日春の如く暖かなり。銀杏樹真黄色になりて美しく落葉地に敷く。また渋柿の鈴なりが遠景に見えてこれまた美し。
古本屋にて石原純[#理論物理学者。科学思想家]博士の「科学教育論」と古い本で「科学探偵術」というのを買う。合計二十五円。
かえりに松蔭神社前駅の前の古本屋にて、延原[#謙]氏が要るという事なりしブルドックドラモントの「フォアラウンド」を買う。三十五円なり。
◯小栗虫太郎君の「有尾人」と「地軸二万哩」の二冊を検読す。朱線にて為すべきところ方々ある外、全く復刊出来ざるもの五つばかりあり。了後それぞれ博文館及び小栗未亡人に手紙にて知らせたり。
◯今日の速達便にて、又々白亜書房なるもの探偵小説選集を出すとかとて、参集方を頼み来たる。姫田余四郎氏の名にてなり。もちろん私は病身ゆえ失礼するつもり。
◯水谷準君より来翰。延原氏夫妻へわれわれよりの贈物は、江戸川さんと小生とにて八百円位の座蒲団を贈ることにしてくれとの事なり。承諾の旨、返事す。実物さがしはこっちがこの病体ゆえ、すまぬ事ながら江戸川さんへお願いの事とする。
◯英、この数日、毎日の如くはげしい頭痛にて寝込む。昨日と今日とは睡眠剤のドルシンを〇・二グラムずつのみたり。(英の希望によりて)
◯私は昨日の雨にて、のどの加減はたいへんよくなったが、こんどは鼻をやられたらしく、しきりにくしゃみ出、洟《はな》をずるずるいわせる仕儀となった。
これが風邪の第三回の開幕なり。
昨年とちがって、今年はなぜこう風邪ばかりひくのか訳がわからず。昨年よりはずっと肥っているし、抵抗力もあるはずなんだが。もっとも精神力は非常に低下していることが自分にもよく分っている。
十一月二十九日
◯鼻風邪いよいよひどく、昨夜は枕をぬらした。咽喉もいたい。
◯朝子より来翰。
◯「科学世界」の九・十月号と十一月号来る。安達嘉一君が科学文化協会の事務次長となりて最初の編集のものなり。新清にして仲々よろしく、就中《なかんずく》「原子力の将来」についての木村氏の記事と、マ司令部のROX氏の寄稿に大いに感動す。この旨、安達君へ手紙を認めた。
◯読者ウィークリーに「鼠色の手袋」八枚を書く。
◯力書房の田中氏、原稿用紙を持って来てくれる。
松平維石の「キカ」の原稿を托した。
◯福田義雄君と吉水君来宅。ペニシリンの事、加藤ヨシノさんの肺炎のことなど話をする。
十一月三十日
◯はや十一月も暮れんとす。
◯きょうは晴曇にて寒し。一日炬燵の中にいたり。
◯午後、血を吐く。気道より出たるか肺の中より出たるかはっきりしないが、相当固まっていて指でこすっても崩れない部分さえあったので、気道の方ではないかと思われる。村上先生来診。念のためとトロンボーゲン5ccを注射。
◯愛育社の「電気」を少し書く。
◯江戸川さんより速達あり、延原氏へ贈る座蒲団は、江戸川さんと小生の連名とする事に相談あり。値は一千円位。小生病気につき現品見つけ方及び送り方は全部江戸川さんを煩わすこととなる。
なお、家の中の仕事といえども、やり過ぎるなと注意あり、返事を認めて、そのことよく守りましょうと申し送った。
向う一年、ピッチを下げて、最低の仕事をし、最低の生活を保証せん。
十二月十六日
◯昨日と今日とぼろ市なり。私だけ行かず。諸品高きよし。昨年は蜜柑の山だったが、今年は少き由。暢彦はサーカスを亮嗣さんと見てきたそうだ。入場料一円五十銭。小屋がつぶれて大さわぎをしたという。算術をする犬が一番面白かったと。
◯風寒し。炬燵にこもって、例のとおり仕事。十三枚を書いたところで、つかれを覚えてやめる。烏啼ものの「いもり館」である。
◯昨日は「自警」のための連載探偵小説「地獄の使者」の第一回を書きあげ、今日前川氏に渡した。
◯宇田川嬢「振動魔」の印票を届けられる。二十五日迄に捺してほしいとの事なり。
◯「川柳祭」寄贈をうく。徳川さん、正岡氏、吉田機司氏などを熟読す。
◯きょうは鎌倉の郁ちゃんの婚礼の日。招待を受けたが、この病体にて鎌倉まで行きかねるし、英《ひで》も出したくない。いずれ永日こっちの健康の自信のついたときに二人してお祝品を持って伺うことにしていたが、鎌倉のオバアチャンから電報が来て警告があったので、おばあさんを心配させては気の毒この上なしと思い英に相談し、きょうのうちに祝状と金を祝品代として鎌倉へ送ることとした。同時に咲ちゃんの祝も同様にして送る。
この秋以来、婚礼甚だ多し。こっちにはいささかこたえるが(ふところ)、まことに芽出たきことである。吉田機司氏の句に、
女みなはらんだ終戦一年目
◯福田義雄君来宅。ちかごろの真空管はゲッターの研究が進んで、真空化が実に手軽になった由。送信術でも二十五ケ一台を三十分にて排気作業完成し完封するので、一日にこれを二十回もくりかえし得るという。一日に一個宛出来ればいい方だった大正十年頃のことを思えば、うたた感慨無量なり。
◯ラジオの伝えるところによれば、アメリカでは天然色映画「最後の爆弾」が完成せし由。長崎への原子爆弾投下もうつされていると。
十二月二十一日
◯今暁四時、熊野沖に大地震あり、和歌山、高知、徳島、被害甚だし。東京ではゆるやかな水平動永くつづきたり。
十二月二十四日
◯電話がかわる。永年借りていた四五四五番よ、さよならで、新しく自分のものとなりしものは五四三一番。
十二月二十五日
◯英と私の合同誕生日祝にて、にぎり寿司をつくる。マグロ、イカ、タコ、シメサバ、タイラガイにて近頃になき豪華のもの。みなみな腹一杯たべる。
十二月二十七日
◯いやに暖し。
◯朝、千代ちゃん来る。
◯おひる頃に橋本茂助氏と三男君来宅。炭をもって来て下さる。哲男の熱、少し下がりし由。シズエさんの婚礼は十二月二十一日に新郎の郷里にて盃してすみし由。
十二月二十八日(土)
◯暮なれどのんびりなり。皆することがないから(金がないので)自然のんびりするなり。来客も皆尻長なり。いつもの慌しい暮に比べると、のんびりだけはうれしいが、その底にあるものは好ましからず。
◯夜、竹田君来宅。「超人来る」二十三枚を始めて渡す。酒煙草に三千円かかるので、生活費として女房に二千円しか渡せない、そこで女房が酒と煙草をやめてくれれば代用食をくわないですむのにといわれ、閉口すとなげいてかえる。
十二月二十九日(日)
◯痰常体なり。昨夜のは歯から出たものと分る。
◯温さのこりて凌ぎよし、晴れて来る。
◯日曜なれば、暮も静かなり。川柳を繙《ひもと》くうちに昼となる。子供達、昨日の餅にて腹ふくれの態なり。
◯角田氏来宅。木々[#高太郎]邸の集りに出かける前によってくれしわけ。行けぬわけを申す。海苔五帖(渋谷百貨街)いただく。少しやつれ見ゆ。お子達、肺炎のあと蛔虫《かいちゅう》にて又いためつけられしとなり。
◯松平維石君来宅。原稿のことにていろいろと難儀な身の上ばなしを聞く。わが体験をはなし激励し置きたり。
◯延原さんが誘いに寄ってくれる。これも「自信なし自重したい」と弁じて謝す。江戸川さんの返金を頼んだ。きょうは蒲田で脱線して混み、そしてオーバーの釦《ボタン》をとられたため品川で乗換るのを見合わせて東京駅まで乗り、そこで乗客がすいたので床をさがして傷だらけになった釦をひろいあげた由。英が糸にてつける。
◯自由出版の使者来る。
◯開明社のお使い来る。「火星探険」が出来て六十部届けられた。印税の一部も。
◯エホンの稲垣さん来宅。自園でとれた南京豆一袋いただく。子供の大好物なり。原稿料を持参せられ、又次のものを頼まる。それと共に橋本哲男君の原稿をかえされ、意見を陳《の》べられた。甚だ参考になること故、近く哲男君へ伝えようと思う。
◯ふじ書房の近藤氏来宅。どうして居らるるか、素人のこと故、或いは失敗せられしかとこの間うちから心配していたところなので、うれしく会う。スローモーらしいが、仕事はまず順調にいっていると聞き安堵した。私の本は来年にまわるので、その挨拶に来られしわけ。
十二月三十
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