あった。
◯まず弟佑一君が死んだ。三月二日のこと。病名は結核性脳膜炎。発病後三週間余にて、あわただしく逝った。あんな善人に、天はなぜ寿命をかさないのかと、私は恨めしく思った。戒名は佑光良円居士。
◯私の病体は、一応落着いていたように見え、四月にちょっと失敗して赤いものを出した。
◯一月には血痰が十二日、二月には七日、三月は四日位に減っていたが四月七日に小喀血(十cc位)。
すっかり自信を失う。この原因はよくは分らないが、三軒茶屋にて見つけて買って戻った百間随筆全輯六巻を、一番大きな本棚のその上に並べたが、そのとき患部のある左の方の手を使ったためかと思う。
しかし例の如く村上勝郎先生のお手当と、女房のきびしき心づかいにて、まもなくとめた。
それから一ヶ月半病床生活を送った。
四月二十三日に血痰が出た。それ以来今日まで、血痰が二三度出た。もう来客にお目にかかっている。
五日ほど前から散歩を始め、三日間つづけて外出した。それも遠方ではなく世田谷一丁目か、三軒茶屋迄位のところ。しかるに三日目の翌日、血痰を出したので、あとはとりやめとする。
ひびの入った硝子器のように、全くなさけない
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