きがやって来た。いままでは、まだ大丈夫と思っていた火の手が、急に追ってきたのである。目の前の提灯屋の屋根瓦の隙間から、白い蕨《わらび》のような煙が、幾条《いくすじ》となくスーッスーッと立ちのぼり始めた。手首を挟まれた女は早くも迫る運命に気がついた。
「あッ、火がついた。この家に火がついた。――ああ、手がぬけない。焼け死ぬッ」
 女は目を吊りあげ猛然と身を起した。そして力まかせに自分で自分の腕を引張った。
「あッ痛ッ。――あああ、どうしよう」
 女は大きな失意にぶつかったらしく、ガバと地面に泣き崩れた。と、思うと電気にかかったようにヒョイと身体を起すと、彼に取りすがった。
「ねえ、あんた。思い切って、あたしの手首を切り落として下さい。刃物を持っていないの、あんた。刃物でなくともいいわ。瓦でも石塊ででもいいから、たった今、この手首を切りおとしてよゥ。さもないと、あたしは、焼け死んでしまうよォ」
 明らかに女は、極度の恐怖に気が変になりかけているのに違いなかった。そのとき、一陣の熱気が、フーッと彼の頬をうった。そうだ、女の云うとおり、彼女はいま焼死しようとしているのだ。とういとう提灯屋の屋根
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