戦のはじらいと苦しさを知らざりしによるとなし、この上は堂々と負けて、責任ある支払いをなし、敗戦という宝物を生かして行こうという。涙が出て来て仕方がなかった。両氏とも、昔なら検閲にひっかかる底のつっこんだ話をした。こうなくてはならない、本当のものを発見し、自覚し活用するには。
◯海野十三は死んだ。断じて筆をとるまい。口を開くまい。辱かしいことである。申訳なき事である。

 八月二十八日
◯本日、厚木へ米先遣部隊、空輸にて着陸す。テンチ大佐以下百五十名。
◯その前日に、十七隻の米艦相模湾に入港。本日は約七十隻にふえ、戦艦ミズーリ号[#降伏文書の調印式場として使われた]もその中に在り。
◯B29やグラマンが屋根すれすれに飛びまわる。そのたびに窓から首を出してみる。子供は屋根へのぼる。
◯朝、村上君来宅ありし。

 八月二十九日
◯広島の原子爆弾の惨害は、日と共に拡大、深刻となる模様である。その日は別に何でもなかった人が、何でもないままに東京に戻って来た。するとだんだん具合がわるくなり、食事がのどにとおらなくなることから始まって変になり、医師にかかった。医師がしらべてみると白血球が十分の一位に減り、赤血球は三分の二に減じていた。そのうちに毛髪がぬけ始め、背中にあったちょっとした傷が急に悪化し、そして十九日目に死んでしまった。解剖してみると、造血臓器がたいへん荒されており、骨髄、膵臓、腎臓などがいけなかった。これは放射物質による害そのものであり、原子爆弾は単に爆風と火傷のみならず、放射物質による害も加えるものであることが証明された。
 これは東大都築外科の都築[#正男]博士が、丸山定夫一座[#移動演劇隊桜隊。広島滞在中、原爆に遭う]の女優、仲さんを手当てしての結果である。
 なお博士は二十年前、アメリカのレントゲン学会で、これに関した報告を出したことがある。レントゲンをウサギに三時間かけると全部死ぬ。二時間かけると、二週間後までに九割死ぬというのである。米人はそんな場合は実際には起こり得ないと、非実際なるを嗤《わら》ったが、今日原子爆弾によってその研究報告の値打ちが燦然と光を増したわけである。

 八月三十一日
◯あの日以来読んだ本。杉本中佐遺稿の「大義」山岡荘八君著「軍神杉本中佐」江部鴨村著「維摩経新釈」、「名作文庫」、「芭蕉の俳句評註」。そしていま涙香(黒岩)先生の「幽霊
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