のことだが、ゴム靴などを並べて売っている店に一つの赤革の鞄が置いてあったが、この鞄がどうしたはずみか、ゆらゆらと持上って、ゴム靴の海の上をすれすれに往来へ出ていったのである。店番をしていた若者はびっくりして後を追《お》い駈《か》けた。幸いその鞄は隣の店の前あたりにうろうろしていたので、かの店員は鞄に追いついて、左右の手をもって鞄の両脇から抱《だ》き留めたのである。これは重大な事柄であると後に分ったことであるが、そのときかの店員が鞄を取り押えたときの筋圧感《きんあつかん》はといえば、一向鞄を取り押えたような気がせず、なんだか幕に手をかけて引いたように感じた由《よし》である。つまり非常に軽々と感じ、そして少し遅れて慣性《かんせい》のようなものをも感じたというのである。
その店員の感想にはもう一つ附加えるべきものがあった。それは彼が手を取押えたトランクの横腹から、そのトランクの把柄《はへい》へ移し、トランクをさげたときのことであるが、彼はずっしりとしたトランクの重さを急に感じたというのである。それはなんだか俄《にわか》にトランクの中へ或る重い物が入ったように感じたのである。そこで彼は念のた
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