たりに見知り越しの近所の人も見えない。
 彼はこの上、どうしてよいのか分らなかった。
 ――が、考えた末、焼け鉄棒を焼け灰のなかに立てると、それに彼の名刺をつきさした。名刺の上には、「無事。明三日正午、観音堂前ニテ待ツ。松島房子ドノ」と書いたが、また思いかえして、それに並べて、「小山ミチミ殿」と書き足した。
 お千は、この一伍一什《いちぶしじゅう》を、黙々として、ただ気の毒そうに眺めていた。
「家族はまだ、焼け跡へはかえって来てないらしい。――じゃ、こんどはいよいよ、あんたの家の方へ行ってみよう」
 杜はそういって、そこを立ち去りかねているお千をうながした。
 それから二人は、焼け落ちた吾妻橋の上を手を繋《つな》いで、川向うへ渡った。橋桁《はしげた》の上にも、死骸がいくつも転がっていた。下を見ると、赤土ににごった大川の水面に、土左衛門がプカプカ浮んでいた。その数は三、四十――いやもっともっと夥《おびただ》しかった。
 こうなると、人間というものは瀬戸物づくりの人形よりも脆《もろ》いものであった。
 さて川岸づたいに、お千の住んでいた緑町の方へいってみた。惨状は聞いたよりも何十倍何百倍も
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