れたことさ。君という夫がある」
「ちょっと待った。そこなんだが――」
と僕は一息ついて、
「かの妻君には僕という本当の夫がある。そこへ持って来て、これから本当の僕ではない僕の影が出ていって会う。これはへんなもんじゃないか」
「なんだって」
「そうだろう。影の僕が出ていって、妻君に会う。二人で話をしているそのそばへ、二十年後の世界の本当の僕がのこのこ現れて妻君のそばへ行く。すると僕の姿をした同じ人間が二人も出来て、妻君の前に立つ。妻君はそれを見てどうするだろう。おどろいて目をまわしてしまうぜ。だから会わない方がいいんだ」
「わははは」
とカビ博士は笑いだした。
「気がつかないで通りすぎるかと思ったが、とうとうそこに気がついてしまったか」
「なんだ、君は始めからその矛盾を知っていたのか。人のわるい男だ」
「いや、これには実は深い事情があるんだ。それを今ここで説明しているひまはないが、とにかくわしは君に保証する。いいかねその深い事情が実にうまく今一つの機会を作っていて、君と妻君が会うに、今が絶好の機会なんだ。君の妻君は君を決して怪《あや》しみはしないだろう。またほんものの君が横から出て来てびっくりさせるようなことは決してない。だからぜひ会いたまえ」
カビ博士はしきりにすすめる。
大団円《だいだんえん》
カビ博士は、僕を僕の二十年後の妻君と会わせたがっている。熱心にいろいろと僕を説《と》きつける。ほんものの僕と、この影の僕とが鉢《はち》あわせをするようなことはないと、博士は保証する。
しかも博士は遂《つい》に妙なことをいいだした。これには「深い事情がある」と。僕は気になってしょうがない。そこで博士に向い、その「深い事情」とは何かとたずねた。
「ま、そのことは後でゆっくりと君自身が考えたがいい。わしは説明しているひまがない。それよりは早く、君の妻君に会ってくれ。――ほら、タクマ少年がやって来たぜ。あまりおそいから、さいそくに来たんだろう」
なるほど、タクマ少年がいつものように顔を赤くして、こっちへ笑いかけた。
「お客さん。さっきから奥様がお待ちかねですが。お隣の部屋まで来ていらっしゃいます。その扉の向こうです」
少年の指《さ》す方を、僕はおそるおそる見た。
「タクマちゃん。まだなの」
美しい女の声が、扉の向こうで、そういった。僕ははっとした。心臓
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