て強く舌打《したうち》をした。
「ちょッ。この鞄には、鍵が二箇もぶら下っているのに、肝腎《かんじん》の錠前《じょうまえ》がついていないじゃないか。見かけによらず、とんだインチキものだ。ええッ、腹が立つ!」
 鍵はあれども鍵穴がない。これでは仕様《しよう》がない。折角《せっかく》トランクに詰めて、明日は横浜へ売りに行こうという寸法だったが、鍵のかからないトランクでは、あっちへ持っていったり、こっちへ預けたりしているうちにあぶないことになりそうだ。だが、折角ぎっしり詰めこんだものを、他のトランクに移すのは面倒《めんどう》だ、今夜はこのままにして、後は明日のことにしようと、闇屋《やみや》の旦那はこのところ聊《いささ》か過労の体《てい》にて、寝椅子の上へ身体をのせた。
「旦那さま。もうここの戸締《とじま》りをいたしてよろしゅうございましょうか」
 婆やの声である。
 酒田が、締《し》めておくれというと、婆やさんは硝子《ガラス》戸をあけて、長い廊下を箒《ほうき》でさらさらと掃《は》き出し、それから戸袋のところへ行って板戸を一枚一枚繰り出し始めたのである。そのとき勝手の方で電話のベルが鳴りだした。
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